自称『岬評論家』でんでんむしの日本全国津々浦々突端出っ張り訪問記録。電車とバスときどきタクシーと船自転車でってえのがミソ。これってスゴくない?
月島の埋め立ては、月島川までが第1期分で、これが完成したのが1892年(明治25)年である。かつてはこの区域を「月島一号地」と呼んでいた。それから大正年間にかけて進められた、東京湾の浚渫(当時は「澪浚(みおさらい)」といった)による埋め立ては、続いて「月島二号地」「月島三号地」…と延びていくのだが、この水門もそれに伴ってできたものであろう。 水門の役目は、防災上の観点からの流水量の調節が第一であろうが、通常は常時開きっぱなしで、屋形船やお仕事に出かける千羽丸も行き先によってはこの狭き門をくぐって、出かけて行く。
なかなか見られない風景を、ありがとうございます。 by お水番 (2011-01-20 08:52)
@いやいや、水源のほうがもっと“なかなか見られない”貴重な風景ですよ。水源から遠くはるばる旅をして、やっとここまできた…。 海は、もうすぐそこだぞ〜! by dendenmushi (2011-01-21 06:29)
両方見られて、ネット社会の時代に生きててよかった! by お水番 (2011-01-21 13:18)
@確かにそうですね。まあ、ネット社会については功罪を含めて、いろんな人がいろんな観点からいろんなことを言っていますが…。 ひとの多様な興味やその発露を、並べてみられるのも、かつてなかったことです。 by dendenmushi (2011-01-22 08:31)
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なかなか見られない風景を、ありがとうございます。
by お水番 (2011-01-20 08:52)
@いやいや、水源のほうがもっと“なかなか見られない”貴重な風景ですよ。水源から遠くはるばる旅をして、やっとここまできた…。
海は、もうすぐそこだぞ〜!
by dendenmushi (2011-01-21 06:29)
両方見られて、ネット社会の時代に生きててよかった!
by お水番 (2011-01-21 13:18)
@確かにそうですね。まあ、ネット社会については功罪を含めて、いろんな人がいろんな観点からいろんなことを言っていますが…。
ひとの多様な興味やその発露を、並べてみられるのも、かつてなかったことです。
by dendenmushi (2011-01-22 08:31)