43 佃天台子育地蔵尊。なぜこんなところにこんな不可思議な空間が生まれたのだろう [月島界隈]
佃小橋の手前、袋小路になった堀のそばに、小さな社があるのはお稲荷さんで、その前に住宅と住宅の間に挟まれた細い路地がある。その幅は、わずか数十センチで、通常であればそこへよそ者が入って行くのははばかられる。だが、その路地の南東側(どちらかというと、こちらのほうが正門らしく、アーチも設けられている)には赤い幟が二本はためいており、北西側にも看板がぶら下がっていて、「佃天台地蔵尊」の入口であることを示しているので、誰でも入って行ってよいのである。
路地のなかほどには、お地蔵さんが祀られているが、これが普通のお地蔵さんではない。黒い板のような石に線画でその姿が彫られている。線刻の地蔵像というのはめずらしい。
これが、なぜこのような場所にあるのか、それについての確かな説明、詳しい由来は、どこにもないようである。
ただ、江戸中期の正徳~元文年間に、地蔵菩薩を厚く信仰した上野寛永寺崇徳院宮法親王が、自ら地蔵尊像を描いて江戸府内の寺院に地蔵尊造立を促したという言い伝えと、地蔵比丘といわれた妙運大和尚がこの宮が描いた地蔵尊を写して全国の信者に八萬四千体石地蔵尊建立を発願したという話がある。
佃の天台子育地蔵尊には、天台地蔵比丘妙運の刻銘があり、これこそその拝写された地蔵の姿そのものではないか、といわれている。
けれども、ここは寺院でもなく、地蔵堂があるわけでもない。佃の四角い島に隣接して、漁のための船着き場だったと推測される場所である。佃島の東南側の海に面して小舟が蝟集し、帆柱を林立させているそのさまは、広重の描き残している浮世絵版画などからも、充分にうかがえるのである。
幼くして世を去ったこどもを慰霊し、こどもの無事な成長を願う地蔵が、ここにあるのはおおいに謎含みであるが、佃島に暮らす人々が、代々これを守って今日に伝えてきた事実に変わりはない。
地蔵の前には、一抱えもあるイチョウの大木の幹がでーんと立っている。ネット情報でこの佃天台地蔵を取り上げたものは数多いが、そこでよくあるイチョウの説明が「屋根を突き抜けてそびえている」といった描写である。
へそまがりは、こういうところにもひっかかってしまう。タケノコではないのだから、そうではあるまい。
第一、この場所にできた当初の状況から想像してみると、地蔵の周りに家が建ち並ぶようになって、イチョウごと今のように取り囲んでしまったのだろう。もともとそうして残された空間には屋根はなく、お堂もない。屋根のような天蓋のような覆いはあとから付け加えられ、周囲の家の壁が自然にお堂のような祠のような形態に整えられていったのではないか。
イチョウはその過程でも切り倒されることなく、大切に保護され、今ではその幹の周りに合わせて造作が施され、このなんとも不可思議な空間をつくることになった。そう考えるのが、どうもしっくりくる。
祠の向かい側には、薄暗い路地に面してきれいに整えられた民家の玄関らしい入口もあって、地蔵とともに暮らしてきたここの人々の心情にふと思いをはせる。人々の子を思う自然な気持ちの深さが、この地蔵をここまで残してきたのだろう。
確か、以前の東京の地図には、この場所も明記されていたような記憶があるのだが、現在ネット地図を席巻しているZENRINソースの地図では、完全に無視されている。
しかし、それはかつてこのイチョウをなんとかの記念樹に指定しようという沙汰があったのを、丁寧にご辞退したというここの人々にとって、むしろ望ましいことなのであって、テレビクルーがどやどやとやってきたりするのも迷惑なことだろう。
これから先、東日本の太平洋岸では、あちらこちらに新しいお地蔵さんができることになるのかもしれない。人の悲しみは、深ければ深いほど、それを肩代わりすることはおろか、共有することすらも決してできない。ただ、やさしく見守ることしかできないのだ。
(2011/04/01 記)
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路地のなかほどには、お地蔵さんが祀られているが、これが普通のお地蔵さんではない。黒い板のような石に線画でその姿が彫られている。線刻の地蔵像というのはめずらしい。
これが、なぜこのような場所にあるのか、それについての確かな説明、詳しい由来は、どこにもないようである。
ただ、江戸中期の正徳~元文年間に、地蔵菩薩を厚く信仰した上野寛永寺崇徳院宮法親王が、自ら地蔵尊像を描いて江戸府内の寺院に地蔵尊造立を促したという言い伝えと、地蔵比丘といわれた妙運大和尚がこの宮が描いた地蔵尊を写して全国の信者に八萬四千体石地蔵尊建立を発願したという話がある。
佃の天台子育地蔵尊には、天台地蔵比丘妙運の刻銘があり、これこそその拝写された地蔵の姿そのものではないか、といわれている。
けれども、ここは寺院でもなく、地蔵堂があるわけでもない。佃の四角い島に隣接して、漁のための船着き場だったと推測される場所である。佃島の東南側の海に面して小舟が蝟集し、帆柱を林立させているそのさまは、広重の描き残している浮世絵版画などからも、充分にうかがえるのである。
