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59 勝鬨橋。この橋を渡るときいつも頭をよぎることはたとえば1940年のこんなことなんかで… [月島界隈]

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 1940(昭和15)年という年は、その後たくさん観た西部劇の原形ともいえるジョン・フォードの『駅馬車』が日本公開された年であり、隅田川の最下流に架かる可動橋「勝鬨橋」が開通した年であり、でんでんむしが生まれた年ということにもなっている。
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 この翌年の暮には、いよいよ太平洋戦争に追い込まれていくわけだが、その3年前から当時は“支那事変”と呼んでいた戦争は始まっていた。“事変”といっていたのは、宣戦布告がないままに拡大したからだが、今では言葉で真実を誤魔化そうとしていたともとれる日中戦争は、もはや抜き差しならぬところまではまり込んでいた。
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 だが、そんななかでこの年の紀元2600年のお祭り騒ぎは、国を挙げて全国各地でさまざまな行事が盛大に繰り広げられていた。その年に生まれたのに、“キゲンハニセンロッピャクネン~”という奉祝歌を、そのサビの部分だけだが幼年の頃口ずさんでいたという記憶があるのは、それくらいこの歌が広く歌われたということであろう。全国民が提灯行列をして練り歩いたのは、これから国を覆う暗雲が拡大するのを無意識のうちに予感して、派手に騒げばそれを振り払えるとでも思いたいための、空騒ぎだったのかもしれない。
 当時は“神話が史実”であったから、誰しもその実在を疑っていなかった(疑うことなど許されなかった)神武天皇が即位し、国を開いてから2600年の節目に当たるというので、そのための盛大なイベントがいろいろ計画されていた。
 世界的なイベントといえば、当時からやはりオリンピックと万国博覧会であった。ナチスドイツも、ベルリン・オリンピックをプロパガンダのためにおおいに利用したという先例があったばかりだった。
 ついでにいうと、映画史に残るリーフェンシュタールによってつくられたその記録映画『民族の祭典』が公開され、キネマ旬報の外国映画ベストテンの第一位となったのも1940年。
 大日本帝国もナチスに倣って、この祭りにオリンピックと万博をあわせて、国威発揚に努めたいという思惑があったのだろう。オリンピックと万博を一緒にやろうというのは、盆と正月が一緒に来るようなもので、今風にいえば「あり得ない」ような計画であった。
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 結論から言えば、戦争の雲行きが怪しくなってきて、さすがの軍部もそれどころではあるまいと反対に回ったため、2年前になって計画は中止となり、盆も正月も両方こなくなってしまう。
 その万博の会場として予定されていたのが、当時の“月島四号地”、つまり晴海地区で、実はこの勝鬨橋は、万博会場への実質的メインゲートとして計画・架橋されたものであった。
 そのため、設計から施工まで外国に頼らず、すべて日本人の手によってつくることでその技術力を世界に誇示すべく、新興国日本の風格と格式を表わすものでなければならなかった。だが、架橋は一時のお祭り騒ぎのためにのみ計画されたわけではない。石川島造船所をはじめとして、多数の工場なども多く集って住民も増えていた月島地区との交通路が、相生橋一本では足りなくなっていたので、実用的な要請のほうが強かった。そのため、万博は中止になっても、橋の建設だけは続けられ完成した。
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 この橋ができる前には、ここには「かちどきの渡し」という渡し船が往来していた。なぜ「勝鬨」なのかといえば、その渡し自体が、1905(明治38)年に“旅順陥落祝勝記念”としてできたものだからである。なんと、日露戦争の“かちどき”だったのである。
 「東洋一の可動橋」と呼ばれ、橋桁の中央部が「ハ」の字型に開くようなしくみになっていたのは、当時の隅田川の海運が盛んだったことを示している。橋には路面電車用レールが敷設されていたが、実際に電車が走ったのは1947年から1968年までの間で、でんでんむしも一度くらいは都電で橋を渡ったはずである。一日三回開いていた跳ね橋も、船の航行が減る一方では車の通行が増大し、1970(昭和45)年に試験的に開いたのを最後に、開かずの跳ね橋になっている。今も、中央部の塔屋には信号機が残っている。
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 橋の袂にあるささやかな資料館を見学すると、この橋のしくみもよくわかる。跳ね橋の錘が格納されている真ん中の橋脚の中に入ることができる見学ツアーもやっていたが、結局これには参加できないで終わった。
 橋の歩道と車道を分けるアーチの下部には、勝鬨橋が開くときの様子を時系列に示す鉄製の飾り(透かし彫りのような)がはめ込まれている。bkachidoki13.jpg
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 資料館の反対側対岸にある「デニーズ」に行くと、勝鬨橋を再び開くようにしようという運動をしている団体の機関紙のようなものが置いてあったりする。だが、跳ね橋を開くのは、もう電源も喪失(この表現が馴染むようになってしまった)しているので、ムリであろう。
 「デニーズ」で思い出したのは、ディズニーがつくった世界最初の長編漫画映画『白雪姫』のことである。アニメという言葉はまだ使われていなかったが、これも映画史に残る傑作であった。この映画は1940年ではないが、日本の軍隊が大陸に突き進んでいく頃にはすでに完成していた。ところが、アメリカと戦争をする日本とドイツでは、すぐに公開されることはなかった。日本人とドイツ人が『白雪姫』を見ることができたのは、それから13年も経った1950年になってからだった。
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 「デニーズ」のあるイヌイの建物は、昔は屋上にイヌイ倉庫のマークをつけていたのだが、今では伊達政宗の兜の月ほど細くはない三日月をのっけている。イヌイ倉庫のホームページには、勝鬨橋周辺の変遷がわかる古い写真などもある。だが、この月のモニュメントの説明はなかった。
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 晴海通りの南側もイヌイ倉庫のビルで、高層の賃貸マンションが工事中の頃の写真もあわせて見ると、月島第二小学校の時計台は、少し前までは勝鬨橋とセットで写り込んでいた。
 隅田川の河口からほぼ1キロほどの位置にある勝鬨橋の右岸南には、築地市場が展開していて、ここにもランチでときどき行ったものだ。
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 また、“幻の晴海万博”に戻るが、これも計画倒れで終わったというようなものではなく、かなり本気でやるつもりだった。6年前に「月島図書館だより“MONJA”」で知って、「へぇー」と驚いたことがあった。それは、この万博の前売り券をなんと“100万冊”も売ったということ、その80%は払い戻しで回収されたということ。そしてさらに、1970(昭和45)年の大阪万博でこの券が有効であったこと、そしてまた、実際に大阪万博の優待券と引き換えられた(券には交付印が押されて持ち主に返却された)ものが3,077件もあったということである。
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 空襲なんかもあったのに、みんなよく大事にとっているもんだ。
 そんなこんなの勝鬨橋は、でんでんむしと同い年。跳ね橋部分は大きなトラックが通るとガタピシ揺れるので少し不安だけれど、花崗岩の欄干やしっかりした石組みの橋は、まだまだそれなりの貫録を示している。
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dendenmushi.gif(2011/05/24 記)

