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710 積丹岬・島武意=積丹郡積丹町大字入舸町・大字出岬町(北海道)あれから鰊はどこへいったやらPart2 [岬めぐり]

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 北海道の霧は、簡単には晴れない。昨日と同じように、雨粒こそ落ちてこないが一晩経ってもなお、雨雲だか霧だかわからないように、入舸の集落に立ちこめている。
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 これでは、積丹岬はすっぽり霧の中で、絶望的だ。結局、昨日のバスの中から遠くに見たので、今回は間に合わせるしかあるまい。
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 小樽へ行くバスは、早朝6時台の遅くに一本あるが、その次の便は10時40分までない。それまでの時間を利用して、積丹岬がだめでもとにかく島武威(しまむい)や出岬が望めるところくらいまでは行ってみよう。
 その昔、島武威と入舸の集落を結んでいた道がどこにあったのかは知らない。今では、入舸の集落から島武威海岸へという標識にしたがって延びる観光自動車道は、標高70メートルのところにある駐車場まで続いている。
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 そこには、駐車場のほかにトイレと下の集落にある割烹民宿の出店らしい建物があるほか、いくつかの立て看板とトンネルがある。
 このトンネル、人が立ってやっと頭が支えない、二人が横にすれ違うのがやっとの小さなもので、保護支保のための支柱がしてあるので、いっそう狭い。
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 トンネルが小さい理由は、すべて人力による手掘りのため、必要最小限の規模になったからである。
 トンネルを抜けたところは、大字出岬町になり、眼下に島武威の美しい海岸がある…はずである。屏風岩などもあるはずだが、霧でなんにも見えない。
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 島武威海岸のお天気がいいときの情報や写真は、無数にアップされていて、「日本の渚百選」にも選ばれたという、透明度の高い美しい景色は、神秘的と讃えられている。しかも、積丹の町花であるエゾカンゾウが、斜面いっぱいに咲き誇っているというが、ここから下の海岸へ降りる道は、厳重に通行止めの指示がしてあって、通れない。
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 これではさっぱりである。
 一気に70メートルを下って行くこの通行止めになっている道のために、小さなトンネルもあったのである。
 では、入舸から70メートルも登ってきて、山を越えるトンネルを掘り、また70メートルを下って海岸までのルートは、なんのために必要だったのだろうか。
 もちろん、観光のためではないのだが、観光協会のページもウイキペディアも、その他多くのこの景観を宣伝し、賛美しているページでは、まるっきりそのことを説明してくれない。
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 裏付けをとるのに苦労したうえ、トンネルが掘られた時期だけは1895(明治28)年、と確認できた。
 北海道のニシン漁は、江戸時代に渡島半島の江差など蝦夷地の南部で盛んになり始めたと思われるが、時代が下るとともにその中心は徐々に沿岸を北上していく。幕末頃からは、積丹半島もニシン漁でおおいに栄えた。
 しかし、交通路が整わず陸の孤島状態だった積丹では、輸送ルートの確保が一苦労であっただろう。そんななかで、積丹半島北部で獲れたニシンは、わずかに足場が確保できる島武威海岸に陸揚げし、そこから人力で急坂を登り、トンネルを抜けて入舸まで荷降ろししなければならなかったようだ。
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 そこで干場での一時的な加工や輸送の準備を整え、荷車などで運び出されていった。入舸の割烹民宿の歴史も、その頃に集ってきた人々の宿として始まったらしいので、そうであれば入舸の集落の中心は、湾側よりも島武威海岸へ近いところに広がるのが自然というものであろう。
 ソーラン節発祥の地の碑は、積丹の東側の美国と西海岸にもあるというが、このトンネルも積丹のニシン漁の隆盛期が必要に応じて生んだ遺産だった。そう考えると、ニシン漁がよりリアルに感じられる。
 さしものニシン・ブームも、大正時代になると漁獲が落ち込んで、徐々に衰退してしまうのだが、その過程と果てに、なかにし礼『石狩挽歌』の物語もある、というわけだ。この項の題名を「Part2」としたのは、156 相泊岬=江差(北海道)あれからニシンはどこへいったやら〜と同じタイトルを使ったからである。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度22分14.39秒 140度27分48.71秒 43度22分21.35秒 140度28分38.15秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2011/07/18 訪問)

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きた!みた!印(31)  コメント(4)  トラックバック(1) 
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コメント 4

お水番

小さなトンネルはニシンの道だったのでしょうか。
ニシンとともに人も去り、霧の中にひっそりと残されたトンネル。
ふとトンネルの奥から、足音が聞こえてくるような気がします。



by お水番 (2011-10-24 09:25) 

ナツパパ

ニシンが去れば人も去り...自然に戻ってしまうのですね。
あれだけ捕れたニシンを上まで運ぶ...すごい手間ですねえ。
by ナツパパ (2011-10-24 20:41) 

dendenmushi

@お水番さん、こんなところをニシンを担いでいったのかと、ほんとに昔の人の苦労が偲ばれるような場所でした。実は…、あまりひっそりというわけでもなかったのですがね。朝もまだ早かったのに、連休だったからでしょうか。けっこう、次々と見物客がやってくるのです。もちろん、みんな車で…。
 
by dendenmushi (2011-10-26 06:09) 

dendenmushi

@ナツパパさん、考えてみれば大変な手間と労力ですよね。そのニシンが、生活のすべてだったのでしょう…。
by dendenmushi (2011-10-26 06:12) 

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