545 砥崎=土佐清水市三崎(高知県)ギザギザかツルツルか それが問題だ [岬めぐり]
タクシーを降りたところは、竜串の見残しめぐりの遊覧船の切符売場の前だった。もうすぐ船が出るというので、船着き場へ急ぐ。ほかのこども連れなど数人の乗客とともに、竜串の港の防波堤の内側に設けられた船着き場を離れると、小さな船は岩島を避けながら南に向かう。
千尋岬の西岸に突き出した、見残しが目的地である。砥崎はその先にあるのだが、そこまでは行かないらしい。途中で船を停めては、水中を見物しながらのノンビリコースである。まあ、遊覧船なのだからしかたがない。
こどもたちも船底のガラス窓をおとなしく覗いてはいるが、さほど感激したふうでもない。小さいながらテーブルサンゴもあるし、シコロサンゴもある。この南宇和海が、本土の海ではかなり温暖な証拠だ。
でんでんむしは、こういうグラスボートの類いも、数か所で体験しているが、海の中で印象に残るのは、やはり八重山は西表島の北端の海だろうか。普通の小舟の舷側から身を乗り出して、箱状ののぞき窓を海面につけて見るのだが、ここはまだサンゴが川平湾のように白化現象でひどいことになっていなかったし、色彩が豊かだったという記憶がある。
足摺海底館という海中展望塔も竜串の西にあって、魚を見るにはこちらのほうがおもしろい。だが、そこは前に行ったので、今回はパス。
見残しの船着場で乗客を降ろすと、船は引き返してしまう。帰りの迎えの船が20分後に迎えに来るというのだ。20分しかないのか。このコースがそもそも見残し遊覧なので、それで充分というわけだ。だが、これでは、砥崎の先端までは行けそうにない(後でわかったことだが、見残しから砥崎へ行く道はなかった。国土地理院の地図の通りだった)。とにかく片道10分歩いて、そこでUターンして戻れば船に間に合う。
そもそも「見残し」とはなんだろう。例によって、ここにも弘法大師に因んだ伝説がある。ここにやってきたとき、道が険しいのでこの景勝地を見残した、というのだが…。それなら、舟で行くことは考えなかったのか。
Wikipedia には、もっと新しい別の説明もある。それによると、「川田小龍【ジョン万次郎の漂流・留学・航海体験を本にまとめ、坂本龍馬に多くの影響を与えた人物】がこの地を「見残の景」と命名した」というのだ。
それ以前に、「見残し」という呼び方が使われていなかったのであれば、この説は俄然有力になるかもしれないが、そうでなければ弘法大師に勝つことはできない。
時間があってもなくても、結局はこの遊覧船でも砥崎の先端が見えるところまでは行くことができない。やっぱり、見残しである。
ただ、見残しも砥崎も、同じといえば同じだが、厳密にいうとここにあるのはまだ見残しの範囲の写真で、砥崎は、城ノ岬へ向かうバスからはじめて見えたということになる。
ところで、(よせばいいのに)また砥崎という名前にひっかかってみる。
「砥」は“といし”の砥である。実は、最初にこの名前を知ったとき考えたのは、ギザギザでヤスリのようなでこぼこの多い地形からついた名前ではなかろうか、と想像していた。
しかし、改めて辞書を引いてみると、「砥の如(ごと)し〔詩経小雅,大東〕道路などが砥石のように平坦であることをいう。」とある(『大辞林 第三版』)ではないか。
おやおや、そうなんですかい。『詩経』を引っ張り出されたんじゃ、恐れ入るしかないか。でもね。確かに、砥石には表面がツルツルのように見えるものもあります。けれどもね、そんな砥石でも目に見えないくらいの細かいギザギザがなければ、鉄を研磨するという役目は、とても果たせないのではないですかい…。
では、この見残しの一帯(地質地形的には、砥崎も見残しも同じ)の、どこが“平坦”なのだろう。
おかしいですねえ。首をかしげますねえ。
ふと、気がついたのは、西の道路からの遠望で千尋岬を見ると、なんか砥石のように見えなくもない。
でもね、それは千尋岬であって、砥崎はその先っちょのことですから、平坦とも関係ない…。だがまてよ。砥崎の先端の岩場だけが、あるいは砥石のように平らかなのだろうか。それは確認できなかったが、見残しや竜串の地形からは、それも考えにくい。まあ、こうして書いておけば、またいずれどなたかが教えてくださることもあろう。
やっぱり、いくらこのあたりがギザギザでも、名前にひっかかるのはやめといたほうがよかったのかも…。
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