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タグ:月島 勝どき
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きた!みた!印 34

コメント 6

【みなと】

今回の記事で,dendenmushiさんのお歳を知りました。
ちょっとビックリ(◎o◎)もっとお若い方だと思っておりましたので…(^^;
これからも,月島をはじめ津々浦々のお話を楽しみにしております♪
by 【みなと】 (2011-05-24 16:32) 

ナツパパ

我が家のお墓は、築地本願寺の末寺にあります。
そこからはかちどき橋がよく見えるんですよ。
叔父叔母に聞くと、法事などでお寺に行くとき、
かちどき橋が上がるところを見せてやる、と祖父に言われたとか。
それでついていくのですから、昔の子どもは素朴でした。
...でもね、今、かちどき橋が上がるところ見せてやる、と誘われたら、
わたし絶対付いていきますね。
by ナツパパ (2011-05-24 19:37) 

dendenmushi

@みなとさん、(◎o◎)ですか。そうです、でんでんむしはもうけっこうジジイです。
 月島は、いよいよ終わりますので、津々浦々のほうに戻ろうと思っていますが、そうなるとますますマイナーに入り込みます。
by dendenmushi (2011-05-27 05:42) 

dendenmushi

@昔はね、晴海通りも高い建物もなかったので、築地から一直線に見通せましたよね。
 ほんと、今上げれば、カメラを持ってみんながたくさん集ってくるでしょうね。
by dendenmushi (2011-05-27 05:44) 

ぱぱくま

こんにちは。
dendenmushiさん、うちのオヤジは昭和13年生まれです!
いやいやこれまでの記事の中で一番の驚きでした。ご無礼をお許しください(^-^;
ご存じの通り職場が新川なので入社してから隅田川界隈を散歩するようになりました。勝鬨橋の重厚な造りを眺めていると、そう遠くない過去のはずなのに時の流れを感じます。橋の鉄骨に打ち込まれた無数のビートも好きなんですよ。岬巡りの記事も楽しみにしております♪
by ぱぱくま (2011-05-28 12:31) 

dendenmushi

@ぱぱくまさんのぱぱと、でんでんむしはほぼ同世代ですね。そうですか、そんなに“驚き”ですか。“ご無礼”なことなど、なにもないですよ。
 「ビート」というのは、ボルトの頭のことですか。もしそうなら、それはもっと上流の清洲橋がいちばんです。
by dendenmushi (2011-05-30 06:51) 

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