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679 エンルム岬=様似郡様似町会所町(北海道)捨てる前にまず残すことをしっかり考えよう [岬めぐり]

 ときどき思い出したように売れるのが、“血液型”の本と“整理術”の本である。本来、書籍のタイトルでは著作権を主張できないはずなのだが、『断捨離』では独自ノウハウ名としてそれの独占権を主張しているようだ。その前には『捨てる技術』というのもあった。さすがに目に余るとテレビではめっきり出番が減ることになった血液型といっしょで、これという科学的な決め手はないものの、人の心理に強く訴えるなにかがあるのだろう。
 ガラクタやゴミを溜め込むのも、確かに問題がある。だがしかし、捨てるよりも残すことをもっと考えないといけない、そういう視点からの究明や検討対策なしに、ただ捨てればすっきりするというのは、どこかヘンではないかとかねてから主張してきた「伝伝虫」としては、またまた一言言いたくなるのをがまんしもやもやしてきた。
 そうしたら、ちゃんとそういった風潮にクギをさす論調が、先週水曜日(2011/08/03)の朝日新聞朝刊紙上に初めて出されたので、少しばかりすっきりした。
 「オピニオン 異議あり」の欄で、森永卓郎さんが捨てるリスクを述べている。問題はモノとココロの両面にあるのだが、とくに「心のガラクタは新しい発想の源」としているのにおおいに同感である。
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 先頃、ユネスコが世界記憶遺産として炭坑絵師の山本作兵衛の記録をまとめて認定した、というニユースがあった。これも、有名な作家ではないし、高値で売れるものでもないというので、ガラクタと紙一重のところにあったはずである。どこかで「残そう」というはっきりした意思が働かなければ、とっくに“整理され”ていたものであろう。地元から相談をされた文化庁も、意外に冷淡だったらしい。そこで、福岡県田川市は、独自にユネスコに申請してそれが認められた、という経緯があったようだ。
 権威も何もない当『岬めぐり』も、ガラクタ情報を訊ねる一面を大切にしている。
 訪問する岬とその周辺について、知っていることを整理し、もっと知りたいと知らなかったことを収集する。ところが、インターネット時代だの情報社会だのといわれながら、案外地域情報というのは、どこでも充実しているとは言い難い。個人情報(最近世間一般でいうのとは、だいぶニュアンスが違うが)もそうである。そんなことはどうでもいい、わからない、不明であると片づけられることが多いのだが、その背景には、いつかの時代にも何処かの誰かが、すっきりしたいといって捨ててしまったから、伝えられてこなかったのかもしれない。
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 様似の「サマニ」も「エンルム」も、北海道ではだいたいどこでもそうだろうと思われるアイヌ語源のようだが、前者は諸説あるが不明、後者は「岬」を意味しているという。つまり、エンルム岬は“みさき岬”なのだ。それを知ったのも、前項の「塩釜」について情報を得たのも、エンルム岬の付け根近くにある様似郷土館のスタッフブログからで、その実態はよくわからないながら、地元の断片的情報は少しここから探ることができた。
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 苫小牧から、実に3時間と40分かけて走り抜いてきた。日高本線の終点、様似駅を前にして、水鳥の浮かぶ様似川を渡るときには、町に灯がともる頃。その向うにこんもり岬のある山が盛り上がって見えてくる。enrumumisaki09.jpg
 苫小牧駅ではいったん外に出てみたもののなにもないので、また駅の改札を入るときに、うっかりスイカで入ってしまった。千歳空港駅でも苫小牧でも、JR東日本のスイカが使えるのである。けれども、それはまだ、札幌・小樽など限られた範囲のことであることに、都会に慣れた感覚は気が回らない。
 様似駅に降りる段になって、そのうかつさに気がついた。車掌さんに証明書を書いてもらい、翌日苫小牧で、3,150 円を精算することになった。ところが、うかつなことはすぐに改まらない。翌日もまたそれが続き、帰りの様似駅で苫小牧から登別までの特急券まで買おうとしてしまったのだ。
 「すいません。ここでは機械がないので指定はできないから車内でしてもらってください」という窓口のおばさんは、事務委託を受けている地元の人のようだった。そして、手書きで特急券をつくり、やおらソロバンを出してパチパチと計算を始めた。こちらこそ、とんだお手数かけてすみません。
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 様似駅前から襟裳岬までJRバスで往復するときは割引の往復切符があると、待合所に貼紙があった。通常往復2,600円が1,800円になるので、これは大幅お得。残念ながら様似駅の案内所窓口は午後6時を過ぎてもう閉まっていたのだ。
