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747 牛が首=海南市下津町下津(和歌山県)「鼻」があるのだから、「首」があってもおかしくはない [岬めぐり]

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 下津の市街地は、入江に向かって飛び出した、標高50メートル足らずの小山によって東西二つに分断されている。それによって、港も二つに分かれているようだ。牛が首というのは、その小山の先についた名だが、電子国土ポータルによるとその位置が西に片寄っているのが、いささか気にはなるのだが…。
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 そうすると、東の岸壁から見えているそこは、正確には牛が首の裏側ということことになるのか。
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 いかにもいわく因縁のありそうな名前なのだが、調べてみても、そんな情報には行き当たらない。ただ、釣り人の間ではかなり知られたポイントのようで、チヌ釣りの釣果などを自慢している人も多い。
 それらの表記は「牛ヶ首」としてあるのだが、まあそのくらいのずれや違いはよくあることで、ここでは国土地理院の表記によっておく。
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 で、「首」は「岬」ではないのだが、『でんでんむしの岬めぐり』では、これも岬の仲間に準じる扱いにしている。このような例も、全国にはいくつかある。「鼻」があるのだから、「首」があってもおかしくはない。
 ここも東港の岸壁からは、たくさんの船や工事中のクレーンや岸壁などで、立て混んでいた。
 ここから西へは、東燃ゼネラル石油和歌山工場の岸壁が続いているはずである。ただ、石油会社も最近はよく名前が変わる。最新のものかどうかわからないが、地図に記してある名で記しておく。
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 前項の金山崎(ChinchikoPapaさんのコメントによると、ここは「山砂鉄」に由来する名ではないかという)と紀文船出の地も、牛の首の間にすぎていくが、そういえば、紀文はなぜ下津の湊から出ることになったのだろうか。集荷のルートや船の都合などもあっただろう。有田川の河口は、おそらくは湊がまだ発達していなかったとも考えられる。聞けば、紀州で最初にみかんの木が植えられたのは、下津であるというが、やはりみかんの集荷に最も適していたのだろう。
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 山を越えて、西側の町と港に出ることもできるのだが、下津駅から次の電車に乗らなければ、箕島からのバスの時刻に間に合わない。西の町と港は車窓から眺めるだけにして、電車(これも正確には気動車?)は天神越という峠をトンネルでくぐり抜けていく。
 そこが、海南市と有田市の境界になっている。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度6分45.63秒 135度8分21.11秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2011/10/04 訪問)

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タグ:和歌山県
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コメント 4

ナツパパ

牛ヶ首の両側は、どちらも素晴らしい地形ですね。
港にはもってこいのように見えますよ。
by ナツパパ (2012-02-12 16:33) 

ぱぱくま

石垣の次は和歌山シリーズですね。
記事を拝見しているとホントに日本の海岸線は
複雑なんだなって思いますよ。
by ぱぱくま (2012-02-12 19:20) 

dendenmushi

@牛の首の両側、二つの入り江の港は、西が小さな漁船など用、東がその他大きい船用と、使い分けられているような印象を受けました。
by dendenmushi (2012-02-14 06:14) 

dendenmushi

@海岸線の複雑さに関連しては、次項で少し触れようかなと思っていますので、ぜひご覧ください。きっと、そうか!というように思われることがある…かもしれない。
by dendenmushi (2012-02-14 06:20) 

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