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478 藤石崎=下北郡東通村大字尻屋(青森県)過疎のここにも太古の昔から人は住んでいた [岬めぐり]

fujiishihana02.gif 尻屋の半島は、標高400メートルの桑畑山の北側に、テーブル状に細長く突き出している。ここの東海岸に3つの岬がある。
 まずは、一番南の藤石(ふじし)崎だが、先端の尻屋崎から南に1.5キロほど離れたところで、小さな半島のように丸く飛び出したその先に、大きな岩島が波に逆らってそこだけまだ残っている。通常は陸続きだが、大潮や海が荒れたときには、完全に島になってしまいそうだ。
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 少し北側には、完全に海中に取り残された、三角に尖った岩島もあるが、ここの名がトシトリ島。
 南東から吹き付ける強い風が、うねりを盛上げ、波頭を持ち上げて、岬に押し寄せては砕け散る。トシトリ島も、それをモロに受け止めている。
 どこへ行っても、そんなことはオンナジだといえば、それもそうには違いない。だが、それはどこで見ても見飽きることがない。
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 もうひとつ大きな出っ張りがいちばん南の藤石崎の、さらに南側、尻屋の集落と港のそばにあるのだが、そこには名前がついていない。
 藤石崎よりも一回り大きく、しかも集落の近くにあるのに、なぜ名前がついていないのだろうと思うようなところである。
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 南を眺めれば、その出っ張りは、低く黒く横たわっている。その向うが尻屋の港であろう。
 そして、さらに向うに、大きく高く聳えるのが、前項で物見崎から遠望したクキドウノ崎である。手前の出っ張りと微妙にかぶるが、桑畑山から流れる尾根が、200メートルの高さから、いきなり海に沈んでいく、その光景はここからでも充分に伺える。
 前項でも、東通村の人口密度や斗南藩のことにふれたのだが、こんな厳しい場所でも、ちゃんと太古の昔から人は住んでいた。藤石崎から南に1キロも離れていないところには、浜尻屋貝塚という貝塚が発見されているのだ。こんなところで、といっては申し訳ないが、こんなところまで(同じことか)大昔から人が住み着いて暮していたということが、なんとも不思議に思える。
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 ただ、冬の冷たい風を凌ぐことさえできれば、この海があれば、命を繋ぐ食べ物には不自由しなかったのだろう。
 尻屋へは、1990(平成2)年に一度来たことがある。それなのに写真が探しだせないので、これまで項目を立てて書くことができなかったのだ。当時はまだデジカメ以前で、ネガを探しても見つからない。
 そのときには、藤石崎までは来ていなかったので、クキドウノ崎がどうなのか、よくわからなかった。
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 前夜はむつ市の田名部川のほとりに新しくできたらしいホテルに一泊し、早朝のバスで尻屋までやってきた。三菱マテリアルの工場が並ぶ尻屋岬港を過ぎると、尻屋崎入口のゲートだが、バスは尻屋小学校の先まで行って、また折り返してくる。ついでなら、なぜバスは、もっと集落の中心である漁港のほうまで行かないのだろう。中途半端に、ゲートと集落の間が、終点・折り返し点になっている。
 下北交通のバスダイヤでは、尻屋崎へ行く路線は、切り離して別扱いで表示されているが、同じバスがそのまま乗換えなしで行く。これは、尻屋崎へ行くバスが日に2本しかないこと、冬期などには閉鎖するからだろうか。
 前回やってきたときには、入口ゲートのところから、延々歩いた憶えがある。
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 岬の風景は変わらないようで、変わっている。ゲートは機械化され、レストハウスも建て替えられ、灯台をシンボルにした尻屋小学校などはえらく立派な木造のよさを伝えるような建物になっているし、三菱マテリアル関連なのか、新しい団地ができていた。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度25分7.46秒 141度28分3.75秒
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dendenmushi.gif東北地方(2009/09/09 訪問)

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タグ:青森県
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