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40 旭倉庫と月島機械と。佃大橋の工事で佃の南西の堀は埋められてしまったので [月島界隈]

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 佃大橋の月島側と佃側には、それぞれテラスに通じる階段があって、堤防を越えられる。月島側には少し下流に月島一丁目児童遊園にもテラスへの階段がある。この付近は、堤防の内側も遊歩道が整備されていて、かなり古いサクラの並木があるのだが、マンションやビルの工事の度に、それが少しずつ短くなっているような気がする。
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 去年はまだこれくらいあったのだが…。soko&kikai02.jpg
 ここから佃大橋にかけては、比較的大規模のビルなども並んでいて、その端に旭倉庫がある。これは隅田川の対岸からでも目立つ大きな看板が立っているので、一般にも名前だけはよく知られている。(この写真は、やはり数年前のものです)。
 スペインクラブという一部では有名らしい店も、その倉庫だった建物の一角にある。今はもう使われなくなった倉庫の一部を利用したらしく、トラックの荷台の高さに入口がある。それも敷居が高い(文字通り)理由の店で、昼間しか、それも一度しか行ったことがないままになってしまった。中に入ると、広い空間の壁面いっぱいに、ベラスケスの模写が描かれていて、全体的な雰囲気とともに、なにやら場違いなところにいるようで、圧倒されるような気がした、という記憶がある。
 旭倉庫は、大正時代に薬品や染料などの貿易関係者によって発起されたというが、勝ちどきにある月島倉庫(こちらは戦後すぐの設立だが)とともに、この新開地が江戸湊の流れをくむ東京の港湾施設にも利用されてきたことがよくわかる。
 昭和50年代の終わりから、旭倉庫は不動産事業に進出していて、今では月島の倉庫機能は小さくなっているらしいが、前からよく聞いていたあることと、ここはどうも深く関わりがありそうなのだ。
 それは、音楽関係者の間では、録音などのスタジオが月島にあって、よく使われている、という話である。ラジオを聞いていて、ミュージシャンなどが話しをするなかに、ぽろっとそんな話がでてきたりする。なんどかそんな情報を耳にし、それを覚えていただけだが、具体的に旭倉庫がそれとどう関わっているのか、この付近のどのビルにそんなところがあるのか、今もってまったく不明である。
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 佃大橋からの道は高架となって、月島と佃の間を通り抜ける。西仲通りの北端が、その陸橋の下の交差点になり、その角にはそこだけ異質な感じで説教所なるものが残っている。その向かいのマクドナルドの2階へは、iPadが発売されたときに、無線LAN(WiFi)を試すのが目的で入ったことがある。
 そのときも、この説教所の屋根を、ふしぎな気分で眺めていたのだが、そこで改めて気がついたのは、月島にはお寺がないということであった。いや、ないことはないのだ。長屋の一区画を超えない程度の、よく見ると確かにお寺の表札が出ている、というようなところが、あるにはある。
 佃島の古い住民の先祖の多くは、築地本願寺の檀家である。なにしろ本願寺を築地に移すときにも、船を出してまだ不確かな地盤を埋め立てる手伝いまでしたというから、浅からぬ縁である。そんなことともこの説教所は、どこかでつながる因縁があるのかもしれない。
 マクドナルドの2階から交差点の佃側を見ると、横断歩道を渡ったところが月島機械である。
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 前に、月島四丁目付近では鉄工機械の工場などもあったと書いたが、月島機械が創業したのも四丁目のほうで、それが明治38年であるというから、埋め立てが終わってしばらくしてもう進出していたことになる。現在の佃に本社を新築移転したのは、昭和45年のことである。
 月島は、長屋ばかりではなかった。倉庫と機械工業は、月島の歴史のうえで、重要なものだった。月島機械にしろ、月島倉庫にしろ、もともとは月島だったからそう名乗っていたものが、片方は佃へ移転し、片方は倉庫のある場所は変わらないのに地名の方が勝ちどきに変わってしまった、というわけだ。
 陸橋が佃大橋と朝潮大橋をつなぐ下を、東京メトロ有楽町線が走っている。この橋を架け、道を通すときに、実は佃島も南西側の堀を埋められて月島と地続きとなり、昔からの小さな四角い佃島は、オリンピックがやってくる前に姿を消していた。かつての掘り割りの上を、高架の道路が走り、その下は駐車場になっていて、なんとも中途半端な空間が残されている。
 昭和55年には新富町まできていた地下鉄有楽町線が、そこから隅田川を渡り、新富町=新木場間へと延伸されるのは昭和63年からのことだった。その工事にさいして、さすがにそのオリンピック道路で埋め立てられた掘り割りの下をもぐりたくはなかったのだろう。
 そんなわけで、有楽町線は佃大橋の南に少しずれたところで隅田川をくぐり抜け、掘り割りのあった場所をよけて月島駅で高架下に戻っている。月島機械前の高架下には、月島駅への通路につながるエレベーターがある。この付近から、有楽町線は道路の下に戻っている。
dendenmushi.gif(2011/03/09 記)

