492 焼山崎=下北郡風間浦村大字下風呂(青森県)三次元で想像してみる(再挑戦!で成功) [岬めぐり]
さてさて、So-netの最新情報で、「asahi.comなど、新たに3サイトから転載できるようになりました」という告知があった。そこで、試しにやってみる。
二度目で成功したが、これを「転載」というのはいかがなものか。実際には「続きを読む」ボタンをクリックしなければ内容は読めないし、クリックすれば別ウインドウでasahi.comのサイトが開くので、それは転載とは意味的にも違う。やはり「リンク」をつけるというほうが正しいのではないか。言葉にこだわるのは、現在でも「転載」の誤った使い方、著作権法上からも問題のある使われ方をしている風潮が、なかなかやまないからで、「転載はOK」の誤解がより広がることも懸念されるからだ。
確かに、でんでんむしも最初は「えぇー、まだ早すぎるんじゃないの?」と思ったのは事実である。だが…と、そこで思い直した。願いを形にすることで、世界が世の中が変わるということは、あるのではないか…。
「世界が彼を助ける必要がある」
「言葉を侮ってはいけない。言葉は時に人に希望を与え、その希望が物事を良い方向に変える」
深く心に刻まなければなるまい。
(この記事は2009/10/31の朝刊のニュースで伝えられ、同時にasahi.comで配信された。24時間経過して、この「記事を利用したブログ一覧」をみると、わずか3件であった。ネタにもよるだろうが、ニュースはすぐに入れ替わるので、So-netがいうようなアクセスアップ効果は、あまり期待しないことだろう。)
そのことは、有権者の多数が望んだ日本の政治を変えたいという願いで生まれた新政権への期待にもあてはまる。メディアが相変わらず55年体制のなかにいるのと同じような論調、ニュースの取り上げ方をしている(その極端な例が産経新聞と読売新聞)なか、情報の見方、読み方、受け止め方にも三次元的な視点が必要なのだ。鳩山首相の所信表明演説を、“観念的・情緒的で具体性がない”と批判するのは簡単だが、それ自体中身も訴えるものもない。もともと「所信」なのだから、それでいいのだ。
自らの反省もなく“政権奪還”を叫び、新政権批判に必死な自民党は論外として、「揚げ足取りはせず、現実に政治を前に動かしたい」という共産党には期待できる。「“や党”でも“よ党”でもなく“ゆ党”で」という“み(んなの)党”の渡辺さんもがんばれ。
再び279号線(“はまなすライン”という名もあるらしい)に戻って、バスは風間浦村を走る。東西に長い風間浦村は、比較的大きな集落がふたつある。大字でいえば下風呂と易国間(ここでは降りなかったので、読み方がわからない)で、後者のほうに中学校も役場もある。そこを過ぎてしばらく海沿いの道を進むと、バスの車窓前方に焼山崎が姿を現わす。
前方をダンプカーが走っている。そういえば、昨日は雨の赤川で、傘をさして歩いているそばを、猛スピードで水を跳ねかけられたことを思い出した。
易国間が下風呂と変わって少し走ると、道が急カーブで曲る。そこが焼山崎だ。
別になんの変哲もない出っ張りといえば、ここもそうで、とくに降りなければならないこともないので、そのままバスで走り抜ける。
道路も少し高いところを走っているが、その背後の山も急で、50メートルくらいまで一気にせり上がっている。
だいたい、海岸の写真などを撮ったり、テレビに海辺の風景が映し出されたりすると、たいていはいかにも岬という出っ張りが写っているものだ。
そのなかには、立派な岬もあるが、さほどではない出っ張りである場合もたくさんある。というのは、地図上ではほとんど目立たない出っ張りであっても、浜辺から眺めたときには、まずたいていの場合、必ず岬のように見えてしまうのだ。
これは当然、実生活のなかでは常に三次元の中で行動し、それを意識していながらも、見えている景色、目の前の正面、とくに遠景などは、二次元の平面的な絵柄としてしか、われわれは景色というものを認識できないからである。
この岬の向こう側が、どうなっているのか。そこはすぐくるっと回って海なのか。それともまだ山がまっすぐ続いているのか。
それは情報としては地図などで、理解していいるが、それだからといって見えない裏側を見通すことはできていない。
それは、もっぱら空想力、想像する力によって補っている。
この焼山崎は、名前がついている岬だが、この程度の出っ張りで、あるいはこれ以上のはっきりした無名の出っ張りは、無数にある。
そして、焼山崎程度の出っ張りでも、横から(浜から)見ると、これがいかにも岬のようにしか見えない。どうやら、目に見えている景色は、遠くなればなるほど、芝居の書割りのような、銭湯のタイル絵のような、平板なものにしか、どうしても見えない。
これも、岬を考えるうえでのポイントというか、留意点の一つといえる。
岬の先端を回って、1.5キロも走れば、日和崎のバス停なので、そこで降りる。
▼国土地理院 「地理院地図」
41度28分51.76秒 141度4分10.49秒
