480 尻屋崎=下北郡東通村大字尻屋(青森県)“最北端”も“最東端”も使えないところだが… [岬めぐり]
尻屋崎は、比較的有名な岬に数えられる。鉞(まさかり)の柄の先というか、鉞の後ろ頭とでもいうべきところで、最北端ではないものの本州の北東端である。“最北端”も“最東端”も使えないので、でっかい石碑は苦し紛れに「最涯地」ということばをひねりだした。
しかし、ここは“最北端”でも“最東端”でもなくとも、代表的な有名岬の一つで、日本地図でも目立つ岬であることに変わりはない。
岬の形も、いかにもすっきりとしていて、しかも周囲には人家の一つもない。おまけに、姿のよい白亜の灯台も、ちゃんと立っている。尻屋埼灯台は、明治の初期にレンガ造りで建てられた、東北地方では最初の灯台であるという。
路線バスの便は、極めて悪いが、誰もが車でやってくる今では、それもあまり問題にならない。とはいえ、やはりここまでわざにくる人は、そう多くはないようだ。
ここも観光地ではあろうが、むつからここまではかなりの距離があるうえに、付近にはほかにそれらしいところもなく孤立している。コースをつなげるとしたら、恐山くらいしかないのである。(それで、行きがけか帰りがけの物見崎に目をつけたわけだな。)そこでバスツアーのコースでも、恐山には例外なく行くが、尻屋崎は入っていない場合も多い。
もう懲りたので、最近はまったく行かないが、あのバスツアーというものは、まるでバスに乗るのとトイレとお土産屋に寄るのが目的になっているような、そんな気がしてくる。
灯台からは少し離れたところに、前にはなかった観光バス用の駐車場とトイレができていた。ちょうど一台のバスが停まって、そこでバスを降りた人で、灯台までやってくる人は、ほとんどいないようだ。みんな海岸の道路脇にたむろしている寒立馬のほうに寄って、しきりに写真を撮っている。まあ、灯台はそこからでも撮れるからね。
寒立馬なのだから、ほんとうは冬に雪の中に立つ野生馬(今では放牧されているというべきなのか?)の写真を撮らないと、あまり意味はない。
これもでんでんむしの、へそまがり的偏見に過ぎないが、写真くらいプロとアマの差がわからないものはないように思う。近頃では、素人衆が高価な撮影機材を使いこなしているし、作品を見ただけでプロかアマを判別できる人は、まずいないのではないかと思ったりする。プロ写真家とアマ写真家の違い、それは“テレビに出ているかいないか”だったりしてね。
だが、やはりそんなことはないのだろう。自分を世の中に押しだしていく能力や、モチベーションやプレゼンテーションの差は大きいはずだし、こんな写真はアマチュアにはむりだというような、“写真家”といわれるプロでないと撮れない、というものもあるわけだろう。
ネコの写真をいくら撮っても、何冊も写真集を出しても、アマに差をつけたということにはならない。そうなると、誰も行かないような世界の秘境に行って、誰も撮れないような写真を撮るしかない…。
土門拳や木村伊兵衛の時代も、遠くかなたになり、写真は大衆の目となったこれから、プロ写真家の行方は、どうなるのだろう。
それにしても、このお馬さんたち、なかなか自分たちの役割も心得ているようで、草地の中ではなく、こんな道路脇の、灯台と海の近くまで出てきて、観光客にサービスしている。見上げたもんだ。
と、見上げていると、国道2号線をてくてく歩いて小学校に通っていた頃には、まだ“馬車”というものが盛んに往来していて、盛大に糞尿を国道にまき散らしていた。よく馬車の荷台の後ろに飛び乗っていたことを思い出す。それを引いている馬が、こんな短足胴長のずんぐりむっくりの馬だったよな…と、また昔の光景が浮かんでくる。
前に来たときは5月だったが、冷たい強い風が絶え間なく吹き付け、帰りのバスを待つまでの間、窪地の岩陰や石碑の陰に身を寄せたものだった。
今回は、お天気にも恵まれ、風も気になるほどではなく、快適な岬を楽しめた。
はるかに北海道も、うっすらと浮かんでいる。渡島半島の恵山岬であろう。また、左手の三菱マテリアル越しには、下北半島最高峰の釜臥山(879メートル)が雲に隠れようとし、その右先端には大間崎も…。
