729 尼御前岬=加賀市美岬町(石川県)義経主従の逃避行エピソードのひとつにかかわる岬なれども [岬めぐり]
「美岬町」はおそらくはこれで「みさきちょう」と読むのだろうが、加賀市合併の町名にはないので、後から付けられた美称なのだろう。当然、その岬とは、尼御前岬のことであろう。
この岬が割に有名なのは、北陸自動車道のSAがあるからではないか。金沢方面に向かうほうのSAは、この岬のそばにできていて、車で走ってきて一休みという人々が、そのまま歩いて公園になっている広い岬の上に行けるようになっている。
SAの名称表記には、“AMAGOZEN”となっているが、でんでんむしとしてはやはりここは“N”は取って、「あまごぜ(みさき)」と読んでほしいような気がする。現代の国語の基準は、「とちらでもよい」とか「ともいう」とか「とおなじ」とか、厳密な区別や判断を避けてものわかりのよいところをみせたがる傾向がある。そのため、どんどんグレーゾーンが広がり、間違いまで広く使われているからまあ正しい、といったわけのわからないことになったりする。「尼御前」も、国語辞書的には「あまごぜん」でも「あまごぜ」でもどちらでも同じ、ということになっているが、「ん」があるのとないのとではニュアンスも意味も用法も違うように思えてしかたがない。
まして、もうひとつこの岬を有名にした、名前の由来となっている伝説を語るのであれば、ここはやはり「あまごぜ」でなければならぬような気がする。
この岬から北東に約8キロ弱のところ、梯川河口の海岸に安宅ノ関址という史跡がある。いわずとしれた『勧進帳』の舞台…ということになっている。
都落ちをし、奥州藤原氏を頼って忍び行く逃避行の道中は、数々の苦難と試練の連続であった。どういうわけか、義経主従ご一行様のなかに一人の尼がいて、彼女がこの先の安宅ノ関ではチェックが厳しいと聞き、女の自分がいたのでは手足まといになると、主従の無事を願いここで意を決して岬の岩頭から身を投げた…。
この逃避行には“北の方”も同行していたはずなので、もし尼が同道していてもそれはむしろ自然なことである。なので、ここでこういうことを言い出して実行するというのは、いささか腑に落ちない。
公園のなかには、その尼の銅像が建っているのだが、その説明にいわく…、「この尼の名が尼御前といい、それ以来いつしかこの岬を尼御前岬と呼ぶようになった」と、だいたいどこでもそういう由来解説がされているようだ。
へそまがりでんでんむしは、そういう説明にはいちいち納得がいかないのでひっかかってしまう。
だいたい、“尼の名が尼御前といい”というのが、そもそも不審である。「御前」は敬称であろうし、「尼御前」は普通名詞であって、固有名詞ではないだろう。もっとも、一般の名詞が固有名詞に定着していくということも皆無ではないので、この場合がそうではないとは否定しにくいという事情はあるのだが…。
もっとも、ほとんど唯一定本のように目されてきた『義経記』そのものからして、とても史実の記録とはいえないシロモノというべきなので、それをもとに整合性や傍証などは求めても意味がない。200年後になって、それまでたまっていたいくつもの伝承を寄せ集め、それに思い入れもたっぷりな創作が入り混じってできたもの、とみたほうがよいのである。となると、あれが間違いこれが正しいといった断定は、誰にもできない。「尼御前」の話も『義経記』には採用されなかった多数の説話のひとつか、またはその後につけ加えられた話なのであろう。
そういう意味からは、いくらつついてもしかたがない。細かいことはどうでもいいという面はあるのだが、どこでどんな話がどのように伝わっていたのかを、決して解けない謎解き、決してピッタリ合わないパズルをひねくりまわして楽しむ、というくらいのつもりにしておくのがちょうどよい。
いやー、『勧進帳』なんか、歌舞伎座の舞台を何度か観ました(能の「安宅」は観ていない)が、実によくできた話ですよ。しかし、これも『義経記』のなかのあちこちにある記述を、うまく拾いつなぎ改変してひとつの物語にした、とみるべきであろう。
岬めぐりでは、新潟県と山形県の県境にある鼠ヶ関の項(「番外:鼠ヶ関(山形と新潟の境で)2008-07-28記」)で、『義経記』や「安宅ノ関」について既にふれているので、同じことは繰り返さない。御用とお急ぎでない方、気が向いた方は、なにとぞクリック参照してくだされ。(でんでんむしの感じでは、こういうリンクボタンがあっても、それを押してみる人は、20人のうち1人までも届かない、と思うのだが。もっとも、かつてある人とそんな話をしていたとき、「あんたのは文字が多くて読むのが大変でめんどうなんだよ」と言われたこともあるので、無理強いはしないことにしている。)
尼御前岬の公園の松林の周囲のあちこちに、軽トラなどの車両が数台入り込んでいる。なんか、悪い予感…。
公園の整備工事中とやらで、いたるところが立入禁止状態。岬の先のほうへは、降りて入って行くことができない。これでは、尼さんが身を投げたという岬の岩場も、見ることができない。
松の間から、西の方を見ると、天崎の向こうには加佐ノ岬が覗いていた。また、尼御前岬から下る途中の道から見る天崎は、いかにも岬らしく見えた。この加賀海岸から日本海を眺めていると、いつだったかの“不審船騒ぎ”を思い出す。あのときの“現場”が、加賀市沖だったのだ。
県道へ戻って、キャンバスの23停留所で、次の加賀温泉駅行きのバスを待つ。このバスは、片山津温泉を経由し、オ、ル、ヌ、ケ…といった不思議な小字地名をもつ集落や畑の間を縫って走り抜けた。
▼国土地理院 「地理院地図」
36度21分20.75秒 136度19分22.39秒
北陸地方(2011/09/07 訪問)
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