番外:雄勝といえば雄勝硯とサン・ファン号建造ともうひとつは…(石巻市雄勝町) [番外]
田園が広がる間にぽつぽつと農家の屋根があり、その間を白い田舎の道が通っている。田んぼの中の辻にはバス停の小さな小屋と標識が立っている。主人公がそこに立つと間もなく旧式のボンネットバス(このコトバを思い出すのにえらい時間がかかってしまった)がやってくる…。
何十年か昔の物語や、古い時代を背景にした映画などでは、そんなシーンがよく登場する。それらは多分に、詩情あふれる情景のひとつとして、作者や監督のイメージがつくりあげたものであろう。「田舎のバス」(そんな題の中村メイコの歌があったなあ)でも、実際にはいかに田舎とはいえバスは人家のあるところを選んで走るはずのもので、なんにもない田んぼの真ん中にはバス停はつくらないだろう。
とはいえ、それに似たような場面は、多くの人の記憶の中にもある、懐かしい風景であり、それでもわかるように昔(一時代前まで)は、田舎でも網の目のように…とまではいかなくとも、結構バスが走っていたのである。
でんでんむしが、住民バス(乗合タクシー、地域バス、市民バス自主運行バスなど)のことにこだわるのは、バス会社がやーめたというのでしかたなく始めたものでも、よく考えてみればこれも地域復活の重要なアイテムのひとつになり得る要素を秘めていると思いはじめたからである。
「田舎のバス」の復権は、たとえ主な乗客が病院通いの老人や通学のこどもであったとしても、なにか新しい期待もあるような気がするのだ。経産省も、“買い物弱者の救済”という視点から、先進事例の研究を始めた。役所の縄張りからいうと、そういうのもありとはいえ、いつものように縦割り行政でこの問題は解けまい。
それにしても、情報が少ない。自治体のPRは下手である。誰か、“住民バス情報サイト”つくってくれませんかね。わざわざ外から来て乗りたいという人など、そう滅多にいないのかも知れないが、まずはその存在を明示することから、すべては始まるともいえる。(ような気がする)
さて、雄勝町の住民バス、“おがつ号”は、公民館前で別系統の路線と連絡するようになっていて、それをうまく乗り継げば、半島の南西部をぐるりと回ることもできそうなのである。その連絡を待つ間、付近を歩いてみると、まず雄勝硯伝統産業会館という大きな建物があった。ところが、休館日とのことで入ることができなかった。この町は、なんと全国シェア90%(とどこかに書いてあった)という硯の町だったのだ。ただし、このシェアは、ちょっと疑問もあるので、不確かな未確認情報である。雄勝硯生産販売協同組合のページでも、そういう表現ではなく、「600年の歴史を誇る銘硯の冴。雄勝硯の鋒鋩の秀逸さは他産地の追随を許しません。」とだけ書いている。
硯なんて、昔中国のお土産に端渓というふれこみのお土産を買ってきたことがあるが、それも自分のためではなかった。自分では、硯で墨を磨って筆を持つことなど、もうここ何十年もやったことがない。字のヘタなでんでんむしも、墨痕鮮やかに筆で字がすらすら書ける人がうらやましい。
雄勝硯の原石は雄勝石といって、地質学的には、“北上山系登米層古生代上部二畳紀(2〜3億年前)に属する黒色硬質粘板岩”、であるという。会館が閉まっていたので、現物は見ることができなかったが、雄勝硯の特徴は、共蓋付硯といって、一枚の硯材を蓋と硯に整形したものであるらしい。
帰りの住民バスの通る道端の露頭に、黒い岩層を見つけていた。これがそうかどうかは不明だが、こんな地層が雄勝の半島にはある。もちろん、半島とは反対側の硯上山付近も、その名前からして雄勝石となんらかかかわりがあるのだろう。
すでに、石巻の他の項目(641 大室崎=石巻市狐崎浜(宮城県)支倉常長が出港して最初に回り込んだ岬がここっ!・651 韮崎=石巻市渡波(宮城県)建造にも復元にもびっくりのサン・ファン・バウティスタ号)でふれているサン・ファン号が、実際に建造された場所は、月浦でも渡波でもなく、ここだという説は、定説になっているらしい。橋の袂に立てられている標識は、ことさらその検証結果を主張したいのも、それまで流布されてきた通説を、なんとかくつがえしたいという熱意が感じられる。
この小さな川をドックとして、近郊近在からここに資材を集めて、500トンもの西洋式の大船をつくったということは、実に驚くべきことだと、でんでんむしなどは思うのだが、それにしてはいまいち知名度が低い。それは、この件に関する史料が、あまり残されていないことが大きい。
雄勝の名物・じまんには、もうひとつあって、それは…。公民館にも展示があった、これ!
▼国土地理院 「地理院地図」
38度30分44.02秒 141度27分44.90秒
東北地方(2010/09/21 訪問)
こんにちわ なにげなくブログを見ていましたら、私の住んでいる小泊岬の事が詳しく載っているので驚きました。住んでいる私より隅から隅まで詳しくまた丁寧に書かれているのには感心し致しました。岬を回られているみたいで、興味深く拝見させて頂きました。小泊では、民宿「権現崎」に宿泊されたみたいで・・・中に貼ってありました中泊町のポスターの写真は、私が撮ったものです。掲載頂きありがとう御座います。 これからもよろしくお願い致します。
by tokumichi (2010-12-27 16:18)
@tokumichi さん、なんということでしょう! あの民宿権現崎でみた権現崎の写真は、tokumichi さんの作品だったとは…。
「北の写真館 奥津軽」というブログが、同じ「地域」のなかにあるということは、新着リストでみて記憶にありました。ただ、でんでんむしはひきこもり(これについては近々また関連書込みの予定)なので、中までは見に行くことはありませんでした。
そうですか、それがtokumichi さんのブログだったのですね。
向うにはコメント欄がないので、こちらに書きますと、さすが地元に根を下ろしている人と、われわれのような季節のいいときにだけ行こうという人間とでは、当然ですが違いますね。
厳しい自然のなかに暮している人からみれば…という感じは、自分では前から意識していたので、スミマセン申し訳ないという気持ちも込めて、「291 角田岬=新潟市西蒲区角田浜(新潟県)越後の冬も雪も知らずして」という項目を書きました。
冬の小泊の写真を見て、改めてそう感じました。
権現崎の写真は、なにか気になって、その民宿の壁に貼ってあったポスターを撮っていたのです。
by dendenmushi (2010-12-28 07:30)