605 黒崎=宮津市字田井(京都府)天橋立は天下の奇景にして自然の美なれど [岬めぐり]
栗田半島の先端が黒崎。この半島の人が住むところは田井までで、その北川は人の気配がない断崖が海岸線を取り巻く細長い出っ張りになっている。100メートルくらいのところに灯台があるが、あまり高くないので樹木の間に目立たない。
黒崎が望めるのは、178号線の江尻を過ぎた辺りからからである。往路に南から見るのと、帰路に北から見るのとでは、少し違う場所のように見える。天橋立の外側の宮津湾は、別名与謝の海といい、天橋立の内側は阿蘇海という。
宮津を出た経ヶ岬行きのバスは、文殊、岩滝、溝尻と阿蘇海をぐるっと東へ大きく迂回するように進んで行く。今回は天橋立もこのバスの車窓から眺めるだけになるから、それ自体を充分に鑑賞できる状況ではないが、こういう自然地形をみると、なんでこういうものができるのだろうと、また不思議な気持ちになる。
もちろん、これが沿岸流によって運ばれた砂礫が海中に細長く堆積して堤状になり、その砂嘴が伸びて砂州ができるのは、海流や風などの影響によるものだということは想像できるが、それにしてもと思う。ところが、日本海沿岸には、青森の十三湊、秋田の八郎潟、この丹後半島の久美浜、それに島根・鳥取などにも砂洲と潟湖(ラグーン)があるので、日本海沿岸特有の冬期の強い北西風と、比較的緩い傾斜の海底地形などの共通点があるからだろう。
それくらいはなんとか想像できるが、不思議さが消えるわけではない。
京都国立博物館の雪舟による『天橋立図』では、南端の現在の運河や小天橋、松露亭のある辺りが海になっていて、かなり広く阿蘇海も開口しているように描かれている。
現在のようにつながったのは、それ以降の活動によるもので、昭和の後半頃からは橋立ての侵食が進んでやせ細ってきた。そこで、阿蘇海を迂回するバスからは見えない東の宮津湾側には、かなり大がかりな砂の流失を止めるための堤防がつけられた。地図で見ると、糸鋸の歯のようにぎざぎざになってしまっているのだが、こういうのを見るたびに人間の淺知恵は、結局自然の大きな営みには抗し難いという結果になるような気がする。
先年の台風では、かなりの松が倒れ、その補修も大変らしい。自然を維持するのはたいていなことではないが、その策によっては人間の手が加わって、かえって自然でなくなることも、往々にしてある。
前回きたときは、途中までは歩いたので、こんな海中の砂洲から清水が湧くというのも、信じ難い思いがあった。
橋立の 松の下なる 磯清水
都なりせば 君も汲まゝし (和泉式部)
“都なりせば”というのは、岬めぐりでもたまに経験することがある。
閉鎖性水系になった阿蘇海は、水質汚染も問題だったが、それよりもかなり昔から船の往来に不便だからというので、この天橋立をぶった切って水路を開けようという計画が、何度も立てられてきたというのは、やっぱりというか、なるほどというか…。
300年前の享保年間には、阿蘇海に面した溝尻村が、宮津藩に橋立切断の訴えを出したが、智恩寺の反対もあって成功しなかった。その後も、戦中・戦後を経てこれまで何度か持ち上がったが、なんとかそれは食い止め、小天橋付近の航路の浚渫などの代替策で凌いできたのが実状らしい。
世界遺産は、やはりムリじゃないでしょうか。なんでもかんでも世界遺産にというのは、もういいかげんにやめたほうがいい。
黒崎と横に並ぶ車窓前方に、また岬らしきものが…。
これは岬ではなくて、日置の妙見山という小山。この付近では結構高層のマンションのような建物がある。ここも岬といってもいい場所だが、そうはなっていない。実は、次項の岩ヶ鼻も…。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度35分57.25秒 135度15分13.14秒
近畿地方(2010/06/09 訪問)
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