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587 黒崎=大飯郡おおい町大島(福井県)安寿と厨子王と関電のバスとサルの道から東に [岬めぐり]

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 位置としては、赤礁崎の西、朝倉鼻の北、それぞれ数キロのところだが、ここがまた道もなく航路もなく、遠くから眺めるだけの岬になる。遠くからといっても、かなり遠く、10キロ以上離れた高浜町の海岸から望むことになる。
 実際に歩いたその順路に従うと、県境を越えて、京都府へ入ったり、また福井県に戻ったりというのは、ごちゃごちゃして煩わしい。そこで、ここは地図に従って、東から西へ岬を辿ることにする。
 とすると、高浜町へ行く前に、おおい町でもうひとつ残っている黒崎を片づけておかなければならない。しかし、それを眺める位置は、おおい町ではなく高浜町からで、訪問日付も一日先へ飛んで「2010/06/07訪問」ということになる。
 この日は、東舞鶴のホテルを朝食もそこそこに飛び出して、小浜線で西へ戻り、三松(みつまつ)という駅で降りる。国道27号線を渡って北へ、家々の間の細い道を曲がりくねりしながら三松の海岸に出た。
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 まずは、ここからはるかに大島半島北海岸の、黒崎があるとおぼしき辺りが眺められる。この眺められる半島の北側には、その付け根から先端の大飯原発まで、まったく人の介入できない場所で、ほとんど一軒の民家も道も船溜りもない。(はずである)
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 この海岸は、今時分は海水浴で賑わっていることだろう。ちょっと驚いたのは、海岸のそばだけでなく、近くに何軒もの旅館があったことだ。周りは民家と畑しかないところで、何故にこの場所で旅館の営業が成り立つのか。世の中には、不思議なことが多い。
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 それに、海岸に近いところに並んでいる旅館を見て、新潟県の岬めぐりでの、上越市の花立付近の旅館や民宿が並んでいた光景が、浮かんできた。なんとなく、感じが似ているのだ。
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 海岸に沿って北上すると、岬の上を公園とほかにもなにか工事をしている広い場所があった。ここから、黒崎が見えるかどうかはともかく、 改めて写真を撮っておくべきだったが、他のことが気になっていたせいで、ヘンな写真しかない。
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 これから、音海まで行くつもりなのだが、距離はあるがバスもない。ネットでは、高浜町が乗合タクシーを運行しているという情報もあったので、町役場が始まる頃には電話して聞いて見なければならなかった。
 その結果は、「音海線は現在は運行していない」という。高浜からタクシーを呼ぶしかない、ということが判明した。やれやれ。まあ、どこまで行けるか、歩いてみるか。
 難波江(なばえ)というところで、また無名の岬があって、遠くからでも、「オッ、あれは安寿と厨子王ではないか」と、すぐ思ったのが、我ながらすごい。
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 旅装束の姉弟が、西の遠くの空を見上げているさまをうつした青い銅像が立っていた。
 そうか、あれはここだったのかと、納得しかけて気がついた。 
 待てよ、『山椒大夫』は、若狭ではなくて丹後ではなかったか。
 では、どうして遠目に見た時から、 越後から太宰府に流された父の安否を尋ねる途中の、幼い姉弟とその母を襲った悲劇が、この場所と関係があると思ったのだろう。
 像の碑文には、「安寿と厨子王が人買いにさらわれて、丹後に向う途中時化(しけ)にあい、この難波江の岩洞で、藁を被(かぶ)って幼い二人が抱き合って、悲涙の一夜を明かした。」といった説明がある。
 しかし、それもおかしい。銅像の姿は、その話とはまるで合わない。それはまだいいとして、それなら、人買はどうなったのだ。逃げ出すチャンス到来ではないか。そんな話は、森鷗外の『山椒大夫』には、なかったのではないか。
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 もっとも、この話は鷗外のまるっきりの創作ではなく、元は伝説を説教節などで、玉すだれをがちゃがちゃいわせながら(あの道具の名前が思い出せない)語り謡う大衆芸能として語られてきた話である。鷗外が、それを脚色してああいう話にまとめたのだから、そんな場面もどこかにはあったのかも知れない。これも昔、絵本で見た覚えがあるので、なんとなくすぐに納得しかけたのは、そのせいだろう。
 後半は、エドモンド・ダンテス的復讐劇に変わっていくのだが、元の話は、その厳しい仕返しが正当化されるのに充分に必要なだけ、もっと悲惨な部分が前面に出ていたらしい。
 おもしろいのは、この話が、長く国語の教科書に採用されていたということだ。もちろん抄録だが、昭和30〜40年代に小中学校で、この話を知らずに過ごしたという人は少ないはずである。文豪・鷗外の威光だったのかも知れないが、それがいまでは教科書からきれいに姿を消しているというのを、なにかで読んだ記憶がある。
 しかし、この像を見ているだけでも、心に迫るものがあるのはなぜだ。
 かつて、こどもにとっての恐怖は、お化けよりももっとリアリティがあったのが、「ことろ」などと呼んでいた“人さらい”の話であった。“サーカスに売られる”とか脅されると、ほんとうに怖かった。
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 難波江を過ぎ、小黒飯(おぐるい)から名島に歩いて行く間で、何台ものバスが、立て続けに追い抜いて行く。また、引き返して行く空車もある。
 なんだ、バスが走っているなら、ついでに一人くらい乗せてくれてもよさそうなものなのに…。
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 それは、高浜原子力発電所へ通勤する社員を運ぶ、関西電力のバスだった。道端には、つい反発したくなるようないかめしい文言を並べた看板がある。この道の山の向こうは、確かに原発の施設がある。
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 …と前をみると、行き交うバスや車両の途切れたときを待っていたかのように、数匹のサルが道路を横断して、警告看板を無視して山に入っていった。あわててカメラを出したが、あせってブレてしまった。遅れて続く一匹のサルは、お腹に赤ちゃんサルを抱えていた。

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▼国土地理院 「地理院地図」
35度32分12.83秒 135度37分55.91秒
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dendenmushi.gif北信越地方(2010/06/06 訪問)

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タグ:福井県
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