▼国土地理院 「地理院地図」
41度25分50.32秒 141度27分44.43秒
東北地方(2009/09/09 訪問)
しかし、ここは“最北端”でも“最東端”でもなくとも、代表的な有名岬の一つで、日本地図でも目立つ岬であることに変わりはない。
岬の形も、いかにもすっきりとしていて、しかも周囲には人家の一つもない。おまけに、姿のよい白亜の灯台も、ちゃんと立っている。尻屋埼灯台は、明治の初期にレンガ造りで建てられた、東北地方では最初の灯台であるという。
路線バスの便は、極めて悪いが、誰もが車でやってくる今では、それもあまり問題にならない。とはいえ、やはりここまでわざにくる人は、そう多くはないようだ。
ここも観光地ではあろうが、むつからここまではかなりの距離があるうえに、付近にはほかにそれらしいところもなく孤立している。コースをつなげるとしたら、恐山くらいしかないのである。(それで、行きがけか帰りがけの物見崎に目をつけたわけだな。)そこでバスツアーのコースでも、恐山には例外なく行くが、尻屋崎は入っていない場合も多い。
もう懲りたので、最近はまったく行かないが、あのバスツアーというものは、まるでバスに乗るのとトイレとお土産屋に寄るのが目的になっているような、そんな気がしてくる。
灯台からは少し離れたところに、前にはなかった観光バス用の駐車場とトイレができていた。ちょうど一台のバスが停まって、そこでバスを降りた人で、灯台までやってくる人は、ほとんどいないようだ。みんな海岸の道路脇にたむろしている寒立馬のほうに寄って、しきりに写真を撮っている。まあ、灯台はそこからでも撮れるからね。
寒立馬なのだから、ほんとうは冬に雪の中に立つ野生馬(今では放牧されているというべきなのか?)の写真を撮らないと、あまり意味はない。
これもでんでんむしの、へそまがり的偏見に過ぎないが、写真くらいプロとアマの差がわからないものはないように思う。近頃では、素人衆が高価な撮影機材を使いこなしているし、作品を見ただけでプロかアマを判別できる人は、まずいないのではないかと思ったりする。プロ写真家とアマ写真家の違い、それは“テレビに出ているかいないか”だったりしてね。
だが、やはりそんなことはないのだろう。自分を世の中に押しだしていく能力や、モチベーションやプレゼンテーションの差は大きいはずだし、こんな写真はアマチュアにはむりだというような、“写真家”といわれるプロでないと撮れない、というものもあるわけだろう。
ネコの写真をいくら撮っても、何冊も写真集を出しても、アマに差をつけたということにはならない。そうなると、誰も行かないような世界の秘境に行って、誰も撮れないような写真を撮るしかない…。
土門拳や木村伊兵衛の時代も、遠くかなたになり、写真は大衆の目となったこれから、プロ写真家の行方は、どうなるのだろう。
それにしても、このお馬さんたち、なかなか自分たちの役割も心得ているようで、草地の中ではなく、こんな道路脇の、灯台と海の近くまで出てきて、観光客にサービスしている。見上げたもんだ。
と、見上げていると、国道2号線をてくてく歩いて小学校に通っていた頃には、まだ“馬車”というものが盛んに往来していて、盛大に糞尿を国道にまき散らしていた。よく馬車の荷台の後ろに飛び乗っていたことを思い出す。それを引いている馬が、こんな短足胴長のずんぐりむっくりの馬だったよな…と、また昔の光景が浮かんでくる。
前に来たときは5月だったが、冷たい強い風が絶え間なく吹き付け、帰りのバスを待つまでの間、窪地の岩陰や石碑の陰に身を寄せたものだった。
今回は、お天気にも恵まれ、風も気になるほどではなく、快適な岬を楽しめた。
はるかに北海道も、うっすらと浮かんでいる。渡島半島の恵山岬であろう。また、左手の三菱マテリアル越しには、下北半島最高峰の釜臥山(879メートル)が雲に隠れようとし、その右先端には大間崎も…。
▼国土地理院 「地理院地図」
41度25分50.32秒 141度27分44.43秒
東北地方(2009/09/09 訪問)
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