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□09:広島のそろばん塾と国道二号線のローマ字と青小の開かずの図書室 [ある編集者の記憶遺産]

 当時の小学校の授業で、何を学び、どんな成績だったのか、よく覚えていない。きっと、そんなに目立つこどもではなかったし、そんなに成績がいいというほどでもなかったのだろう。
 小学校の6年間は、とにかく遊ぶのが忙しい毎日で、まだ周辺にたくさん残っていた自然(というより、それしかなかった)を相手に、なにかしら遊んでいた。今時分であれば、夏草のあのむせかえるような草いきれのなかで、草も花も虫も、そしてでんでんむしやかえるなど手当たり次第すべてのものが、遊び相手になり得た。
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 勉強などにうるさくいう親もいなかったし、習い事や塾とも遠かった。
 とはいえ、そろばん塾だけは盛んで、通っているこどもも結構いた。そろばんができれば、それは将来の仕事にも役立つという、世間の共通認識があったらしく、広島商業の珠算の先生などは、確かラジオ番組をもっている有名人だったような気もする。ラジオでそろばんをどう教えるのか、それもよくわからないのだが…。
 これも、流行りみたいなもので、なんとなく自分も行かなければ悪いような気がして、ほんの少しの間だけ通って「9級」の免状をもらってやめたことがあった。当時、学校で買ったそろばんは、ひどく雑なつくりで珠もすらすらとは動かないようなシロモノだった。
 そろばんだけでなく、鉛筆やクレヨンの芯にはガリガリ引っかかるものが入っていたり、紙は藁半紙という通り、ワラの切れ端が混ざっていたり、黒っぽい粗悪なものしかなかった。
 平凡な小学校生活で、どんなことを習ったのか、ほとんど覚えていないのだが、ひとつだけローマ字を習い始めたことは、ある思い出と重なっていて忘れられないことだった。
 ローマ字は、4年生くらいのことだろうか、たまにしか習う機会はなかったが、これが忘れられないのは、自分たちの知っていることばが、ABCでも表現できて読めるということに、とても興味を覚えたからだ。これは、おおげさにいえば、ひとつの異世界への扉を開けるような気がしたのだろうと、後付けの理屈がつく。
 安芸郡府中町のでんでんむしの家から広島市立青崎小学校までは、改めて計ってみると約1.5キロほどの道のりで、大人の足で歩けば30分はかからない。小学生は、当時はかなり遠く感じたその道を、ゆっくりと時間をかけて歩いて通う。
 あるとき、通学路の国道二号線に沿ってぽつんとあった古道具屋の前に、ピカピカの見たこともないような乗用車が停まっていた。茶色と白の車の後ろには、習いたてのアルファベットが並んでいる。最初は「M」でその次が「E」だ。これは「め」だな。あれ、次は「R」で「C」…? ローマ字では読めんじゃないか。「めく…る?」と声に出して苦心しているところへ、古道具屋から出てきた上品できれいなそしてまた見たこともないような服装のアメリカ女性が出てきて、こちらに向かって笑いかけながらひとこと、「Mercury…」といって車に乗り込んだ。
 どぎまぎして、どうしていいかわからないで立ちつくしていたでんでんむしを残して、マーキュリーは広島の方向へ走って行った。first contact は一瞬のうちに終わってしまった。朝日新聞が『ブロンディ』を連載していた頃のことだろう。
 日本の国語は、井上ひさしが『国語元年』で書いているように、明治維新のときに大きな骨格ができたが、戦後のGHQによる日本語いじりという危機もあったらしい。ローマ字教育もそれと関連があったのかも知れないが、そういう時代を背景にして、“日本の国語をローマ字にせよ”と主張する運動があった。かと思えば、“イヤ、ニホンゴハ スベテカタカナニ”という議論も、大まじめにされていた。
 相変わらず、本とは縁遠い毎日であった。青崎小学校にもいちおう「図書室」というところがあるらしかった。そんなうわさは聞いていたので、あるとき意を決して探索に乗り出した。そこに行けば、貸本屋に行かなくてもすむではないか。
 当時のこどもの感覚では、同じ学校内でもいつもの決まった教室への出入り以外に、あちこち歩き回るということはしないものだった。
 階段の踊り場のような、中二階のようなところにくっついていた小部屋がそうらしかった。行ってみると、学校の怪談になりそうな薄暗い小階段の奥に確かに「図書室」と黒板に白文字の表札が架かっていた。おそるおそる、その扉を開けようとしてみたが、その部屋には鍵がかかっていて、誰も入れないのだった。
dendenmushi.gif(2010/07/25 記)

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