603 無双ヶ鼻=宮津市字小田宿野(京都府)今明かされる “宮津市立図書館事件”の真相 [岬めぐり]
西舞鶴を出た北近畿タンゴ鉄道は、丹後由良を出て、しばらくすると奈具海岸にさしかかる。この日は朝から雨で、雨と靄に煙る海が広がる。線路が北に向きを変えた海岸で、海の向うに見えてきたのが、無双ヶ鼻である。
栗田(くんだ)は、難読地名の部類には入らないのかもしれないが、北近畿タンゴ鉄道の栗田駅があり、その駅と宮津の駅の間に北に大きく張り出しているのが栗田半島(この半島の名も、国土地理院の地図にもない)で、その西内懐が栗田湾となる。
宮津市の行政区域は、南は由良川から北は伊根手前の大島まで及ぶが、岬は、天橋立とその内側にはなく、栗田半島に3つあり、無双ヶ鼻は半島の東にずんぐりと出っ張った先っちょである。
この岬も、道もなく人の入らないところで、山は低い。遠目で、しかも走る電車からで、おまけに雨が降り出すという天気のなか、こんなふうにしか見えない。
空と海の境もだんだんなくなっていくなかで、電車が走る奈具海岸から栗田湾越しに見る無双ヶ鼻が、その境を指し示しているかのようである。
「無双」の意味は“天下無双の豪傑”というように、“並ぶものとてない”という意味だが、もうひとつの意味がある。この岬の名が示すのは、“裏表が同じ”というほうではないだろうか。
東西の線を対称軸にしたシンメトリーな地図の地形、等高線を眺めていると、そんな気がしてきた。
あれはもう、かれこれ10年以上も前のことになってしまうのか。
その当時はまだ、この岬めぐりも、日本地図で目立つ出っ張りだけを押さえればいいやという程度の意識だった。そこで、地図では非常に目立つ丹後半島の先端、経ヶ岬へ行くのがまず第一の目的であったが、伊根の舟屋もちゃんと見てきた。同時に、この地域の地誌を調べることももうひとつの目的があったので、最後に宮津の市立図書館で調べものをしていた。
図書館の閲覧室では、座って一冊の本を読むのではなく、禁帯出の本を何冊も書棚から出し入れするため、何度も席を立っていたのだが、それがいけなかった。さあ、これで帰ろうかというときみると、机に置いていたカメラがない。
その頃はまだ、デジカメがやっと普及期に入った時期だったが、今となっては縁が薄かったそのカメラの機種も定かには覚えていないことに気がついて、われながら情けなく思う。これまで、経ヶ岬はじめ丹後のあちこちをめぐって撮ってきた写真も、すべてそのカメラに収まっていたのに…。
こちらの不注意とはいえ、こんなにがっかりしたことはない。図書館で置引きにあうということが、モノがなくなった盗られたソンした、という憤懣よりも「日本と日本人はこんなに情けないことになってしまったのか」という慨嘆のほうが大きかったのは、今もよく覚えている。
もとより、自分自身が天下国家を憂うような器でないし、飛躍があることは、百も承知で、このときは心底そう思ったものである。こんなことで、人間同士信用できなくなるとは、この国は確実にダメになっている…。
戦後の食料難や混乱期には、家の穀物や作物が盗まれるということもあったが、そんな一部を除いて、自分の身の回りで盗難にあったことはなかったし、日本はそんな国じゃなかったはずなのに…。ただ、もっと変な事件、ひどい事件、悪質な事件はたくさんあるので、なんのそれしきという見方もできるが、自分が実際にその被害に遭うという点では、軽視できない事件である。
語るに落ちるとは、このことだが、実を言うとでんでんむしはこの後もう一度、伊豆へ向かう『踊り子』号の車内で、網棚に乗せたバッグを盗まれていて、このとときはその中にデジカメのほかに、当時発売されて間もない初代iPod(しかも値段も高い大容量のほう)やレア物のトレーナーまで入っていた。宮津市立図書館事件は、なんら教訓にもなっていなかったわけだが、このふたつのできごとは、結構トラウマになっている。
そういうわけで、この若狭・丹後の岬めぐりの発端で述べていたように、ここら辺りからは、前にも一度来ているが、岬めぐりとしては初登場となる。やがて、無双ヶ鼻の西に高い煙突のようなものが見えてきた。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度33分38.84秒 135度16分17.95秒
近畿地方(2010/06/09 再訪)
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