751 藻崎=有田市宮崎町(和歌山県)有田川によってつくられ有田川によって歴史のメインストリートからはずれた? [岬めぐり]
有田川の左岸に横たわる長い尾根の北側は河口の砂洲でできたらしい平地があるが、南側は小さなでこぼこが連続する崖が海に落ちている。それらのでこぼこにはタテゴ、帆立岩、馬島、鏡、黒島、仏磯、丸山、鋸、大石などといった名前がついている。そういうちょっとした出っ張りは、岬、崎、鼻とは名乗っていないが、そこの間に混じって西の剣崎と東に藻崎もあるのだ。
けれども、岬や崎や鼻でなる場合と他の名前になる場合の区別が、ここではどこでどう分かれるのか、まったくわからない。
藻崎もちょっとだけ頭を出しているように見えるが、ほとんど手前の仏磯や向うの丸山や鋸と、見分けがつかないようにでこぼこと並んでいるだけだ。
矢櫃の向かいには、広い湾を挟んで遠くに岬がある。これは由良町の白崎である。
有田市と有田郡湯浅町と広川町と日高郡由良町にまたがる広い湾には、湾という名前もついてはいないのだが、いくつかの島影もある。それらはみな有田市以外の島。
ずっと北寄りの藻崎の向うに見える集落は千田で、ここまでが有田市になる。千田と藻崎のところにだけ、みかん山の間をぬって道が海岸に通じている。しかも、千田と違って、集落らしいものさえない藻崎には小さな砂浜があるだけである。これも、みかんを積み出すためだった…とか?
湾の上に延びるスカイラインには、風力発電の風車列も見えるのだが、風車はまだ地図上の表記では、その存在をどう扱うかが定着していないらしいので、多くの場合表記がなく、その場所を特定することがむずかしい。
おそらくは、広川町あたりの尾根ではないだろうか。ただ、そこは周辺の町との境界線にもなっている。そういう場所を特定するのはいろいろ厄介であるので、ちょっと自信がないが…。
この境界線の山の有田市側、千田の山向うには、“明恵紀州遺跡率都婆”という∴史跡マークが、電子国土ポータルには記されている。
有田川流域では、その星尾付近までが、長い間人が住んできた古い町だったのではないか。この付近の中心地は、現在の有田市ではなく、もう少し上流域に遡った有田川町あたりではなかったか。そこから下流域になると、右岸の端にある初島町の浜や里などの一部地域以外では、まだ河口の砂洲が固まっていなかったはずである。そこを干拓して田畑にし、人が住むようになるのは、ずっと後のことだったのではないか。
真っすぐな道路が土地を矩形に仕切っている、現在の有田市の平地のほとんどが、新しい町のようである。
有田市は、1954(昭和29)年に有田郡箕島町と保田村、宮原村、糸我村という有田川沿いの村が合併して有田町となり、その2年後に市制を敷いて、6年後に海草郡初島町を編入して現在に至る。
昔からその名を冠したみかんで有名だが、現在では東燃ゼネラルの石油精製が一番の産業である。タチウオの漁獲高が多いとか、蚊取り線香の発祥地だというこの地域は、熊野古道にもかかり、初島の地ノ島には古墳もあり、いくつかの古いお寺もあるにはある。
有田川があっての町だが、全体的にみると歴史のメインストリートからは、ちょっとだけはずれているようにみえる。それもまたきっと、有田川が流れているためだったのだろうと思う。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度4分3.91秒 135度7分10.50秒
近畿地方(2011/10/04 訪問)
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