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660 沢崎=尾鷲市須賀利町(三重県)道なきところに岬ありてただ遠望するのみ [岬めぐり]

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 大台ケ原から島勝浦の無名の岬まで、紀北町海山(「うみやま」ではなく「みやま」と読む)区(旧海山町)の領域は東西20キロに達する。この岬のほか、海山区では無名の岬ばかりしかない。岬の名が付いたり付かなかったりするのは、いったいなぜだろうというのは、この「岬めぐりブログ」を始めた当初からの疑問であったが、結局辿り着いた結論は、「人との関わり方の濃淡による」としか考えようがなかった。そうだとしても、個々にそこがなぜそういう名前が付いて、ここには名前が付かなかったかという疑問が、完全に払拭されるわけではない。
 岬の名があるかないかは、国土地理院の地形図、それももっぱら電子国土の地図閲覧サービスによる2万5千分1地形図を基準にしている。
 ZENRINのソースを使っているネット上の地図については、前からいろいろ書いているように、はなはだ気に入らないのだが、その理由のひとつには情報の少なさがある。改定されて黒青茶緑の4色になった国土地理院の地図閲覧サービスは、さすがにそれらよりははるかにマシなのだが、それでもなお川や橋や湾やの名前をもっと細かく表示してもらいたいという気持ちがある。たとえば、先の「月島界隈」でいえば、晴海運河も朝潮大橋も朝潮運河も月島川も月島橋もその表示がなかった。他のネット地図も、これに習っているのか、名称表記にはまったく無頓着で熱心ではない。
 先日のニュースでは、官房長官が“島などの名前を地図に表記する”との発言をした、ということがちょろっとだけ報道された。これはもちろん、国境・領海・領土をめぐっての話であろうが、あたりまえの話である。たとえ人との関わりが希薄であっても、小さな岩島ひとつが領海を大きく左右するとあって、遅ればせながら注意喚起というわけだろう。
 このさい、国土地理院もできるだけ名前のあるものは細かく付けるように見直しをしてもらいたいと思う。しかし、それであまり岬の名前が増えてしまうと、ただでさえ数多い島嶼部を含む完全踏破は不可能とあきらめて、せめて北海道・本州・四国・九州・沖縄の主だったところの輪郭くらいはなぞっておきたいという抑えた願望も、さらにハードルが高くなって、ますます実現から遠ざかってしまいそうで悩ましい。
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 紀北町の南西に隣接するのは、尾鷲市である。
 尾鷲といえば、“年間降雨量が多いところ”ということで、古い記憶が刻まれていた。大台ケ原の原生林や、熊野の美林を養うのは、その雨のおかげであったはずだ。そこで、週間天気予報などを眺めながら、なんとか晴れたときを狙って行かなければならないと、計画していたわけである。
 昨年の暮から計画していたのに、暮れも年明けも都合が悪くなって見送ってきた。その後も月島の仕事場の引越しが済んで、さあ行こうと思った矢先の大震災。しばらくは自粛したうえで、やっと実現したのが今回の熊野路の岬めぐり。当初は、紀伊勝浦まで含めていた予定を、尾鷲中心で熊野市までに短縮してやっと実現したものである。
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 島勝浦の無名の岬が続くと、すぐ先に江戸崎という岬があるが、そこからは尾鷲市須賀利町の領域になる。でこぼこ半島の南端側だけが、なぜか尾鷲市の飛地のようになっていて、海を隔てて紀北町海山区に食い込むようにして、須賀利町はある。尾鷲の中心地から、その須賀利町へ行くには、船で行かなければならない。
 須賀利町には、名前のある岬は江戸鼻のほかに沢崎と尾南曽鼻と3つもある。しかし、いずれも、そこに至る道はない。
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 実は、江戸崎は沢崎の陰になって見通すことができないが、沢崎の岩島が連なる岬と、その手前にある三角の寺島は、港の微妙な立ち位置と角度によって、かろうじて確認できる。港の防波堤越しに見える、少し大きなふたこぶ島は佐波留島である。この島は、沢崎と港とのちょうど中間くらいに位置している。
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 尾鷲の港から連絡船に乗って行けば、もっと沢崎と尾南曽鼻には近づけるはずであったが、ここに載せた沢崎の写真は、いずれも尾鷲の港から撮った遠望写真ばかりである。
 なぜ、そんなことになってしまったのか…。それはね…。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度5分12.50秒 136度17分48.61秒
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dendenmushi.gif東海地方(2011/04/12 訪問)

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タグ:三重県
きた!みた!印(43)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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コメント 4

ナツパパ

無名の岬が多いとは驚きました。
おそらくこの付近は、江戸時代廻船の風待ち港が多いと思うのですが。
船乗りが岬の名前を付ける、ということはなかったのでしょうかねえ。

by ナツパパ (2011-06-10 18:01) 

ぱぱくま

命名される岬が増えるとdendenmushiさんのライフワークも
また楽しみが広がりますね・・・でも広がりすぎですか(^-^;
確かに無名は宜しくないですよね。たとえ無人でもはっきりと
主張しておくべきですね。

by ぱぱくま (2011-06-11 18:20) 

dendenmushi

@岬のほとんどは無名です。たまに目立つのや目印になるのや大きいのが、呼び習わすうちに名前が付いていくというのが、実情ではないでしょうか。
 その名付け親に、船乗りや漁師が多かったであろうことは、想像できますね。
by dendenmushi (2011-06-13 05:47) 

dendenmushi

@いやもう広がり過ぎるともう大変です。いまでも、完全踏破はあきらめているのですが…。
 どういう締めくくり方がいいか、考えてもみるのですが…。
by dendenmushi (2011-06-13 05:49) 

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