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599 三本松鼻=舞鶴市千歳(京都府)今日も暮れゆくこの岸壁に… [岬めぐり]

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 “いとこ”というものは、これまたおもしろいもので、やたらべたべたしているいとこもあれば、何十年も会う機会がないいとこもいる。たいていの人が、そうだろう。その関係がとりざたされることも少ないが、近頃で最も有名ないとこ同士は、森山良子とかまやつひろしくらいだろうか。いちおう、血のつながりがあるとはいえ、いとこは傍系四親等なので、いとこ同士の結婚も認められるが、母方と父方でも違うし、なによりお互いの育ってきた、生きてきた生活環境によって、近くもなり遠くもなる。もともとそういう、まことに微妙な存在である。
 こどもの頃は、毎年正月になると祖父を訪ねてくる、名字の違ういとこの存在が不思議に思えたのは、その母である人が終戦のとき旧満州で亡くなっていたからだ。幼くして取り残された3人のいとこたちは、それこそ「小説が書けそうな」大変な目にあいながらもわずかな運に恵まれ、苦労をしてやっとこさで引き揚げてくることができた。
 いとこたちも、父親はソ連に連行されてその後は消息不明になっていたので、死んだものとばかり思っていた。ところが、最後の興安丸で帰ってきたのだ。突然の予期しない知らせに、広島から舞鶴へ向かったいとこたちの気持ちはどんなだっただろうか。
 それを聞く機会は、ついに訪れなかった。
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 三本松という名は、広島の生家の近くにあった小さな神社があった場所の呼び名でもあった。名の通りそこには三本の大きな松があったが、原爆で焼け今ではビルの一角に小さな社だけが残り、三本松の名も消えた。ここの三本松鼻は、どうなのだろうか。
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 北からでは別の出っ張りが邪魔してみることができない。南からだと、千歳トンネルへ入る前に、少し遠くから見るしかないので、三本の松があるのかないのかわからない。平と佐波賀の間には、これも岬といっていいような出っ張りがあり、その先端に灯台がある。湾内に浮かぶ鳥島、蛇島という小島との間が、また一段と狭くなっている。平の引揚桟橋に向かう船には、この灯台も重要な指標だったのだろう。sanbonmatuhana03.jpg
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 三本松鼻から左に取り舵で進んだ興安丸は、この灯台を過ぎて、舞鶴東港とは離れた北の奥の平地区の桟橋に碇を降ろしたのであろう。その場所は今では工業団地の一角になっていて、合板工場が煙をもくもくとあげていた。桟橋はすでにないが、岸壁はどうなのだろう。
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 舞鶴クレインブリッジという、おしゃれな橋が架かる東の丘の上に、舞鶴引揚記念館があり、そこには『異国の丘・岸壁の母』と二つの歌の歌碑があるという。『異国の丘』は、なぜかこどもの頃によく歌っていた。やはりシベリアに抑留されていた吉田正と、一足先に“のど自慢”で帰ってきたこの歌のエピソードには、ドラマチックで感慨深いものがある。だが、作詞家のことが語られることは少ない。
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 この道を往復しているので、写真も話も行き帰り入り乱れてのことになる。「今でもよく、訪ねてこられる年配の方がありますよ」と、昔の引揚援護局の施設があった空地を往路で通るとき、バスの運転手さんが言った。
 このバスは、地域住民のための貴重な足なので、こどもたちもたくさん利用する。この頃では、地方の小学校の統廃合が進んでいるので、通学区が広域になり、とても歩いては通学できないこどももたくさんある。平の大浦小学校の近くの停留所には、20人を超えるこどもたちがにぎやかにバスを待っていた。
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 東舞鶴駅発、瀬崎行きの西大浦バスは、市内を走るいくつかの自主運行バス路線のなかでは、いちばん大きい車両を使っている。大浦小学校前の停留所から、このバスに乗らないこどもも半数はいたので、その子たちは別路線のおそらく田井や野原の東大浦方面へ帰るのだろう。
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 少子化だとかいうからでもなく、こどもの元気な姿を見るとわけもなくうれしいのは、単に歳をとったせいであろう。
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 運転手さんは、挨拶して降りていくこどもたちの、名前まで把握している。さらに、郵便局の停留所を出てしばらく走ったところで、急にバスを停めたかと思うと、ケータイでどこやらとなにやら話し始めた。その様子で、どうやらいつも郵便局のところから乗る人が、乗ってこなかったことに気がついて、その確認をしていたらしい。「ちょっと、待ってね」と、しばらく停っているところへ、女の人に送られたおばあさんが乗り込んできた。郵便局の中で待っていて、バスがきたことに気がつかなかったといいながら、ひとしきりお礼やら挨拶やらが交わされる。
 ひとつバスを逃すと、もうあと何時間も待たなければならない、あるいは帰れないかも知れない。
 こういう地域の人情バスを、なくしてはいけない。もっとも、これも、バス会社が不採算で切り捨てた路線を、地域でなんとか維持している涙ぐましい例なのだろうが…。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度30分15.67秒 135度20分39.52秒
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dendenmushi.gif北信越地方(2010/06/08 訪問)

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タグ:京都府
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