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573 袖崎=小浜市飯盛(福井県)鉄道と国道を消してみると丹後街道と常高寺が… [岬めぐり]

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 袖崎は、波懸鼻から海上を西へ2キロほどのところにある。遠望で、青井崎からも小浜湾からもよく見えているが、先端に小島を伴ったような形に特徴がある。島にはまだなりきれず、細長く半島としてつながっているその沖には、正真正銘の島が浮かんでいる。これは蒼島という名とともに、地図には“暖地性植物群落”として三つ星マークが付けられている。
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 何となく気になるが、今回は詮索する時間がなかった。想像するに、これも対馬海流と関連があるのだろう。
 この付近の岬と道を考えるうえでは、まずトンネルで内陸部を抜けている、JR小浜線と国道27号線を、一度地図から消し去ってみることが肝心だろう。
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 青井崎から波懸鼻、そして袖崎を結ぶ道は、勢浜を除けばほとんど人家も船溜まりもない、さびしい海岸の道である。
 そのうち勢浜から東は、波懸鼻のところでも触れたように、道路は高いところを巻いていて、海岸は崖に覆われている。しかも、小浜と勢浜を結ぶ道は、勢峠という垰道でまっすぐに繋がっている。
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 これに対して、勢浜から西の袖崎をめぐる海岸の道は、さほど高くなく急な崖も少ないようだ。
 この状況から想像すると、波懸鼻の道は比較的新しく開かれた道であり、袖崎の道は昔から丹波と若狭の往来に使われていた丹後街道そのものではないか、と思われるのだ。小さいながらも、山が迫っているので、内陸は山越峠越えが連続する。それを思えば、なるべくは海岸の比較的平坦な道を行きたい。そう思うのが普通である。
 そういう旅人にとっては、袖崎は少し回り道を余儀なくさせる、じゃまな存在であったかも知れない。
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 丹後から東へ向かってやってきた旅人が、袖崎を回り込み、勢浜の集落を過ぎると、湾からそれて標高100メートルほどの勢峠に向かう。これしきの峠は、まだやさしいほうだ。
 峠を下るとそこは小浜の青井で、町家の間をしばらく行くと、右手の山沿いに大きなお寺がある。それが、常高寺である。
 来年2011年のNHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』の主人公になるのは、徳川秀忠の正室の江(崇源院)であるらしい。浅井三姉妹の末っ子である江の上の姉が初であり、長姉がかの淀殿である。実は、この寺こそ、三姉妹の真ん中、初(常高院)の菩提寺なのである。まことに数奇な運命に生きた三姉妹だったが、京極家に嫁いだ初は、なかではいちばん地味な存在だったのかも知れない。
 けれども、母親譲りの美人で三人の中ではいちばん長生きをし、高次の死後は常高院として大阪夏の陣などでは周旋に動いたりもし、遺言で京極家が他の地へ移封されるようなことがあっても、自分の墓所常高寺だけは、ここから変えないようにと主張するなど、自分らしい生き方を通した人だったような感じもする。
 夫の京極高次が家康により若狭に封じられたとき、その城は後瀬山城にあった。この山が、今では国道27号線を後瀬山トンネルが抜けている常高寺の裏の山だったのだ。
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 きっと、京の都にも近く、海と山の美しい小浜は、初のお気に入りだったろうし、夫とのそう長くない生活の思い出の地であったのかも知れない。常高院の遺言は、その後も今に至るまでちゃんと守られている。
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 このお寺への参道の石段の上を、JR小浜線が通っていて、『ちりとてちん』のロケ地でもあった石段は通行禁止。『ちりとてちん』の立て札の下にくっついている黄色いのは、この上を通過する小浜線のダイヤである。つまり、通行禁止だけど、この時間以外は石段を通ってもいいよ、ということなのか。へそまがりにしては比較的、遵法精神に富んでいるでんでんむしは、迂回してガードをくぐってお寺への道を行く。すると、なにごとかたくさんの人が降りてくる。そのなかのひとりのおばあさんが、「やっぱり、師匠は違うよね、たいしたもんじゃわ」という。
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 お寺の本堂で行なわれていた落語会が、ちょうどはねたところだったのだ。これも駅前通りの落語定席も、『ちりとてちん』が残して、この地に根づいている文化なのだろうか。老人の夫婦らしい二人連れが、山門を出て線路を渡ろうとしている。あぶないよと、へいきじゃという声が交叉する。
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 このお寺には、尾崎放哉が短い間だけど寺男として滞在していた。まだ新しいモダンな本堂の前庭には、萩の見事な株がずらりと植わっている。そんな境内の端に、大きな句碑と説明板が立っていた。
     浪音淋しく三味や免させて居る
 その説明にあったこの句は、いまいちピンとこないが、小浜時代を代表させる作品としてあげるには、こんなののほうがよく似あうと思う。
     かぎりなく蟻が出てくる穴の音なく
     雨のあくる日の柔らかな草をひいて居る
     とかげの美しい色がある廃庭
     ころりと横になる今日が終つて居る
     土塀に突かひ棒をしてオルガンひいてゐる学校
 放哉が詠んだこの句の土塀とオルガンの学校だったらしいところは、今は建物も取り壊されて移転しており、広い空地になっていた。
 常高寺から駅寄りにかけては、いわゆる寺町で、いくつものお寺が並び、そのひとつに、八百比丘尼が入定したという洞窟のある空印寺もある。
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▼国土地理院 「地理院地図」
35度29分38.37秒 135度42分3.29秒
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dendenmushi.gif北信越地方(2010/06/05 訪問)

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タグ:福井県
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