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574 小鰡ノ鼻=小浜市西小川(福井県)土地と人との縁はいつまでも残るか [岬めぐり]

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 ここには「こぼらのはな」という名前がついているところをみると、ボラの群れが回遊する姿が、しばしば見られる、そういう場所なのだろうか。
 成長につれて名前が変わる出世魚なので、ボラというのは10〜20センチくらいのときの名前だろうが、広島辺りではボラの前はイナと呼んでいた。すると、コボラというのはボラのなかでも成長途中の初期段階のものを指すのだろうか。
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 ピョンピョンと水面に跳ね上がるのが特徴だが、臭いとかいう風評もあって、食用としてあまり珍重されるわけでもない。だが、それは決してボラの責任ではない。ときおり都会の河口に近い橋の上から、人懐っこい大群が泳いでくるのを見ることができたりする。そういうとき、その辺りの水はきれいだろうか。臭わないだろうか。
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 小鰡ノ鼻の周辺は、岩島や岩礁に囲まれた小さな湾の戸口で、そこには数隻の船と岩場には十人近い人影がある。岬へ行く道はないので、渡船でやってきた釣り人たちなのだろうか。
 夜須久ヶ岳へ登るこの道路は、以前は有料道路だったので、その料金所の名残りなどもある高台から眺める、小鰡ノ鼻とその周辺の海は、まだ朝早い陽光のなかで、精いっぱい輝いている。
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 岬のある出っ張りの付け根のところ、内湾側には、加尾、西小川という集落がある。加尾までは小浜駅からバスがあるはずだったが、とにかく休日のバスダイヤくらい使えないものはない。
 しかたがないので、駅前からタクシーに乗り、北川、南川という二本の川に挟まれたところにある小浜城趾を横断し、甲ヶ崎、阿納尻を経て、エンゼルラインの入口のところまで連れてきてもらった。
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 遠くへ行きたいといって旅に出て、知らない町を歩いていると、思いがけないことに遭遇したり、そうだったのか、あれはここだったのか、というような情報にふれたりすることが多い。
 小浜では、まず、初(常高院)のことがそうだったし、それから、杉田玄白の縁の地でもあったというのもそうだ。杉田玄白記念公立小浜病院というのがあったので、タクシーでそこを通るとき、思わずふとつぶやいてしまった。
 運転手さんが、よくご存知ですねというが、実はよく知らなかったのだ。杉田玄白が生まれた家が小浜藩の藩医だったので、幼年時代の数年をここで過ごしていたということは…。
 けれども、おそらく、小浜と玄白の縁は、それ以上ではなかったのではないだろうか。
 もっぱら、江戸の藩邸にいただろうし、かの有名な「ターヘル・アナトミア」の翻訳『解体新書』を、豊前中津藩の藩医であった前野良沢の支援で、桂川甫周、中川淳庵らとともに仕上げたのも、小浜藩ではなく今の東京は明石町の、聖路加病院付近にあった中津藩邸で行なわれている。(参考写真=勝鬨橋から佃方面。左端が聖路加タワー)
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 中津藩には、前野のほかに大江医家というのもあって、大分中津の資料館にはその関係資料も多く残されている。「蘭学の泉はここに」という記念碑が建つ、明石町の交差点にある緑地帯には、「慶応義塾発祥の地」というのも並んでいて、あの有名な文句も刻まれているのだ。なぜって…? ほら、あの一万円札のお方は、中津藩士だったのですぞ。
 その隅田川の岸辺、“隅田川テラス”は、でんでんむしの散歩コースなのである。
 月島、佃、中洲、両国、深川、豊洲、晴海と、毎朝歩くといえば、それは今では“大ボラ”になってしまうが、以前は毎日歩いていた。最長は勝鬨橋から両国橋までの往復だが、新大橋か永代橋か中央大橋か、どの橋を渡って折り返すかによって、コースの長さと歩く時間を調節できる。よく付近をうろうろしていることは、事実なのである。隅田川も一時期に比べると、かなり水質も改善されたというが、この下流域では、ボラも臭いだろう。
 今では、中途半端に更新が止まったままで、何年もほったらかし状態リンクも切れたままの「隅田川テラス散歩」として書いていたことはある…。
 とにかく、思いがけなく遭遇する、こういう歴史のふしぎなめぐりあわせも、つくづくおもしろいと思う。
 実際にはかなり貢献もしたはずの前野良沢の名は表に出ず、ほとんど知られぬままに終り、名を連ねたうちの杉田玄白の名だけが有名になるのも、よくあることだが、それもまた歴史の皮肉のようなところがあっておもしろい。それは、なによりも玄白が、『蘭学事始』という記録を残したためであろう。
 中津の奥平の殿様が蘭学好きだったので、中津藩のほうがいろいろやりやすかったのだろう。奥平家は、後にこの偉業の陰の立役者であった前野良沢の功績を多として表彰までしているが、小浜藩が杉田玄白の支援をしたという話は聞いたことがない。
 だが、その埋め合わせをするかのように、現在では町の中央に彼の名をかぶせた大きな病院と銅像があり、小浜市は“杉田玄白賞”という賞まで設けている。
 こういうのも、またおもしろいし、土地と人の縁がなんともいえない。
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▼国土地理院 「地理院地図」
35度33分24.58秒 135度45分55.81秒
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dendenmushi.gif北信越地方(2010/06/05 訪問)

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タグ:福井県
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