735 ヤセの断崖・能登金剛=羽咋郡志賀町笹波(石川県)岬ではないがついでだしなにしろアノ現場だから… [岬めぐり]
ここは岬の名が付いていないので、もともと計画のリストにはなかった。というのも、国土地理院の地形図、電子国土ポータルに名称表記がある岬・崎・鼻をめぐるのが、このブログの基本だからであった。
しかも、計画に当たっては、バスや電車の時刻と宿泊予約以外は、まったく事前調査準備をしないで、自分のわずかな知識と記憶と国土地理院の地図を見ながらの感覚に頼って、とにかく行ってみて歩いてみることを旨としている。
したがって、この地図を見ると、関野鼻を過ぎると次は北脇崎までなにもない。そこで、その岬が見えるところまで歩くのを次の目標として、ひたすらてくてく歩いていた。
誰もいないし、車もほとんど通らない静かな道である。この先の前浜まで行けば、コミュニティバスが通る路線になるはずだが、それまではバスも通らないのでバス停もないし、人家もない。
そんな道を歩いて行くと、なにやら看板が立っている。
「あっ、ここがそうなんだ!」
どういうわけか、それをすっかり無視している国土地理院のでなく、他の地図を見れば、ここには確かに「ヤセの断崖」と「能登金剛」の表記があったはずなのに、それらをまったく見ずに歩いているものだから、新鮮に驚いたりすることになる。
では、せっかくだし、通りすがりでもあり、ちょっと寄り道していこう。なにしろ、かの有名な松本清張の『ゼロの焦点』の現場である。
2011/12/02 に書いた、「番外:休暇村越前三国など=坂井市三国町崎など(福井県など)“都道府県別幸福度調査”のベスト3は…」の項で、安手のドラマで最後に犯人が追いつめられて告白したりするのはたいてい岬とか崖の上に決まっているのはどういうわけかと、書いていた。そのときには書き漏らしていたのだが、これはどうやらエドガー・アラン・ポーあたりにその源流があるらしい。
だが、それを日本で一躍広め、後々多くのドラマの手本となったのは、この作品ではなかったか。それも、1961(昭和36)年に松竹の野村芳太郎監督で映画化されてからであろう。この映画の脚本は、橋本忍と山田洋次。
久我美子(禎子)と高千穂ひづる(佐知子)が、対峙したのが、ここヤセの断崖だったのである。
ここも能登半島地震では、崖の先が崩れ落ちたりして、一時は立入禁止だったのだが、いち早く遊歩道も復旧整備されて、新しい看板もできたということらしい。こういう有名なスポットには、どうしても人が集まってくる。駐車場に止めた車から降りてきた人々が、三々五々歩いていて、スケッチをする人までいる。展望台というところから展望しても、崖の険しさはあまりよくわからない。
電子国土ポータル地形図に点線で描かれている遊歩道を先に進めば、何かあるのだろうと、地震でひび割れたらしい箇所が残る狭く細いコンクリートの上をずんずん行くと、崖の上らしいところを通って、義経の舟隠しというところに出た。地図の点線は先があるが、実際の道は薮に覆われてここで終わっている。
海面からこの崖の上までは30〜40メートルはあるのだが、崖はやはり横からか下から見なければ、上から見たのではあまり迫力もない。だが、展望台までまた戻ってみても、どこにもそれらしいルートがない。まだ、立入り禁止になったままのところもあるのだろうか。
なぜ“ヤセ”というのかについては、ヤセる思いがするとか土地がヤセていたからとか説明されているが、これはむしろ“ヤセ尾根”のヤセだろうと思った。
また、なぜこの一帯から南の海岸の一部を、“能登金剛”というのかは、朝鮮半島の金剛山に比定したというのだが、これもいかがなものかという感じがする。
そういう命名をしたのは、あるいは日本人が大量に半島に行っていた時代の名残りであったのではないか、と思った。
▼国土地理院 「地理院地図」
37度12分33.95秒 136度41分0.31秒
北陸地方(2011/09/08 訪問)
しかも、計画に当たっては、バスや電車の時刻と宿泊予約以外は、まったく事前調査準備をしないで、自分のわずかな知識と記憶と国土地理院の地図を見ながらの感覚に頼って、とにかく行ってみて歩いてみることを旨としている。
したがって、この地図を見ると、関野鼻を過ぎると次は北脇崎までなにもない。そこで、その岬が見えるところまで歩くのを次の目標として、ひたすらてくてく歩いていた。
誰もいないし、車もほとんど通らない静かな道である。この先の前浜まで行けば、コミュニティバスが通る路線になるはずだが、それまではバスも通らないのでバス停もないし、人家もない。
そんな道を歩いて行くと、なにやら看板が立っている。
「あっ、ここがそうなんだ!」
どういうわけか、それをすっかり無視している国土地理院のでなく、他の地図を見れば、ここには確かに「ヤセの断崖」と「能登金剛」の表記があったはずなのに、それらをまったく見ずに歩いているものだから、新鮮に驚いたりすることになる。
では、せっかくだし、通りすがりでもあり、ちょっと寄り道していこう。なにしろ、かの有名な松本清張の『ゼロの焦点』の現場である。
2011/12/02 に書いた、「番外:休暇村越前三国など=坂井市三国町崎など(福井県など)“都道府県別幸福度調査”のベスト3は…」の項で、安手のドラマで最後に犯人が追いつめられて告白したりするのはたいてい岬とか崖の上に決まっているのはどういうわけかと、書いていた。そのときには書き漏らしていたのだが、これはどうやらエドガー・アラン・ポーあたりにその源流があるらしい。
だが、それを日本で一躍広め、後々多くのドラマの手本となったのは、この作品ではなかったか。それも、1961(昭和36)年に松竹の野村芳太郎監督で映画化されてからであろう。この映画の脚本は、橋本忍と山田洋次。
久我美子(禎子)と高千穂ひづる(佐知子)が、対峙したのが、ここヤセの断崖だったのである。
ここも能登半島地震では、崖の先が崩れ落ちたりして、一時は立入禁止だったのだが、いち早く遊歩道も復旧整備されて、新しい看板もできたということらしい。こういう有名なスポットには、どうしても人が集まってくる。駐車場に止めた車から降りてきた人々が、三々五々歩いていて、スケッチをする人までいる。展望台というところから展望しても、崖の険しさはあまりよくわからない。
電子国土ポータル地形図に点線で描かれている遊歩道を先に進めば、何かあるのだろうと、地震でひび割れたらしい箇所が残る狭く細いコンクリートの上をずんずん行くと、崖の上らしいところを通って、義経の舟隠しというところに出た。地図の点線は先があるが、実際の道は薮に覆われてここで終わっている。
海面からこの崖の上までは30〜40メートルはあるのだが、崖はやはり横からか下から見なければ、上から見たのではあまり迫力もない。だが、展望台までまた戻ってみても、どこにもそれらしいルートがない。まだ、立入り禁止になったままのところもあるのだろうか。
なぜ“ヤセ”というのかについては、ヤセる思いがするとか土地がヤセていたからとか説明されているが、これはむしろ“ヤセ尾根”のヤセだろうと思った。
また、なぜこの一帯から南の海岸の一部を、“能登金剛”というのかは、朝鮮半島の金剛山に比定したというのだが、これもいかがなものかという感じがする。
そういう命名をしたのは、あるいは日本人が大量に半島に行っていた時代の名残りであったのではないか、と思った。
▼国土地理院 「地理院地図」
37度12分33.95秒 136度41分0.31秒
北陸地方(2011/09/08 訪問)
タグ:石川県
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