東北地方(2009/09/10 訪問)
二度目で成功したが、これを「転載」というのはいかがなものか。実際には「続きを読む」ボタンをクリックしなければ内容は読めないし、クリックすれば別ウインドウでasahi.comのサイトが開くので、それは転載とは意味的にも違う。やはり「リンク」をつけるというほうが正しいのではないか。言葉にこだわるのは、現在でも「転載」の誤った使い方、著作権法上からも問題のある使われ方をしている風潮が、なかなかやまないからで、「転載はOK」の誤解がより広がることも懸念されるからだ。
確かに、でんでんむしも最初は「えぇー、まだ早すぎるんじゃないの?」と思ったのは事実である。だが…と、そこで思い直した。願いを形にすることで、世界が世の中が変わるということは、あるのではないか…。
「世界が彼を助ける必要がある」
「言葉を侮ってはいけない。言葉は時に人に希望を与え、その希望が物事を良い方向に変える」
深く心に刻まなければなるまい。
(この記事は2009/10/31の朝刊のニュースで伝えられ、同時にasahi.comで配信された。24時間経過して、この「記事を利用したブログ一覧」をみると、わずか3件であった。ネタにもよるだろうが、ニュースはすぐに入れ替わるので、So-netがいうようなアクセスアップ効果は、あまり期待しないことだろう。)
そのことは、有権者の多数が望んだ日本の政治を変えたいという願いで生まれた新政権への期待にもあてはまる。メディアが相変わらず55年体制のなかにいるのと同じような論調、ニュースの取り上げ方をしている(その極端な例が産経新聞と読売新聞)なか、情報の見方、読み方、受け止め方にも三次元的な視点が必要なのだ。鳩山首相の所信表明演説を、“観念的・情緒的で具体性がない”と批判するのは簡単だが、それ自体中身も訴えるものもない。もともと「所信」なのだから、それでいいのだ。
自らの反省もなく“政権奪還”を叫び、新政権批判に必死な自民党は論外として、「揚げ足取りはせず、現実に政治を前に動かしたい」という共産党には期待できる。「“や党”でも“よ党”でもなく“ゆ党”で」という“み(んなの)党”の渡辺さんもがんばれ。
再び279号線(“はまなすライン”という名もあるらしい)に戻って、バスは風間浦村を走る。東西に長い風間浦村は、比較的大きな集落がふたつある。大字でいえば下風呂と易国間(ここでは降りなかったので、読み方がわからない)で、後者のほうに中学校も役場もある。そこを過ぎてしばらく海沿いの道を進むと、バスの車窓前方に焼山崎が姿を現わす。
前方をダンプカーが走っている。そういえば、昨日は雨の赤川で、傘をさして歩いているそばを、猛スピードで水を跳ねかけられたことを思い出した。
易国間が下風呂と変わって少し走ると、道が急カーブで曲る。そこが焼山崎だ。
別になんの変哲もない出っ張りといえば、ここもそうで、とくに降りなければならないこともないので、そのままバスで走り抜ける。
道路も少し高いところを走っているが、その背後の山も急で、50メートルくらいまで一気にせり上がっている。
だいたい、海岸の写真などを撮ったり、テレビに海辺の風景が映し出されたりすると、たいていはいかにも岬という出っ張りが写っているものだ。
そのなかには、立派な岬もあるが、さほどではない出っ張りである場合もたくさんある。というのは、地図上ではほとんど目立たない出っ張りであっても、浜辺から眺めたときには、まずたいていの場合、必ず岬のように見えてしまうのだ。
これは当然、実生活のなかでは常に三次元の中で行動し、それを意識していながらも、見えている景色、目の前の正面、とくに遠景などは、二次元の平面的な絵柄としてしか、われわれは景色というものを認識できないからである。
この岬の向こう側が、どうなっているのか。そこはすぐくるっと回って海なのか。それともまだ山がまっすぐ続いているのか。
それは情報としては地図などで、理解していいるが、それだからといって見えない裏側を見通すことはできていない。
それは、もっぱら空想力、想像する力によって補っている。
この焼山崎は、名前がついている岬だが、この程度の出っ張りで、あるいはこれ以上のはっきりした無名の出っ張りは、無数にある。
そして、焼山崎程度の出っ張りでも、横から(浜から)見ると、これがいかにも岬のようにしか見えない。どうやら、目に見えている景色は、遠くなればなるほど、芝居の書割りのような、銭湯のタイル絵のような、平板なものにしか、どうしても見えない。
これも、岬を考えるうえでのポイントというか、留意点の一つといえる。
岬の先端を回って、1.5キロも走れば、日和崎のバス停なので、そこで降りる。
▼国土地理院 「地理院地図」
41度28分51.76秒 141度4分10.49秒
東北地方(2009/09/10 訪問)
2009-10-31 06:34
きた!みた!印(6)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0