537 鴉ノ岬・明神岬=土佐清水市松尾(高知県)岬は神聖な場所でもあった [岬めぐり]
崖のかなり高いところを、細い曲がりくねった道で走り抜けると、バスは東へ向きを変える。足摺岬のある半島の先端は、東西5〜6キロに渡ってたくさんの細かなでこぼこが続く。
その東の端が足摺岬である。そして、対する西の端にも結構目立つ大きな岬があるのに、そこは無名の岬なのである。

それもなんとなく納得がいくのは、その付近は張り出した山塊と断崖と絶壁、それに細かく入り組んだ岩礁のつくり出す入江ばかりの場所で、人家のひとつもない。ただ、バス道路が抜けていくだけなのだ。
岬の名前は、陸で暮す人の必要性とともに、海上交通の必要からもあったはずだが、ここはそんなにたくさんの船が沿岸を行き交うという場所でもない。それでも、西の端には灯台もあり、神社もあると地図では記されている。しかし、それは東からは90メートルほどの断崖で海から屹立している山に阻まれて見えない。
いや、この項の主役はその名無し岬ではなく、その手前に見えている鴉ノ岬と、さらにその手前にある明神岬でなければなるまい。

ところが、東からの写真では、目立つのは名無し岬ばかりで、かなりひっこんでいる鴉ノ岬に至っては、探さなくてはわからない。そんな鴉ノ岬には名前があるのに…。
まあ、この問題は岬めぐりでは何回となく、おそらく際限なく繰り返されることであろう。そしてまた、その答えは常に期待できぬものであろう。それがわかっていながら、またしても自問自答してしまう。

岩場に続いてこんもりした森がつながる明神岬は、その名にたがわず小山のなかに神社だけが隠れているようだ。
明神岬のさらに手前(東側)が女城(めじ)鼻だが、ここにも神社がある。細くとんがって突き出した岩の岬の上に、遠く人家から離れて神社があるという形も、岬めぐりではよくあるパターンである。それが、ここではオドリ碆(ば・ばえ)と名のついた小さな岩島をはさんでふたつ並んで揃い踏みをしている。

これは、このふたつの岬が、松尾というこの付近では足摺岬についで大きな集落の人々にとって、海につながる神聖な場所となってきたからに相違ない。
岬は、神(ときには仏も)が宿るところでもあり、その例は枚挙に暇がないのである。
またまたこじつけめくが、そう考えると、ここの名無し岬もなかなかに…。
そうでした、この項の主役はあんたではなかった…。
その東の端が足摺岬である。そして、対する西の端にも結構目立つ大きな岬があるのに、そこは無名の岬なのである。

それもなんとなく納得がいくのは、その付近は張り出した山塊と断崖と絶壁、それに細かく入り組んだ岩礁のつくり出す入江ばかりの場所で、人家のひとつもない。ただ、バス道路が抜けていくだけなのだ。
岬の名前は、陸で暮す人の必要性とともに、海上交通の必要からもあったはずだが、ここはそんなにたくさんの船が沿岸を行き交うという場所でもない。それでも、西の端には灯台もあり、神社もあると地図では記されている。しかし、それは東からは90メートルほどの断崖で海から屹立している山に阻まれて見えない。
いや、この項の主役はその名無し岬ではなく、その手前に見えている鴉ノ岬と、さらにその手前にある明神岬でなければなるまい。

ところが、東からの写真では、目立つのは名無し岬ばかりで、かなりひっこんでいる鴉ノ岬に至っては、探さなくてはわからない。そんな鴉ノ岬には名前があるのに…。
まあ、この問題は岬めぐりでは何回となく、おそらく際限なく繰り返されることであろう。そしてまた、その答えは常に期待できぬものであろう。それがわかっていながら、またしても自問自答してしまう。

岩場に続いてこんもりした森がつながる明神岬は、その名にたがわず小山のなかに神社だけが隠れているようだ。
明神岬のさらに手前(東側)が女城(めじ)鼻だが、ここにも神社がある。細くとんがって突き出した岩の岬の上に、遠く人家から離れて神社があるという形も、岬めぐりではよくあるパターンである。それが、ここではオドリ碆(ば・ばえ)と名のついた小さな岩島をはさんでふたつ並んで揃い踏みをしている。

これは、このふたつの岬が、松尾というこの付近では足摺岬についで大きな集落の人々にとって、海につながる神聖な場所となってきたからに相違ない。
岬は、神(ときには仏も)が宿るところでもあり、その例は枚挙に暇がないのである。
またまたこじつけめくが、そう考えると、ここの名無し岬もなかなかに…。

そうでした、この項の主役はあんたではなかった…。
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