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□05:本とはおよそ縁がない暮らしで付録が楽しみだった雑誌は盆と正月くらい [ある編集者の記憶遺産]

 原爆で家を焼かれたので、府中町のこども時代は、本というものとはおよそ縁がない暮らしだった。考えてみれば、妻を失い、家財も何も一挙に失ってしまって、食べるのがやっとという生活を余儀なくされ、おまけに遠く南方の戦地へ送られたらしい息子は遺骨でも帰ってこない。
 祖父のそのときの落胆は、いかばかりであっただろうか。
 70年は草木も生えないといわれた原爆の地にも、草が芽を出し、バラックが立ち並び、再び人が戻ってきても、盛業だった左官業を再開することもせず、結局、わずかな家作で暮らし、畑を耕すニワカ百姓になるという道を選んだ。
 復興広島には欠かせない仕事だったのだから、すぐに戻って弟子を集め、事業を再開すれば、たちまち広島屈指の建築業くらいになっていたかも知れないのに…である。
 自分も一家を構え、こどもを育てるようになってから、また人生の岐路に立ちあったときなど、折りに触れてこのときの祖父の心境を、なぞりながら推し量ってみる。すると、悲しいまでの諦観というか達観が、おぼろげな輪郭として浮かび上がってくるのだった。
 とにかく、そんなわけだったから、家に本などあるわけもなく、また買ってもらえるようなものでもなかった。
 ただ、盆と正月には少しばかりの小遣いやお年玉がもらえる。それで学年別学習雑誌を買ってくるのが、精いっぱいだった。その雑誌と付録で、とりあえず半年間楽しむわけである。半年経つと、次の雑誌が買える。
 雑誌には必ず三大付録とは五大付録が、ときには七大付録というのまであって、これがまた楽しく遊べる。これは、日本独特のものなのか、現在にもそれは引き継がれている。考えてみれば、こうした雑誌とその付録こそが、でんでんむしのいちばんの友であり、遊び相手だったような気もする。
 小学校時代を通じて、そんな状況は変わらず続いたが、やがて雑誌は『小学○年生』から、『少年』や『少年画報』『少年クラブ』へと変わっていく。
 雑誌の付録にもいろいろあったが、カメラはまだ高価で、とても一般的ではなかった時代、記憶に残るのはピンホール・カメラと日光写真だった。そのほかでは、『少年画報』の付録だったと思うが、“法隆寺パノラマ模型”というのも忘れ難い。まだ見たこともない法隆寺へのイメージは、これを組み立てていく作業のなかで、大きくふくらんでいった。
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 このシリーズの□01、□02で紹介した東京国際ブックフェアの来場者は、前回を2万人以上上回る8万7,449人(前回6万4,844人)で、34.8%も増加したという。7月8日から11日まで、東京・江東区の東京ビッグサイトで開かれていたこの催し、業者来場日の初日と2日目については、前回より8,000〜1万人近く増加しており、「一般的に展示会では考えられない増加率(主催者)」だった。
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 もちろん、その理由もはっきりしていて、ことしは直前までiPadの登場に刺激されて、電子書籍関連の報道が相次いでいたことがあって、業界関係者がいつもに増して数多く訪れた結果であろう。
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 でんでんむしが、雑誌の付録のピンホール・カメラや日光写真で遊んでいたのは、小学校の半ばくらいであったろうから、1950(昭和25)年としてみる。すると、iPadで遊んでいる今、それから60年しか経っていない。還暦でひとまわりするだけの間に、でんでんむしの遊び道具もずいぶん高級になったものである。
dendenmushi.gif(2010/07/17 記)

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タグ:編集 iPad
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