SSブログ

10 月島の歴史=その2。月島の築島はこうして始まりこうしてできたが初めのうちは… [月島界隈]

tykatotuT.png

 tujusunagadejurymae1.jpg

 1-2 月島の築島

 月島はこうしてできた…

 月島ができるもとになったのは、東京府が明治16年に計画した東京湾浚渫事業でした。そして、その計画が生まれたのは、明治の国づくり の一大プランとして浮上していた東京築港計画がご破算になり、その一方で、隅田川河口に大量の土砂が堆積し、小舟でさえ航行がままならない状態になってい たからでした。浚渫した土砂は、佃島の南側の洲一帯の埋立てに使うことになったのです。明治20年から始まった埋立ての結果、明治24年には月島一号地 (いまの月島一丁目〜四丁目)が、明治27年には月島二号地(いまの勝どき一丁目〜四丁目)、明治29年には新佃島(いまの佃三丁目付近)が生まれます。 それから、少しおいてさらに埋立ては続きます。大正2年には月島三号地(いまの勝どき五丁目〜六丁目)が、昭和に入って6年には月島四号地(いまの晴海) がそれぞれ完成します。ずーっとくだって、昭和37年に豊海が造成されています。
 埋立ての工事を担当したのは、日本土木会社(後の大倉組、大成建設)でした。
 「月島」というちょっと風雅な名前は、「築島」という文字通りの呼び名に加えて、“名月やここ住吉の佃島”という宝井其角の句があるように、観月に適した地とのイメージをあてたものでしょう。
 月島は一丁目から十二丁目までの広く長い地域だったのです。ところが、昭和40年から例の新住居表示で「勝どき」という表示に分割してしまったので、昔 の名残りで、月島第二小学校も、月島警察署も、消防署の月島出張所も、月島倉庫も、月島埠頭も、新月島川も、銀行の月島支店も、いまはすべて「勝どき」に あるという妙なことになっています。

 埋め立てた当初はこんな状況だった…

 『新撰東京名所図会』による

 「月島は将来工業発展の地なるべし。大小の工場、煙突蜂起、煤煙漲らし、海風来る所飄よう四 散の状、はなはだ奇観を呈せり。埋築工事落成の後、日未だ浅ければ、新開地の人家稀少、その市てんと目される辺も、日常須要の物品をここに販売するのみ。 これ佃島に隣れる第一区の地たり。第二区は日本鋳鉄会社の建物及び水道鉄管置場の外は雑草離々、何通何丁目としたる木標、原野に乱立せり。而うして埋築の 工事竣工の後、数年間は全島の周囲に板囲いを施せしも、方今は石垣を築きて板塀を撤せり。面積二十万坪と称する新天地、汐干狩の帰途舟を寄せて翠を拾うに まかせつ、運動会、自転車のレースに適せりと知られつるも近年なり。翠緑尽頭、碧藍に連なり、ひょうぼう際なく、遠く房総諸山を望むべく、その西端波立際 に立てば、浜離宮より増上寺の森、芝浜、高輪、品川の風致、台場は近く海面に浮び、き帆仄帆神奈川県に亘り、水天髣髴間、帝国軍艦の陰影を認むることあり となむ。波によりて波間に漂う青海苔また啜らるべし。時にしんしん、海岸の嘱望撰びて別しょを構うるも、寥々として空地を存せり。地価を問えば、市参事会 にて、一坪七厘ないし一銭五厘位にて貸与するなりといえり。東京市中、しかも銀座市街を有する京橋区内に於て、広漠なる原頭、雨淋風打の痕繁く、粛々又寂 々然たり。俄然、寂莫を破るものあり、凌雲の煙突ならびに鍛鉄造船の響きなり。設計によれば、同島より築地及び深川の両方面に長橋梁を架設すべしといえ ば、その暁には、築島また繁栄の地たらむとす。」

 字がないのが困るけど、こんな昔の文章っていいですね。名文というわけではないかも知れないけど「声に出して読みた」くなりますね。
 こんな状況が埋立て後もしばらく続くので、東京市は貸し地にして安い賃料で貸し出します。それでも借地人が少ないので、一等地でも賃料月二銭一厘に値下 げしたそうです。明治38年の日露戦争のころには、それでも40%くらいしか家が建っていなかったようです。それもそのはず、埋立地には水がなく、舟で水 を売りに来たそうですし、まだ橋も架かっていず、渡し船で行くしかない、ほんとの島だったのです。
 高層マンションが何棟も林立し、もんじゃの明かりに遠くから人が集まるいまの月島からは、想像もできないですね。
 それにしても、この月島の一角に生息するでんでんむし@管理人は、こういうのって「SimCity」そのものじゃないの、と楽しく嬉しくなりますね。(2003/1 記)

 dendenmushi.gif(2011/01/17 転載再録)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ
にほんブログ村
タグ:月島
きた!みた!印(27)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 27

コメント 2

お水番

ご訪問くださり、ありがとうございました。
岬は陸地のどん詰まりでもあり、海や空や「あの世」との出入り口でもあり、面白いですね。
by お水番 (2011-01-17 09:34) 

dendenmushi

@お水番さん、そうなんですよ、岬に立っていると、ほんとにこの人間の世界、われわれが知っている(かも知れない)世界が、そこで終わっているという感じがします。
 そこから先は、異境・異界であり、まさしくこの世の終わりの縁にいると思うのです。
 砂浜でもどこでも海辺なら同じじゃないかという人は、もちろんどこでもいいのです。
 だが、人間の世界がだんだん細く頼りなくなっていく岬がより象徴的だと…。
by dendenmushi (2011-01-18 06:25) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました