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□11:バスに乗って広島の町へ行き初めて買ってもらった「本」があった [ある編集者の記憶遺産]

 青崎小学校は広島市の東のはずれにあるが、でんでんむしの住んでいたところは安芸郡府中町で、学区からいうと異なる。当時は、府中町には小学校はひとつしかなく、府中町のはずれからはそこへはとても通えない。それで、府中町から青崎に通って来るこどもは、特別に「区外」からの通学生とされていた。
 国鉄の駅「向洋(むかいなだ)」と東洋工業の本社があるところは、広島市ではなく府中町である。国道二号線沿いや駅への通りには若干の商店もあったが、やはりちょっとした買い物は広島の町まで出ていかなければならない。
 買い物をするものも、お金もなかったはずだが、たまにバスに乗って広島に出かけることがあると、遠足にでも行くような楽しい気分になる。
 うっかりして、前にも「国道二号線」と書いたのだが、これは「当時の」という断りをいれなければならなかった。現在の二号線を西へ行くと、青崎小学校の南250メートルのところを通って猿猴川を黄金橋で渡り、比治山の南を抜け、京橋川を平野橋で渡って、南竹屋町(原爆で焼けたでんでんむしの生家があった)を横切って行く。
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 何年か前、初めてこの道を通ったときには、まったく今浦島の心境になったが、マツダ本社の奥に連なる、呉娑々宇(ごさそう)山をみて、胸の奥からこみあげてくるものが抑えられなかった。山陽新幹線からもよく見えているこの山々から新幹線のトンネルの上付近にかけてが、中学高校くらいの時期には、でんでんむしの遊び場だった。
 それはともかく、今ではすっかり寂れてしまった旧二号線は、青崎小学校の北を通り、新しくできたマツダスタジアムに至近の蟹屋町、広島駅を経由して、広島の中心街である八丁堀、紙屋町へ向かう。
 5W1Hのほとんどが不明のまま、ある一冊の本との出会いが、そこであったのである。
 野ばら社『児童年鑑』。それがその本の名前であった。
 今でも同じ名前の図案カット集や書道、童謡唱歌などの実用書を出している出版社が、旧古川庭園に近くにあるが、それがこの出版社なのか、関連があるのかどうか不明である。出版社の場合、取次の口座を引き継ぐ形での経営権の移動が行なわれることもよくあるので、名前が同じでも連続性があるとはいえない。
 入手に至る事情は、さっぱり覚えていないのだが、なにか一冊好きな本を買ってあげるというようなことだったのだろう。でんでんむしが選んだ『児童年鑑』は、滅多にないチャンスに実に最適の選択によって遭遇した、最高の一冊だった。なにしろ、それから何年もの間、この本一冊がぼろぼろになるまで愛用したのだから…。
dendenmushi.gif(2010/07/29 記)

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