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タグ:月島
きた!みた!印(36)  コメント(10)  トラックバック(0) 
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コメント 10

ナツパパ

あ、家のお墓は、築地本願寺の末寺にあるんです。
本願寺に沿って、晴海どおり沿いにお寺が何軒か並んでいますが、
そこなんですよね。
叔父や叔母は、彼岸やお盆の墓参りの際、かちどき橋が上がるところ
を見せてやる、という言葉につられて築地まで来たそうですよ。
by ナツパパ (2011-03-09 08:29) 

お水番

産業と埋め立ての歴史、興味深く拝読いたしました。
by お水番 (2011-03-09 09:35) 

ぱぱくま

dendenmushiさん 引っ越し疲れ大丈夫でしたか(^-^;
堀を埋めたかどうか普段は気付かないですよね。私の通勤経路も堀を埋めた道なんですよ。
by ぱぱくま (2011-03-09 21:45) 

montblanc

東京には陸にも川にもたくさん橋がかかっていますね^^
月島とかもんじゃ食べてみたいなぁ~とか思ったり・・・
東京、これから桜のキレイな季節ですね♪
by montblanc (2011-03-09 23:48) 

風太郎

佃島から勝鬨橋を渡ると月島。勝鬨橋は上げ潮時に大型船が通るときに「ハ」の字型に上がります。煙突が衝突しないようにです。
by 風太郎 (2011-03-10 16:24) 

dendenmushi

@晴海通りには二つのお寺が並んでいますよね。本願寺の南入口のところには、芭蕉の句碑(「大津絵の筆のはじめは何佛」)があるんですよ。これが、どういういわれによって、こんなところにあるのか、不思議です。築地市場の場外にも4つくらい本願寺さんの末寺があります。
by dendenmushi (2011-03-12 06:04) 

dendenmushi

@まあ、産業と埋め立ての歴史…というほど大げさなモノではないのですが、こういうことにも目を向けてみると、なかなか興味深いものがありますね。結構、好きなんです。こういうの。
by dendenmushi (2011-03-12 06:06) 

dendenmushi

@堀を埋めたところはたくさんあるんでしょうね。ただ、ここの場合は、有楽町線がわざわざ意図的にそこを避けているのがありありとわかって、おもしろいと思いました。
 時間があまり経過していない、という理由なのでしょうかね。
by dendenmushi (2011-03-12 06:08) 

dendenmushi

@montblancさんは、はじめまして、ですね。「東京には陸にも川にもたくさん橋がかかっていますね^^」そうなんですよ。陸にも橋というのがいいですね。
 今日の初見橋も、まさしく陸の橋です。
 サクラが咲いたら、ぜひおでかけください。
by dendenmushi (2011-03-12 06:10) 

dendenmushi

@勝鬨橋をあげようという運動をしている会もあるんですよ。昭和40年代に一度試験的にハの字型に開いたことあるのですが、もう何十年も開かずの勝鬨橋です。
 この短期集中連載『月島界隈』の最後は、やはり勝鬨橋で閉めましょうかね。
by dendenmushi (2011-03-12 06:10) 

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