 様似駅や町役場のある海岸に近いところから、少し西に寄ったところから、指を折り曲げたような形で海に向かって突出しているのがエンルム岬である。その西には様似漁港があり、そこからそう離れていないところに親子岩がある。
 岬は、先のほうが70メートルもある断崖に取り巻かれた岩の島で、そこからなだらかな傾斜を経て砂浜の上にできた町とつながっている。
 この付近が「会所町」といわれ、また港の周辺が「本町」といわれるのは、様似の町がここから始まり、かつてはここが中心だったことを示していると解釈できそうだ。
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 寛政年間に、松前藩から蝦夷地支配の権限を取りあげて幕府に移したのには、その産物の経済的価値に注目したことと同時に、この頃から顕著になるロシアを始めとする外国船の脅威に備えるという大義名分もあったろう。
 米の穫れない松前藩では、家臣に漁業権を切り分けて家禄の支給に代えていたが、その実効を上げるために各地に運上所が設けられていた。幕府はこれを会所に模様替えして、役人を常駐させ蝦夷地支配拠点の役所とした。
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 東蝦夷では10か所の会所が設けられたというが、前々項の新冠やこの様似もそのなかにあった。とくに様似は、エンルム岬のおかげで良港となり、蝦夷三官寺(有珠と様似と厚岸)のひとつもここに置かれ、地理的にも重要ポイントになったことだろう。明治以降も駅逓所として、様似は日高地域南部の重要拠点であり続けたようだ。
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 エンルム岬も、少しだけ山登りをともなうがてっぺん付近まで行けそうなので、時間があれば、会所町まで歩いて行くつもりだったのだが、日勝線のバスダイヤと日高本線のダイヤが、連絡することだけを考えてつくられているか、あるいは実に中途半端な間隔しか残さないので、様似の町をうろうろする時間を与えてくれない。しかも、往路は日も暮れかかり、雨も降る。
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 したがって、写真はすべて復路のアポイ山荘から様似駅に向かうバスの中からのばかりで、変わり映えしない。
 様似町では、ポロサヌシベツ川の東尾根にあるアポイ山ジオパークの施設を利用して、小学校の先生などを講師に地元住民のための歴史や地理、フィールドワークなどの講座を設けているらしい。
 こういうことの積み重ねは、情報をガラクタ化させていつか捨てられないようにするためにも、どこでもいつでも必要なことであろうと、“伝え残す”をキャッチフレーズとする「伝伝虫」は思っている。
 もし、どうしても古いものを捨てたくなったときには、でんでんむしの『個人史の考え方』などもチェックしてみてくだされ。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度7分15.26秒 142度55分14.49秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2011/07/14〜15 訪問)

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タグ:北海道
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コメント 4

ぱぱくま

おはようございます。
岬めぐり北海道編ですね。
地方を訪れると都心の生活に慣れ切った自分に気付きますね。
過去には活気にあふれた街も衰退の一途を辿っていることも
dendenmushiさんの仰る使い捨てに通じるものがあるのかな・・・
by ぱぱくま (2011-08-13 07:44) 

dendenmushi

@ぱぱくまさん、おはようございます。
 いよいよ、北海道ですが、ご覧のようなお天気で…。
 この頃、東京では台風襲来前の猛暑が続いていた、ということでしたが…。
 ホントに、北海道に限らず、「地方が時間の推移とともに衰退してきている」ことを岬めぐりではよく感じます。
by dendenmushi (2011-08-15 06:12) 

ナツパパ

初めは岩礁だったのでしょうか。
見事な形の岬ですね。
by ナツパパ (2011-08-15 09:39) 

dendenmushi

@岩島だったのが、砂洲が育っていって、本土とつながってしまったのでしょう。
 周りは、断崖のようです。
by dendenmushi (2011-08-17 05:57) 

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