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481 汐崎=下北郡東通村大字蒲野沢(青森県)“原子力船むつ”への“鎮魂の社”なのか [岬めぐり]

 マサカリの上部のくびれたところが、津軽海峡に向いてゆっくりと正円を描くように湾曲している。東の尻屋崎から西の大崎まで、半月形に続く海岸には、一見したところ、これという出っ張りはまったくないように思える。
 ところが、その中央部に、汐崎という岬がある。
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 どうみても、観光客や素人衆が喜ぶような岬ではないが、なんとなくここははずせない、という気がしていた。
 誰からも忘れられたような目立たない岬の近くには、これまた大きな忘れものがある。
 それで、ここにはどうしたら行けるか、いろいろああでもないこうでもないと考えた結果、石持というバス停から歩くことにした。往復しても7キロ弱しかないので、歩くのが苦になるほどの距離ではないが、バス時刻の隙間にねじ込むとなると、話はまた別なのである。
 家もなく人もいない森の中の砂利道を、ひたすら歩いて、なんとか海岸まで辿り着く。石持納屋という集落と、小さな漁港があるが、汐崎はその600メートル西寄りの出っ張りである。
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 道からまっすぐ海に出ようとしたが、海岸は段丘のようにせり上がっていて、降りる道がない。もちろん、港のほうに行けば降りることはできるだろうが、すぐ引き返さないとバスに乗り遅れてしまう。こういう場所で、ひとつバスに乗り遅れるということは致命的で、その日一日の計画をひっくり返してしまうほどの威力がある。
 茂る秋草ごしに、カメラを高く掲げてなんとか写真は撮った。ほらね、ここにもセンニンソウが茂っています。shiozaki03.gif
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 ここからだと、尻屋崎も、北海道の恵山岬も見える。
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 汐崎の向うに見える白い建物があるところは浜関根で、かつてさまざまな問題と話題を提供した“原子力船むつ”の母港だったところである。それについては、関連で玉野市の三井造船のところ(468 蛸崎鼻・犬戻鼻=玉野市(岡山県)進水式を見に行きませんか)でも、ちらりとふれていた。
 どちらも、船が悪いわけでも、技術が劣るわけでもないのに、似たような“不幸な船”でかわいそうだ。大勢の人間が好き勝手なことをいえば、たいていのことはうまくいかないが、人間の知恵は、まだこういう事例をなくすところまでは、至っていない。
 すでに船は廃船になっているが、取り壊すわけにもいかない主なき港湾の埠頭はそのままで、もはや13年目になる「むつ科学技術館」というハコモノができていて、もっぱら、こどものための行事をメインにして、その存在意義を強調しているようだが、利用者は周辺の小中学生程度に限られるだろう。そして、これも浜関根を新母港として受け入れる条件や見返りのひとつだったのかもしれない。
 あるいは、これは“原子力船むつ”の、“鎮魂の社”のようなものなのかもしれぬ。いや、そう考えたほうがんぴったりする。
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 そのホームページには、こうある。
 「むつ科学技術館は、我が国初の原子動力実験船「むつ」の活動の軌跡を思い起こす機会を提供するとともに、次の世代を担う青少年やより多くの人々が科学の楽しさ、素晴らしさに接し、明日への夢を広げる総合科学館として、独立行政法人 日本原子力研究開発機構により建設、設置され、平成8年7月20日に開館しました。」
 このプロジェクトには、総計でいったいいくらの費用がかかったのか、誰も明らかにしてくれないが、確かに、大きなたくさんの教訓をはらんでおり、折りに触れ思い起こすことは必要だ。
 1969(昭和44)年に進水し、74年の洋上実験(それが、この800キロ東の太平洋上)で、遮蔽リングの設計ミスによって“放射線漏れ”を観測し、実験は中止される。これが“放射能漏れ”を起こした、とマスコミで大々的に報じられ、母港大湊はじめ地元の漁民らが大湊への寄港反対の旗を揚げる。
 これが全国に波及して佐世保などでも寄港拒否されるという事態になり、なんと16年間も母港なしでさまようことになる。そのあげくに、同じむつ市でも太平洋岸の浜関根に新たな母港を建設することで、やっと地元と合意とすることになるが、1984(昭和59)年には、自民党科学技術部会は廃船を決定する。1993(平成5)年には原子炉は解体され、その一部がこの科学技術館に保存されているのだそうだ。
 これらのいきさつは、全部でんでんむしが記憶していたことではない。もともと物覚えはよくないので、当時を思い起こしながら、事実関係はネットで確認して、整理している。
 石持納屋から、引き返さずにそのまま浜関根を経て、大畑方面へ行くバスが通っている出戸まで歩くことも考えたが、迷った末にバスに間に合うほうにかけて、途中にはこんな怪しい看板(“東北細菌化学実験所”なんて、石井部隊の生き残りかなんとかサティアンを連想して、そりゃ誰も敬遠しますわ)がある来た道を戻る。
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 懸命に歩いているうちに、道をふさいでいるショベルカーに出くわした。あれ、来るときにはこんなのはなかったぞ。
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 前かがみになって下の砂利道を見て急いで歩いているうちに、新たな鉄塔を建設中の工事現場への脇道に、迷い込んでしまったらしい。弁解すれば、本道よりも脇道のほうが大きかった。
 鉄塔マニアなら喜ぶところだが、あわてて引き返し、どうにかバスには間に合った。この往復でも、誰一人出会う人もなかった。
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 「石持納屋活力倍増センター」の看板がある石持のバス停では、コスモスとヒマワリが道端に咲いていた。ヒマワリは矮性のようで、品種が異なるのかもしれないが、この下北シリーズでは、アジサイ(これも半ばドライフラワー化しているとはいえ)から、タチアオイなど、そこここで初夏の花と秋の花が同時に咲いているのも印象に残った。

■追記:この尻屋周辺の岬は、 477から481までは、地図を東から西へ順に回り込んで行く、岬の位置の順番になっており、実際に歩いた順番とは異なっている。この日は、実際にはホテルの朝食券もムダにして飛び出し、早朝、むつバスターミナル発一番のバスでまず石持まで行き、そこから汐崎まで歩いた。そしてまた引き返して、石持から尻屋崎行きの朝一番の便がくるのを待って乗継いだ、ということになる。だから、その間が1時間ほど。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度21分7.98秒 141度17分1.89秒
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dendenmushi.gif東北地方(2009/09/09 訪問)

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タグ:青森県
きた!みた!印(8)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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きた!みた!印 8

コメント 2

dotenoueno-okura

大間崎から尻屋崎にかけての拡大地図とこの画像を重ね合わせ、あらためて「ようここまで行きなすった」と感嘆しきり。「なんとなくここははずせない」という独特の嗅覚がすごいし、バスの時刻を気にしながら徒歩で敢行したのがエライ。
これを読むと「恐山まで行った」が自慢の拙者も肩身が狭い。下北半島は近ツリバスで廻っただけで「行った行った」とは言えない奥の深さがありますなあ。
原子力船むつ“始末記”いかいこと勉強になり申した。なかんずく「母港をもたず16年間さまよい続けた」に、関係ないいくつもの物語を連想して暫し陶然としたものでござる。
by dotenoueno-okura (2009-10-09 08:24) 

dendenmushi

@岬・崎・鼻と名前が付いているところは、できるだけめぐりたいという目標があると、「まず普通では絶対に行かないよね」というところに行くわけです。
これがおもしろい。
でもまあ、どんなかたちにせよ、「行った行った」と言えるところがあるということは、すばらしい貴重なことです。
へそまがりは、「人があまり行かないところに行きたい」という、ゆがんだ精神も、ついでにもっている、というだけで…。
谷川俊太郎の詩の一節に「忘れることは事件にならない」というのがありまして、これがでんでんむしとしてはいたく肝に銘じたことがあります。
もう、ン十年も前のことです。
今朝の朝日新聞も、新聞週間の特集記事を載せていますが、マスコミも忘れっぽいことにかけては…。
by dendenmushi (2009-10-11 07:22) 

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