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□07:『のらくろ』と貸本屋で借りたマンガ以外の本『ヒキガエルの冒険』 [ある編集者の記憶遺産]

 田河水泡の『のらくろ』の記憶も重要だった。なにしろ、一時期はチャンバラまで禁止されたのだから、犬に擬人化されているとはいえ、もろ旧日本軍そのものの『のらくろ』も、おおっぴらに店先に並んでいたわけではなかったように思われる。
 誰かがこっそりと所蔵しているのを、回し読みしていたような気がするのだが、そういう秘やかな楽しみがよけいに興をそそった面もあった。『のらくろ』のすばらしさは、デザイン的なセンスが、表紙や背や見返しや扉や、しっかりした造本のすみずみまで行き渡っていたことで、そういう感想は後年のものであるとしても、当時からのらくろ自身の階級がだんだん上がっていくのが、とても印象に残っていた。
 もうひとつ、『のらくろ』で忘れられないのは、歩いたり走ったりしたことを示す、独特の“砂ぼこりマーク”である。なるほど、このように描けば、移動していることがわかるんだと学んだ結果は、後に他の学校の先生がきて行なわれた研究授業の対象になり、グループで発表する掲示の中に、バスが走っている様子を描くのに、のらくろ方式を採用した。教室の後ろに並んだ見学の先生が、それを指して話しているのをたまたまみて、秘かに得意だったという記憶もある。
 貸本屋でマンガばかり借りていた頃から少し後になると、マンガ以外のものも借りるようになる。そんな本のなかでなぜか忘れられないのが、『ヒキガエルの冒険』という本だった。雑誌以外で、はじめて文字を読むことで物語を楽しむという経験をしたのが、この本だったのかも知れない。
 小学校前の貸本屋からは、足が遠のいていたのは当然である。なにしろ、そこの娘に「○○君は、よくマンガを借りに来られますが、勉強をしたほうがよいと思います」などと言われたのだから…。うまいぐあいに、より家に近い国道二号線の広島市と船越町の境付近にも貸本屋ができていたので、『ヒキガエルの冒険』は、そこで借りたものであった。
 もうひとつ、この本はあるいは別の理由で記憶に残っていたのか。たとえば、返却期限を過ぎて延滞金を取られたとか、そんなことがあったような気もするが…はっきりわからない。
 それに、この本を書いたのが誰か、どこから出ていた本かといったことも、さっぱり記憶がないのでわからなかった。
 ところが、ずっと後年になっていつも定期的にこどもの本を買っていたとき、そのなかに岩波書店が出した新刊(1983)で石井桃子訳『たのしい川べ』というのがあった。これを読んだときに、「これはあの『ヒキガエルの冒険』と同じ話ではないか」と思ったのである。事実、そのサブタイトルが同じだった。
 これはケネス・グレーアムの「THE WIND IN THE WILLOWS」の邦訳で、E・H・シェパード(ミルンの『クマのプーさん』の絵の人ですよ)のさし絵が、またすばらしかった。
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 その本は、今でもあるが、岩波書店が手をつけるずっと前に、邦訳がどこかから出ていたということになる。
 それで調べてみたら、戦前にも中野好夫の訳で白林少年館出版部というところから出ていた。そのうえ、戦後すぐ(1945)にも『ヒキガエルの冒険』という題で石井桃子の訳本が出ていることがわかった。このときの出版社が、英宝社ということもわかったのである。
 戦後すぐ『日米会話手帳』と同じときに、こんな本が出ていたということに、改めて驚くが、どうやら、でんでんむしが貸本屋で借りてきて、はじめて物語を読む楽しさを体験した本というのは、この英宝社版だったようだ。そして、この版権がその後に岩波に渡ったということらしい。
 ケネス・グレーアムという人は、確かコナン・ドイルと誕生日が同じという時代の人で、イギリスにその後も伝わる豊かな自然のなかで生き生きと動き回る主人公たちが繰り広げるこどものための物語の伝統を守り残した人といえる。
 この物語が、永く記憶に残っていたのは、自分たちの身の回りにもいる小動物たちの物語であったことと、その舞台と同じような自然のなかで転げ回っては遊んでいたからかもしれない。

dendenmushi.gif(2010/07/21 記)

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