SSブログ

53 「海水館跡」って。一部では有名らしいここもかつては景勝地であったというがその面影も何もない [月島界隈]

kaisuikan04.jpg
 その名も「相生の里」という高齢者施設が、相生橋の袂にできて、南へ向かうテラスが少し延びた。同時に、堤防の下の道が整備されて、橋から行き止まりの小さな三角定規のような公園まで、通行できるようになったのは、比較的最近のことである。
 でんでんむしは散歩のとき、以前は小公園と相生橋の間の堤防下は、途中で民家の間の路地に降りて、清澄通りに戻らなければなければならなかった。おまけに、周辺の家々の菜園やら花壇やら盆栽棚やら果樹園やらが、堂々と占拠していた。いつもむりやり通り抜けていたが、およそ通路などではなかった。東京都中央区も、気がつかなかったわけではないだろうから、長い間公有地の私的占拠状態を黙認していたのだろう。堤防下はコンクリートで固めてあるので、それらの植物は鉢物や発砲スチロールやプラスチックの容器に土を入れて、育てられていた。その頃の写真もあったはずなのだが、見当たらない。
kaisuikan05.jpg
 「相生の里」の川寄りのオープンスペースから、堤防下へ降りる階段もできていて、通行の邪魔になるものは撤去されてきれいになっていた。レッドカーペットのような道の脇、堤防の支えになっている桁の間には、少なくとも通行の妨げにはならないスペースがある。菜園や花壇や盆栽は、そこにきれいにまとめられていた。
 この通路を行くと、三角形の小さな公園で行き止まりになるのだが、その手前に道に降りる場所があり、そこが「海水館跡」なのである。
kaisuikan06.jpg
 情報量の少ない今のネット地図では、当然のごとく無視されているが、かつて愛用していた東京の地図には、ちゃんとそれが表示されていた。そこで湯島から月島へシマを変えてやって来たときに、さっそく「いったいこれはなんだろう」と思って、佃三丁目の道が直角に曲がる曲がり角にあたる現地を訪ねた。その後も、散歩のコースによっては、よくこの周辺も歩いてきた。
 文学散歩マニアの間では、それなりに注目されてもいたようで、そこには明治学院大学の藤村研究部が建てたという堂々たる記念碑が、わずかなスペースをブロック塀に囲まれて立っていた。どうやら、母校の先輩を顕彰するものらしい。
kaisuikan01.jpg
 ここに、明治38年から関東大震災で焼失するまで、「海水館」という旅館兼下宿屋があり、多くの文人なども訪れたというのだ。なかでも、島崎藤村、小山内薫、吉井勇、三木露風などは、ここに滞在して創作活動をしたと伝わっている。東京都中央区のネットでの説明には、「月島の 広き草原風吹きて 東の風の 涼しかりけり」という露風の歌が紹介されているが、吉井勇の歌にも、「冬の海 見ればかなしや新佃 海水館は わび住みにして」というのがある。佃島の延長埋立地は、“新佃”と呼ばれていた。
kaisuikan02.jpg
 今、「海水館の記」という碑が立つ場所は、住宅の切れ目ですぐ堤防が迫っている。人の背丈よりも高い堤防なので、川が眺められるわけでもない。堤防の下で背伸びしても、豊洲のビルの頭が見えるだけで、どこをどうみてもそんなにありがたいような場所ではない。
kaisuikan03.jpg
 ところが、「海水館」があった頃には、東京湾に面した新佃の海岸には松林が続き、晴れた日には遠く房総の山々を眺める風光明媚の地であったらしい。海に向かってせり出すような二階建ての建物からは、釣りもできたし、温泉こそなかったが一日中風呂が沸いていた、というのである。
 そこで、思い出していただきたいのは「月島」の名は“月の名所”だったからということである。41の初見橋の項で、大江戸線の改札口にある月をモチーフにした壁面も紹介している。「月島」の名は「築地」と同じく「築島」から転じたという説もあるが、両方正しいのであって、どちらか一方だけということではあるまい。
 おそらくは、その月の名所の観月スポットとしても、「海水館」は人気があったのだろう。
 藤村がここで書いたのは、『春』という作品である。ブンガクが苦手なでんでんむしも、藤村の代表作のいくつかは読んでいるが、これは読んでいない。『桜の実の熟する時』はまだよかったが、その続編のようなモデル小説であるらしいから、これから先も読むことはないだろう。
dendenmushi.gif(2011/05/06記)

にほんブログ村 その他趣味ブログその他珍しい趣味へ
にほんブログ村

 


タグ:月島
きた!みた!印(28)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 28

コメント 2

ナツパパ

>東京湾に面して松林が続いて...
良いところだったんですねえ。
夏などはきっと海からの風が心地よかったことでしょう。
今の月島からは想像できませんけれど、その時代に月島を歩いて
みたいものです。
by ナツパパ (2011-05-06 08:26) 

dendenmushi

@その松林だけでも残しておけば、今ごろは地域の大きな財産になっていたことでしょうに…ね。
 そういうことは、あちこちにたくさんありそうです。
by dendenmushi (2011-05-09 05:24) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました