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490 大間崎=下北郡大間町大字大間(青森県)本州最北端で歌碑の可否を問う(あえて駄洒落) [岬めぐり]

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 ここが、本州最北端。おおいにまたせたの大間崎であります。
 いやー、三度目の挑戦で、やっと到達です。
 なにか、雰囲気的には日本最北端の宗谷岬(061 宗谷岬=日本最北端(北海道)最果てに果てしなき)と似ているところもあるが、こちらのほうがずっと小ぶりで、丸くなった岬の先端も、見渡せばそれとわかる。宗谷岬では、背後の山の上にあった灯台が、ここでは沖合640メートル離れた弁天島にある。さすがに最北端。風も強く感じる。
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 海面との距離も、宗谷では少し高く離れていたが、ここは陸地が低く、その分堤防がちょっと盛り上がって高くなっている。岬の先端周辺は、観光客向けにテラスが整備されているので、堤防が邪魔になるようなことはない。道路の内側に土産物屋や民宿が並んでいて、なんとなく色彩が派手なところも似ている。
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 やってきたのが早朝で、“最北端到達証明書”を発行してくれるというレストハウスも開いていないし、付近にはまだ誰もいない。これでも、日中には観光バスが次々とやってきて、人が途切れることもないのだろう。
 灯台の向うには、北海道がすぐそこに見える。立待岬のある函館山と亀田半島最東端の恵山岬はすぐわかるが、その中間に位置する汐首岬(143 汐首岬=戸井(北海道)本州に一番近い北海道)は、もともと地形的にははっきりしないところだし、正面からなので、ここから特定するのはむずかしい。
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 ここ大間崎と津軽海峡を挟んで対岸の汐首岬との間が、本州と北海道が最も接近している場所なのだ。その距離、19キロとちょっと。
 津軽海峡西側の、青函トンネルの潜っているほうの龍飛崎と白神岬の間も狭いが、そちらのほうはここより数百メートルばかり遠い。
 この20キロ足らずの距離は、空を飛び海を泳ぐ以外の生物にとっては、決定的な深い溝となった。
 展望台を兼ねて高床式になっているレストハウスの下には、観光客向けの情報掲示板が並んでいるが、そのなかの数枚は“プラキストン線”の説明に割かれている。
 それは、生物・植物相がこの海峡を挟んで北方系と南方系に分かれることを最初に発見し主張した、幕末から明治に日本にいたイギリス人の名による。
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 今となっては、こちらがいろんな情報を(役に立つ立たないは別にして。立たないほうが多いが)たくさん詰め込んでしまったので、こんな程度のことでは驚かない。そんなこと当然じゃん、と思ってしまうゴーガン不遜さである。この海峡にも、眼には見えないけどいろんな線があるんだね…と、ここはやはり素直に感動したり驚いたりしなければならない。
 この溝を跨いで、橋を架けようという動きもあったらしい。その看板が掲示主体の名前のところだけにテープを貼って隠したうえで、今も掲示してあるのが“いとおかし”である。
 掲示や説明書きは、ないよりはあったほうがいいことが多い。それは認めるが、どうもそのつくられかたなどは、土建屋国家的活動の延長線上の末端にあることは全国共通であるらしい。
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 「ここ本州最北端の地」という大きな石標や、実物大マグロのモニュメントくらいまでは、シンボルとしてまあヨシとしようか。だが、それ以外のごちゃごちゃとした歌碑などは、もういい加減にしてもらいたい。
 歴代の青森県知事は、自分の名を刻んだ石碑を建てるのが大好きだったようで、尻屋崎にも二人の知事の石碑が競っていたが、またここにもある。尻屋崎のように広い空間では気にならないで無視できてしまうことも、こんな狭いところにあると目障りもはなはだしい。
 県知事が揮毫し青森県近代文学館なるところが館長名まで麗々しく刻んで建てた「東海の小島の磯の…」など啄木の石の歌碑三基、大間町と観光協会が再建した天童よしみさんの『みちのく慕情』まだ新しい木の歌謡碑。
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 こんなものが、ほんとうにここにふさわしいのでしょうか。はなはだ疑問ですな。へそまがりの私見だが、こういうのは貧弱な観光地を、ますますあわれなものにしているとしか思えない。
 天童よしみさんのほうは、古くなったのを作り替えたというが、その歌がどの程度知られているのか知らない。しいていえば、こちらのほうは、“大間崎”と歌っている分だけ、まだ情状酌量の余地もあるが…。
 啄木の石碑のほうは、どう考えても問題であろう。地元の「啄木会」とやらは、蟹とたはむる小島の磯は弁天島で、昔はここに白砂があったと主張しているらしい。それは、啄木と縁の深い函館の大森浜だとする通説、石川啄木記念館など大方の主張に対し、大胆にも異を唱えていることになる。
 もっとも、函館の大森浜だとすれば、その付近は白砂は豊富にあれど、小島らしいものがないのが弱みで、そこに付け込んだのか。けれども、啄木の歌自体が写生ではなく、この歌も明治41年、ワーキング・プアの啄木が、東京で生活苦に喘いでいるさなかにつくられたのだから、それはむりやり島にもってこなければならない理由にはならない。
 大間町も弁天島説を追認し、「この歌は石川啄木が大間崎沖合いにある弁天島のことを詠んだものと考えられている」とホームページに書いているが、ほんとに大丈夫なのか。単なる想像や可能性だけで、そう言い切ることに問題はないのか。啄木が下北半島を旅行したことがあるのは、事実のようだが…。
 それならそれで、もっとその根拠やそう主張できる理由こそを明確に示すべきで、歌碑も有名な『一握の砂』最初の一首のみにすればいいものを、関係のない二首までもくっつけているので、余計にその納得性や妥当性を疑わしくしている。おまけに、夜はライトアップまでするというのか、三基の石碑上にアンテナのようなものをのっけていて、傍らには太陽発電パネルまであるから、根拠の薄弱さを補強するがごとくに手が込んでいる。
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 第一、この碑にかかわったはずの青森県近代文学館自身でさえも、そのホームページに“青森県を代表する文学者・ゆかりのある作家”として何十人も幅広くあげているが、そのなかには啄木は出てこない。
 さすがに本州最北端は観光ポイントで、マニアでない一般人がかなりくる。そして、それぞれが旅行記をネット上に公開しているのだが、啄木の歌碑に触れているものだけでも相当数で、そのうち40件くらいを眺めてみると、ほとんどは「啄木の歌碑があります」というだけのものだ。
 「なぜここで啄木なのか」と、疑問を呈しているのは、1件のみだった。
 あとは、すっかりこの歌碑の三首が、ここで詠まれたものと、思い込まされている。なかには、三番目の歌碑に揮毫者の署名があるのを見て、これが県知事の歌だと、大変な勘違いを書いているひどいのまであって、この歌碑のせいであらぬ誤解が広がって、大いに害毒を流しているとも考えられる。
 なお、「“東海”だから、愛知県か静岡県のどこかではないのか」という人がいたら、それは違うんです。この東海は、太平洋というくらいの意味なので、もちろん“韓国がいう日本海のこと”でもない…。
 でんでんむしは、啄木好きなんですよお、実は。
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 やがて、人の気配もなかった岬に、人影が現われた。近くの民宿に泊まっている客が、三々五々宿のサンダルをひっかけて、朝食前に朝の岬に起きだしてきたのだ。
 こちらも、また細間まで歩いて帰って、朝一番の佐井行きのバスが来るまで、ゆっくりとホテルの朝食でもいただくとしましょう。そうか、四国最南端の足摺岬もまだ「岬めぐり」には登場していない。ここも、前に行ったのだがその写真が(いろいろな事情で)行方不明で、Vol.1には間に合わなかった…。
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 この項、あえて駄洒落タイトルです。“オヤジギャグ”とか“さぶい”とかいって、駄洒落をバカにしたり、排斥しようというのは、いつ頃から顕著になったのか知らんが(これもまたテレビの影響が大きい)、そんなことをいう連中に限ってセンスも想像力も創造力もないのだろうと、へそまがりでんでんむしは考えている。
 確かに、芸のない“芸NO人”が、駄洒落を芸だと勘違いしているようなのは困るが、庶民のなかから生まれた語呂合わせ・地口など、さまざまな言葉遊びは、人形浄瑠璃や歌舞伎や長唄小唄端唄、落語などの芸能のなかでも磨かれてきた。それもまた日本語文化の一端といってよいが、その基本は駄洒落である。
 冒頭に書いたように、今回は三度目の正直。クルマでころころとやってくる分には、さほどの難事ではないが、最初に来たときには、恐山までがせいいっぱいでここまで来るのは断念した。二度目は某大手旅行会社の、下北半島と津軽半島と男鹿半島の三大半島と岬をめぐるというふれこみのツアーに参加した。欲張り企画に便乗して、簡単に大間崎をゲットしてしまおうと考えたのだが、そのときにも大間崎だけ行かなかった。行けなかった。
 走るバス内で、「時間がないので佐井からの船に間に合わないから、大間崎はカットします」と言われたときは、さすがにカッとした。
 こっちはそれが目当てで参加しているのに…。しかも、「時間がない」とは何事か。八戸から三沢を抜けるのに、こっちのほうが近いのにと地図を見ながら思っていたコースをとらず、えらい時間をかけてきた。途中の道の駅や恐山では、必要以上に時間をとっていたのだ。ツアーとしては最低で、コンダクターもドライバーも失格である。
 誰もバス内で暴れだしたりはしなかったので、大半はどうでもいいことなのだろうが、当然なかにはぶつぶつ文句を言う客もいた。そのツアーに参加する意味の半分を、あっさりカットされたでんでんむしは、表面は平静を装っていたが、内心は穏やかでなかった。あれは三年前のことだったが、以来、旅行会社のツアーにはいっさい参加していない。
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dendenmushi.gif東北地方(2009/09/10訪問)

