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572 波懸鼻=小浜市青井(福井県)小浜は京の玄関口か勝手口かあるいは離れの裏木戸か [岬めぐり]

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 波懸鼻は、青井崎からまたさらに少しずつ登っていく道路を西へ行ったところにあるが、ここは小浜湾からの眺めと、青井崎から見たところで間に合わせることにする。namikakehana04.jpg
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 海岸を巻く道路が、だんだん高度を上げている様子は、海の上からの写真でもよくわかる。平地がないところを、崖の途中を削って道がつけられているので、白く見えているところは崖崩れなどで道路を補修したところである。
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 若狭と呼ばれる地域は、そう広くなく、前は海で後ろは国境の山々が迫っている。波懸鼻の向う、勢浜の集落ごしに見えているのは、頭巾山から続く堀越垰の山々である。また、そこから眼を東に転じれば、青井崎と小浜市街の奥には1000メートルにはわずかに届かない三国岳が、福井と滋賀と京都の国境をかたちづくっている。
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 つまり、見えているその山の向うは、京の都であった。このことは若狭小浜を知るうえでは、きわめて重要なことである。
 小浜と京の都を結ぶ道は、大きく分けて二つある。
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 三国岳の東にはサバ街道として知られる若狭街道が琵琶湖畔の今津へつながっているが。その手前からは朽木街道という山の中の谷筋をまっすぐ京の八瀬へ向かうルートがある。信長が朝倉攻めで敦賀に侵攻したとき浅井の寝返りを知って疾風怒涛のごとく(この表現はなにげなく使ってしまったが、よく考えてみると、司馬遼太郎の『街道をゆく〜湖西の道』で読んだ印象が強く残っていたせいである。)京へ逃げるときにも使われた。
 頭巾山の東西にも、堀越垰、そして尼来垰などいくつかの垰がある。これを越えれば、周山街道で京の鞍馬や清滝へ通じる。
 そのことを思えば、京の都の人々にとっても、若狭はいちばん近い外海につながる湊であり、物も人も盛んに行き来していたはずで、それはひょっとすると、福井県だ京都府だとか言っている今以上であったかも知れないとさえ思うほどである。
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 ホテルのある海岸から、少し山寄りに歩くと、そこには“小浜西組”と呼ばれる古い町並みがどうにか残っている区域がある。数年前に国が重要伝統的建造物群保存地区に指定したところだ。だが、保存するには、ちょっと手遅れだったのではないだろうか。すでに、改築してしまった家が多く、その間にばらばらと古い家が残るといった感もあるが、これが小浜城下の庶民の町の名残りなのだ。
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 これもまた、いかにも京の商家・町家風というか…。
 そして、この町並みの奥には、山沿いに寺院がずらりと並んでいる。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度29分28.94秒 135度43分15.44秒
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dendenmushi.gif北信越地方(2010/06/05 訪問)

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タグ:福井県
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