幼くして世を去ったこどもを慰霊し、こどもの無事な成長を願う地蔵が、ここにあるのはおおいに謎含みであるが、佃島に暮らす人々が、代々これを守って今日に伝えてきた事実に変わりはない。
地蔵の前には、一抱えもあるイチョウの大木の幹がでーんと立っている。ネット情報でこの佃天台地蔵を取り上げたものは数多いが、そこでよくあるイチョウの説明が「屋根を突き抜けてそびえている」といった描写である。
へそまがりは、こういうところにもひっかかってしまう。タケノコではないのだから、そうではあるまい。
第一、この場所にできた当初の状況から想像してみると、地蔵の周りに家が建ち並ぶようになって、イチョウごと今のように取り囲んでしまったのだろう。もともとそうして残された空間には屋根はなく、お堂もない。屋根のような天蓋のような覆いはあとから付け加えられ、周囲の家の壁が自然にお堂のような祠のような形態に整えられていったのではないか。
イチョウはその過程でも切り倒されることなく、大切に保護され、今ではその幹の周りに合わせて造作が施され、このなんとも不可思議な空間をつくることになった。そう考えるのが、どうもしっくりくる。
祠の向かい側には、薄暗い路地に面してきれいに整えられた民家の玄関らしい入口もあって、地蔵とともに暮らしてきたここの人々の心情にふと思いをはせる。人々の子を思う自然な気持ちの深さが、この地蔵をここまで残してきたのだろう。
確か、以前の東京の地図には、この場所も明記されていたような記憶があるのだが、現在ネット地図を席巻しているZENRINソースの地図では、完全に無視されている。
しかし、それはかつてこのイチョウをなんとかの記念樹に指定しようという沙汰があったのを、丁寧にご辞退したというここの人々にとって、むしろ望ましいことなのであって、テレビクルーがどやどやとやってきたりするのも迷惑なことだろう。
これから先、東日本の太平洋岸では、あちらこちらに新しいお地蔵さんができることになるのかもしれない。人の悲しみは、深ければ深いほど、それを肩代わりすることはおろか、共有することすらも決してできない。ただ、やさしく見守ることしかできないのだ。
(2011/04/01 記)
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このお地蔵さんは初めて知りました。
素敵な雰囲気、如何にも地域の方々の信仰を集めているようで、
一度お詣りに行きたいです。
by ナツパパ (2011-04-01 07:57)
さあ誰でもおいでと手を広げて迎えられる祈りの場ではなく、内へ内へと心の奥深くへと向かう祈り。
そうした祈りが存在することに、なにか救われる気がします。
by お水番 (2011-04-01 12:03)
はじめまして。
月島の辺りは行こうと思えば自転車でも行かれる位の距離なんですが、あまり散策したことがありません。
高層マンションと、昔ながらの雰囲気が残る所とがあり、なんだか不思議な雰囲気だというイメージです。
そうですね、ただ優しく見守り続けることしかできません。
by okayu (2011-04-01 13:18)
こんにちは。
写真だけみると一瞬かわいそうとも思えるのですが、
住人達のお地蔵さまや銀杏に寄せる思いが伝わってきます。
私の住む地域の神社にも大きな銀杏の木があります。
神社仏閣に銀杏は深いかかわりがありますね。
dendenmushiさんは月島・佃界隈をこよなく愛してますね。
再開発の波に呑まれることなく、らしらを残していけるよう
見守っていきたいですし、その思いも伝わってきました(^-^)/
by ぱぱくま (2011-04-02 10:10)
地図から消えた地蔵尊。。。
それだけでも、興味が湧いてきます。
by つぼっち (2011-04-03 23:05)
@お参りに行かれたら、奥の左手にある黒い石をよく見てください。それが、お地蔵さんです。普通のイメージのお地蔵さんとは、まったく違いますよ。
by dendenmushi (2011-04-06 05:35)
@内へと向かう祈り…ですか。なるほどね、そういわれてみると、このロケーションはそんな気がしてきますね。
by dendenmushi (2011-04-06 05:37)
@okayuさん、ぜひ自転車を転がして、お花見に来てください。今時分はちょうど佃公園のサクラもいいですよ〜。
お花見宴会自粛の看板も立っていますけど…。
by dendenmushi (2011-04-06 05:41)
@イチョウはね、そうですね。たいていありますね。鎌倉の大銀杏も有名ですが、嵐で倒れて、今はまた株からたくさんの枝というのか、芽というのか、ニョキニョキ延びています。
by dendenmushi (2011-04-06 05:46)
@地図から消えたというか、ZENRINの地図では何を入れて何を入れないか、その基準がきわめてテキトーのような気がするので、堀の側のお稲荷さんは表記しても、この地蔵は入れない。そこに特別な意図があるわけでもなさそうです。
by dendenmushi (2011-04-06 05:51)