▼国土地理院 「地理院地図」
41度32分46.26秒 140度54分46.43秒

dendenmushi.gif東北地方(2009/09/10 訪問)

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大間崎=下北郡大間町大字大間(青森県


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dotenoueno-okura

いよっ、待っておったぞ大間崎。さすが下北半島めぐりの大トリは期待にたがわぬ風格がござるなあ。さういへば石碑の林立もイメージとは異なり、これは幻滅でござる。そもそも岬には(灯台や神社ならともかく)一切の人造物は「余計なもの」で、貴見にわが膝を叩いた次第。
♪♪あれは三年前〜〜拙者、ちあきなおみは贔屓でも天童よしみはきらいゆえ、知らずにいってかやふな歌碑を見たら、やはり「印籠を取り落とした」でござろう。
鳩山うじは八戸まで行きなさったやうだが、可愛い可愛い。拙者はたうに行き、竜飛崎までも踏破しておると、いささか鼻高いけふこのごろ──それにしても、逃がした獲物はでかい、大間崎。

by dotenoueno-okura (2009-10-27 08:41) 

dendenmushi

@歌碑などは、昔から全国どこにでもあったもんだが、最近また町おこしとかで、流行っているようですからね。
でも、建てるなら、ちゃんとその土地にあった、ふさわしいものだけに厳選して欲しいモノです。
それと、歌碑くらいはこじんまりとしているべきで、やたら大きいのをつくろうというのにも感心しませんね。
by dendenmushi (2009-10-29 06:12) 

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