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□02:電子書籍への想い・はるかな道「東京国際ブックフェア」つながりで… [ある編集者の記憶遺産]

 最初に本というものと触れ合った原点は、人によりさまざまなものがあり、それぞれに貴重な思い出とつながっていて、しばしそのことを頭の中で泳がせてみるだけでも、ふしぎになんとなく幸せなひとときが流れていくはずである。
 でんでんむしの場合は、なんといってもマンガであり、それも今年のNHK朝ドラで意外なブームを呼んでいるといわれているゲゲゲの“貸本屋マンガ”そのものであった。
 手塚治虫の『新宝島』を、つてのつてを遠くまで辿って物々交換条件でやっと借りてきて、わくわくしてコマを追い、ページをめくった時期と、それはほぼ符合する。手塚治虫自身も、貸本マンガをたくさん描いていたはずなのだが、東京国際ブックフェアでもでんでんむしが縁のある出版社のブースの隣には、虫プロダクションのブースがあり、ベレー帽の手塚さんが見守っていた。そこで自分の記憶に間違いがないかどうか、聞いて確かめておこうと思っていたのに、この日もすっかり忘れて帰ってきてしまった。 だが、とにかく今はiPadでダウンロードしたアプリで、手塚治虫マガジンを読むことができる。
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 ブックフェアの二日目は、出展社の開くセミナーのなかから、二つに参加した。ひとつはオンデマンド印刷に関するもので、ひとつはePubに関するものであった。
 これも、でんでんむしの本に関わる遠い原点から始まって、現在にまでつながっているテーマなのである。
 歴史的にみると、人類の三大発明として「火薬」、「羅針盤」とともに名を連ねている「活版印刷」は、グーテンベルクが、ワイン絞り機の原理から発想したといわれており、ゆったりとライン川が流れるマインツの町にグーテンベルクミュージアムを訪ねたときの感激は、いまだに色あせない。そのときに記念に買ってきた、お土産用にそこで印刷した42行聖書の1ページでさえ、あれから35年も経った現在でも、色あせることなく鮮やかなのである。
 グーテンベルク以前の「本」はというと、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を連想してしまうが、教会の奥深くに隠された羊皮紙を束ねたものであったのだから、活版印刷によって本は初めてそのクビキを解かれた、ともいわれる。
 印刷というのも、大量に安くというメリットの裏返しに固定費の高止まりというデメリットを抱えたシステムなので、個人で少部数で安価にというニーズには、フィットしているとは言えない。それを埋める軽印刷も、いろいろな方法が登場してきた。そのなかでも、ガリ版印刷くらい長く広く普及したものはない。宮沢賢治は本郷で筆耕のアルバイトをしていたというが、これもただ字が書ければいいというものでもなく、ガリを切るという特殊技能者も、各職場や学校などに多数存在した。(ヤスリの上に置いた原紙の蝋を鉄筆で削り取って、インキをつけたローラーで紙に転写するという基本原理は、“プリントごっこ”とおなじだ。)
 でんでんむしの叔母が、このガリ切りの技能者で、家でアルバイトをしていたので、こどもの頃からそれで遊んでいた。自分でガリ版の新聞をつくって、近所に配ったりしていたのは、中学生の頃だった。
 それが、近年のオンデマンド印刷につながっているのは、マスメディアの役割と必要性を認めたうえで、その対極にある少部数印刷の自由な道を、なんとか確保しておくべきだという自身の信念による。
 ガリ版については、エジソンの発明と家に今も大事にとってある堀井謄写堂の謄写版の違いと関連など、いくらでもネタがあるのだが、それらは雑誌『本とコンピュータ』でおなじみだった、津野海太郎氏の『小さなメディアの必要』にも詳しい。
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 この本にも、ブックフェアでのボイジャー萩野氏のセミナーで、再会した。T-Timeで .Bookに書き出しているのだ。再会といえば、iPad以降、いくつか懐かしい名前に再会する機会が増えているのだが、『iPodをつくった男』大谷和利氏の名前もそうだ。
 二日目のもうひとつのセミナーは、「ePUBと世界をつなぐT-Time」という題名に魅かれて並んだ人が大勢いた。会場に入れないで帰った人も相当いたようだが、おそらく入れた人にしても期待したような内容ではなかったと思う。
