721 兜岬=小樽市忍路(北海道)いくら考えてみてもしょうのないことを次々と考えてしまう [岬めぐり]
小さな忍路湾の湾口を扼するのは、ポロマイ崎ともうひとつ、向かい合う兜岬だが、湾のなかからでは兜岬のほうは後ろから見るようになるので、その名の由来となったであろう特徴的な岩の形はわからない。
ただ、この岬には木は生えていない岩の出っ張りだが、兜の頭は緑で覆われている。
ここはやはり、もう一度蘭島海岸からの写真に戻って、少しズームインして眺めることにしよう。実はこの岬は、余市市街地を過ぎた辺りから、ポロマイ崎と重なりあって見えていたのだ。
「兜」または「甲」を名乗る岬は少なくないが、確かにここのは兜をつけた武将の横顔のように…見えないこともない。
どの岬でもそうなのだが、見る位置や角度によって、その姿は変化する。兜岬は横長にちょっとしゃくれ出た岩の岬で、東の竜ヶ岬のほうから見るとどのようになっているのだろうか。
親切で気のいい釣り人の車が入っていた道は、細くなって垰(たお)に達したところで点線の山道になって竜ヶ岬に延びて消えている。標高50メートルほどのそこらから、入江を挟んで見えるかも(見えないかも)しれない兜岬の一部は、単なる崖なのだろう。
ローソク岩なども同じことだが、こういうちょっと変わった形の岩や目立つ岩などに名前をつけるというのは、いったいいつ頃から始まったのだろうか。
またしても、そういう考えてもしかたのないことを考えてしまうのだが、かなり古くから、そうした行為は行なわれてきたはずである。日本人が生活の中にある自然の景観を、風景としての意識するようになり、それが一般化したのは江戸時代くらいからではないかと考えられる。また、それ以前からも目立つ景観に名前を与えることは、目印としても必要になってきたのではないか。
ランドマークとしての呼名の必要性は、地名の必要性とはまた別の次元から生じたものであろう。
岬の場合、多くは人家のあるところ、人々の生活の場からは、少しへだたったところにあるので、いちばん考えられるのは、船に乗る人々の便宜のために、自然発生的に始まったと思われる。つまり、船舟航行の目印としての役割は、極めて実用的で非常に重要であったろう。
兜岬やローソク岩などの場合は、それにプラスして、その珍奇な自然の造形を愛でるというか、楽しむというか、風景に対して、人間がそれを意識して眺めるという非実用的な、“ある種の遊びの行為”も、明確にくっついている。
ホラ、あの岩おもしろい形をしてるじゃないか。あ、ほんとだ、人間の顔のように見えるね、ここから見ると。いや、それよりも兜をかぶっているようではないか。
えー、こっちからだと、この位置からだとそんなふうには見えなくなってしまうぞー。
そんな、会話か独白が、いつかこの付近の海や浜であったのだろう。
これまでたくさんの例があったように、古くからの先住民であるアイヌがいた北海道の場合は、彼らの残した名前が多く残っている。
だが、「兜」は和人の持ち込んだものであるから、それ以降の命名なのだろうか。では、アイヌの人達は、これに関心を示さなかったのだろうか。
それとも、和人がくるようになってからのなんらかの作用で、こういう造形が新たに生じたものだろうか。
小さな忍路湾で、考えてもしょうのないことはどんどん大きく膨らんで、キリがないほど湧いてくる。
▼国土地理院 「地理院地図」
43度12分55.17秒 140度51分14.15秒
北海道地方(2011/07/18 訪問)
ほんと特徴のある形ですねえ。
海側から見たらどうなっているのだろう。
by ナツパパ (2011-11-18 13:58)
ここはdendenmushiさんのイマジネーションを
かきたてる良い岬なんでしょうね♪
by ぱぱくま (2011-11-19 18:13)
@ナツパパさん、いつもコメントありがとうございます。
海側から見たら、ただのノッペリした岩なのでしょうかね。
by dendenmushi (2011-11-21 07:50)
@ぱぱくまさん、良い岬かどうかはともかく、まず名前と形からイメージができますね。こういう岬は、いろいろ書きやすいというだけのことですが…。
宮古島の写真もよかったですね。でんでんむしも来月から石垣島へいく予定です。
by dendenmushi (2011-11-21 07:54)