593 正面崎=大飯郡高浜町上瀬(福井県)・舞鶴市字田井(京都府)ここも国境の岬です [岬めぐり]
ここが福井県の最西端、京都府の最東端の岬となる。正面崎は標高250メートルの山が飛び出した形で、その尾根が国境(くにざかい)となっている。
岬の突端部分は、三角形の板のような岩島がくっついた崖になっており、境界線は、ちゃんとこの三角形の中央を通っている。押廻鼻から見ると、馬立島や成生岬など、京都府舞鶴市の東端がバックに写り込む。
岬が境界線に使われることは、いたって多い。とくに国境の場合は、高い山の尾根(分水嶺)や、峠や、大きな川や、集落と道を隔てて海に飛び出している岬の大きな固まりがふさわしい。
人を寄せつけない正面崎も、ここでは若狭の国と丹後の国を切り分けるという、その役目を立派に果たしている。
しかし、前項で述べたように、一見行止りになったかのような県道21号線は山道となって、正面崎に近い上瀬の集落から岬の付け根を越え、京都府へ府道21号線として繋がっている。
お役所とか行政とかいうのも実におかしなもので、こういうことをきちんとやるかと思えば、100歳を超える老人がどこにどうしているかは、さっぱり掴んでいないという信じられないようなことも、騒ぎになるまでは平気で放置していられる。
上瀬の南には、日引という集落がある。一説によると、この辺りも舞鶴との結び付きのほうが強くて、昔はトンネルで往来していたというのだが、今の地図からは、どこにトンネルがあったのか、見当もつかない。舞鶴との往来を考えるなら、そう高くない塩汲峠を越えるほうが、トンネル掘るより合理的なようにも思えるが…。
また、情報では日引は「棚田100選」にも選定されている、内浦湾を見下ろす200枚の棚田が有名なのだという。100メートルくらいのところから下っている県道21号線の下の斜面に、それはあるらしい。
もうひとつ、ここには意外な話がある。
南北朝から室町時代の頃に、日引は暗緑色の安山岩質凝灰岩の産出地であり、それを加工する石工(いしく)の技術者集団が活動していた、というのである。
ここで製造された仏塔などは、昔の日本海航路網によって、遙か津軽の十三湊までも運ばれていったとか。
その石が採れたという山は、どの山であろうか。昭和30年頃までは、まだ石工が残っていたらしいが、これも土地と人の歴史を感じさせてくれるエピソードである。
現在では養殖漁業のほかには、観光漁業も盛んなこの付近一帯だが、釣り船ではなく筏(フロート)を浮かべてそこに釣客を運ぶ渡船が往来するやり方が主流のようである。ダンノ鼻以降、内浦湾の界面に四角いのがいくつも浮かんでいたが、あれがそうだろう。そんなある渡船のホームページに、「トイレ完備なので女性でも安心して楽しめます」とあった。
なにやら筏に四角い塔のようなものがくっついているなあと見ていたのだが、それがトイレだったらしい。そ、それは、水洗なのか?!
■ ■ ■
さて、この項をもって福井県はいったん終了。次項からは京都府に入る。京都府は「岬めぐり」新登場である。実はこれには曰くがあって、すでに前に「岬めぐり」で来てはいたものの、そのときの写真がカメラごと盗まれるという目にあっていた。そのため、これまで京都府の項目が書けなかったのである。
このブログ、これまでずっと新規書込みは一日置き、隔日ペースでやっていたが、2010年7月の「東京ブックフェア」以来、出来心であれこれ試していた。「追想」カテゴリを加えてみたのもそうだし、毎日書くとすると、どうなるだろうかと試してみたのもそうだ。
毎日書き込むこと自体を目的とするならそれもカンタンだが、仮にその内容とボリュームを落とすことなく続けるとすると、できるかどうか。…というので、7月半ばから1か月以上、毎日連続投稿を続けてきた。
やってできないこともない。だが、これからもそれを続けるのもめんどくさいし、あまり意味があることでもない。やればできることは確かめられたので、実験もこれで終了。
再挑戦の丹後の岬めぐりからは、隔日の市松模様のペースに戻すことにする。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度33分28.35秒 135度29分10.66秒
北信越地方(2010/06/07 訪問)
2010-08-13 06:02
きた!みた!印(5)
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