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□12:野ばら社『児童年鑑』とはどんな本だったかというと… [ある編集者の記憶遺産]

 ページ数はわからないが、厚さは5センチくらいあった。判型も当時はそんなこと知りもしないが、おそらくB6判くらいだった。表紙はすでにビニールがあったかどうかも不明だが、光沢が少しある空色で、題字が箔押ししてあった(カラ押しだったかも?)。製本はいちおう上製本で、糸かがりの丸背だった。口絵の数ページだけがカラーで、本文はスミの折りと色インキ印刷の折りとがあった。
 口絵のカラーでは、イラスト絵地図の日本地図と世界地図があった。
 動物や植物の簡単な図鑑のようなものもあった。
 本文は縦組みで、これもイラストつきでわりと詳しい日本史年表と、比較的簡単な世界史年表があった。
 ことわざや俚言を集めたページもあれば、百人一首のページもあった。
 道歌に加えて、なぜか明治天皇の御製もあった。
 よく覚えているのは、そのくらい…。だが、ほかにも雑多なことがたくさん盛り込まれていたはずで、「年鑑」というより「十科事典」的な趣がある本だった。
 広島の八丁堀は福屋という戦前からのデパートがあった。それに加えて、岡山の天満屋が進出するまだだいぶ前のことだった。福屋の横から金座街という短い通りがあり、その先が鉤になって東西に伸びる本通り商店街に続いていた。
 その鉤の手前に広文館という本屋があった。本通りにも金正堂という本屋があり、電車通りの向うに渡ると積善館という本屋もあった。その当時は「書店」という呼び方は定着していなかったように思われる。フタバがその当時からあったかどうかよく覚えていないが、紀伊国屋やジュンク堂が進出する、はるか昔のことである。
 その立地条件から、その後もよく出入りしたのが広文館で、さして広くはない店内に新刊本がぎっしり並ぶさまは、始めのうちはどきどきするほどだった。
 そこで、どれか好きな本を選べといわれても、たいがいは迷い困る。
 けれども、そのときには、きっと天啓のような導きがあって、『児童年鑑』との遭遇があったのだろうと、今にして思うことがある。
 昨日(2010/7/29)の岬めぐり580甲ヶ崎のところで、ちらっと書いた、松岡正剛の『情報の歴史』で、その頃というのは、どんな時代だったかをめくって眺めてみる。
jyohonorekisi1950.jpg

 年表のおもしろさが、どっとあふれ出てくる。
 野ばら社の『児童年鑑』で、その後も長く飽きずに眺めていたのが、地図と年表だった。
dendenmushi.gif(2010/07/31 記)

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