 例によって三省(経産・総務・文科)はじめさまざまな思惑がからんで、実用的な規格統一もできていないePubについては誰も多くを語ることができないのかも知れないが…。
 ボイジャーでは、『理想書店』というアプリを無料でApp Store に上げ、多数の電子書籍販売に乗り出したようだが、これにも長い間培ってきた T-Timeが、やっと陽の目をみたというところだろう。だが、アプリの評判は必ずしもよくない。確かに面倒であるし、iPadになっていないじゃん、結局Safariなの、といった感想はある。ここでも講談社の京極夏彦『死ねばいいのに』が iTunes Store よりも高い値段で売られている…と思ったが、あれはタイムセール価格だったのだろうと気がついた。
 予想通り、電子書籍の販売拠点はかなり大幅に拡大しそうである。ただし、でんでんむしは、紙の本をPDFにしただけのようなものは、この一時期だから認められる商品に過ぎないと思う。
 若い人が多いそのセミナーなかでは、でんでんむしは最高齢の部類に属する。この歳でePubをどうこうしようというのは、かなりの無謀といえる。でも、まあ言ってみれば、単なるヤジウマの域は出ないのでご心配には及ばない。
 HTMLについてはインターネット以前からハイパーテキストに興味があったし、Hyper Cardが出た翌年(1988)には、「My Book」という絵本をメタファにイメージしたスタックをつくった。それをおもしろがって当時出た専門雑誌に紹介記事を書いてくれたのが、大谷氏だった。
 その後、エキスパンドブックをはじめ、さまざまなハイパーメディアの長い試行錯誤を重ねてきて、今日の電子書籍にやっとつながってきつつある。それを最初に明確に意識できたのが、富田倫生氏が苦心された『青空文庫』を、iPhoneで読んだときだったと言える。
 著作権の切れた、かといって買ってまで読む気はないようなたくさんの作品(富田氏はそれらを“商業出版の枠組みにものらず、アーカイブという着地点も得られない「漂流作品」”という。)を、ダウンロードして読めるのはとても楽しいことで、でんでんむしはそれだけでもiPadの使い道はあると、きわめて安易な満足ができるのである。
 佐野眞一氏もでんでんむしとほぼ同感だったらしいことは、一日目の基調講演のなかで、「iPadを最初に持ったときにはちょっと重いと思ったが青空文庫を大量に入れて持って歩くと軽いと思うようになった」と述べていたことからも理解できる。
 とりとめのない話に終始したが、先に書いた 553 文庫鼻=高知市春野町甲殿(高知県)iPadの届く日に文庫への想いやらなんやら と合わせて今回の東京国際ブックフェアの感想を見ていただけると、ありがたいのだが、どうせ人様の役に立つようなことではないからムリにはお勧めしない。(さすが So-netだから、SONYのことを書くときにはこれでも気をつかっているつもりだが、それまで訪問してくれていた人がiPadについて書いたとたんにぱったりこなくなると、なにが気に障ったのだろうと悩んだりもする。)
 iPadについては、5月末に「めもり猿人」さんから「So-netはJAVAのせいでしょうか、iPadのSafariから写真のアップロードができないみたいですね。結構、これ致命的かと思ってたりします。」というコメントをいただいていた。これについては、でんでんむしも試してみたが、So-net以外でもできない。つまり、iPadにはブログに写真などをアップロードするなど、普通のネットブックと同じことを同じようにやらせようと思っても、今のところはできないのである。iPadが他の書籍リーダーと異なるのは、コンピュータであってコンピュータではないというのは、こういうことだろうが、時間が解決する問題もあろう。
 ともあれ、高校生の頃から、「日本語をタイプライターを打つように書くことができないだろうか」という夢をみていたでんでんむしが、時代の流れのなかでMacintoshにめぐりあい、日本語化とともにDTPの実践を進めてきた。
 そしてまた、でんでんむしが原爆で家を焼かれたときに、その敵国アメリカではバネバー・ブッシュという人が「メメックス」という構想をまとめて論文を発表していたという事実を知ったときの衝撃! それが、度重なる製品の発売に先駆けてコンピュータというものにユーザとして、その黎明の当初から関わってきたことにつながる。そうした、一連の個人的another storyも、今の時点に集束してほぼ語ることができそうな気もして、とにかくこの機会に備忘メモを残しておこうと考えた。
dendenmushi.gif(2010/07/11 記)

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