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464 雁山岬=倉敷市児島田の口(岡山県)学生服は知らなくてもジーンズなら…? [岬めぐり]

 児島といえば、競艇だけではない…というような蓮っ葉な書き方をしては、この深い歴史も由緒もある街に対して、相済まぬような気さえしてしまう。前に来たときから気になっていたが、そのときはそのままにしていたので…。
 現在では、倉敷市の南部を構成するが、それは昨日今日流行りの合併ではなく、玉島市とともに児島市が倉敷市になったのは、1967(昭和42)年だから、もうかれこれ40年以上前の話である。
 児島は、その合併の10年くらい前から、ジーンズの街であり、BIG JOHNやBOBSONといった、誰でも知っている大手メーカーのものもつくっているが、国産ジーンズの発祥地としてのブランドさえある。
 ええ? なんで〜え?という疑問に答えるとすれば、その話はかなり長くなろう。なんでも、ものごとには起源があり、それが成長発展する土壌があり、時代の変化に対応して移り変わっていく柔軟性が必要である。
 たとえば、ここでは「干拓をすればシーンズができる」という三段論法の積み上げが可能だ。一連のキーワードを並べてみると、こんな感じになる…。
  干拓・埋立て→塩→綿花・木綿→由加山大権現→真田紐→北前船→ニシン→綿・綿入れ→袴・帯地→足袋→学生服→ジーンズ(デニム)
 どうです? なんとなくぼんやりとキタでしょう。
 「風が吹けば桶屋が儲かる」式よりは、はるかに根拠と納得性のある話ということもできる。
 エラそうに書いているが、でんでんむしも、ジーンズも学生服もその産地として有名だという程度のことくらいしか知らなかった。それが、今回の訪問による新発見で、「干拓・埋立てにまでその起源がさかのぼる」というのがわかって、とてもおもしろかった。
 今、児島の街をバスで通り抜けたくらいでは、それとすぐわかる訳ではないが、JR瀬戸大橋線が通る児島駅の北側付近から機織と裁断縫製の工場などがたくさんあるらしい。
 学生服は、制服の多様化などで昭和30年代の終り頃をピークに生産量は下がっているが、現在でも60パーセントのシェアをもつというから伝統はすばらしい。
 その前には、大正年間にはここは日本一の足袋の産地として、さらに明治には袴や帯で全国に知られていた、というのだ。
 児島地区は、高くはないが結構山地も深く広い。その南の裾の海岸に沿ってわずかに開けた細長い町を、バスが東へ走って行く。由加南口、田の口とバス停が続いて船溜まりに出たところで降りた。
 雁山岬は、この港の東に張り出した小山が海に落ちるところだが、両側を工場に取り囲まれてしまっている。やはり、ここでもあちこちで小規模な埋立てが行なわれてきたようだ。
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 ここでおもしろいのは、船溜まりの中央岩壁のうえに、あうんの狛犬が座っていて、道路脇には海に向いて開けた鳥居と、そこから北の山に向かう道があることだ。いま車が走っているのとは別に、鳥居から山へ向かう旧道があった。
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 正面の仙随山の北には、由加山(ゆがさん)と呼ばれる神仏混淆の霊場がある。「加」と書いて「が」と読ませることはないのだが、もともとは石灯籠に刻まれているように、旧字で「瑜伽山」と書いていたので、それならわかる。これもふしぎなもので、なんでこんなところにこんなものが…というのが多い。
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 石灯籠には、「金比羅大権現」の文字もある。なるほどねえ。両参りのシステムが設定されていたのだ。
 金比羅さんは、ここから南に海を渡って30キロほどのところである。
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 してみると、この船溜まりは、瑜伽さんと金比羅さんを結ぶ、重要な拠点としての役割を果たしていたわけだ。
 まだ、工場ができる前のことを想像してみれば、そういうロケーションでは、雁山岬の役割も、それなりにあったに違いないだろう。
 どこへ行っても車が溢れている世の中では、当然のように狛犬さんの間にも駐車しているバチアタリなクルマがいるが、ここはそういう場所だった。
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 しかし、この瑜伽山大権現のお土産として人気があった組ひもを、児島の足袋や学生服やジーンズ製造のルーツとする説には、塩田や綿花栽培と直接結び付けるにはちょっと…というところもないことはないが、そのひとつには違いなかろうからそれはまあいい。
 やっぱり、学生服である。でんでんむしも、中学校に入って初めて詰め襟の学生服を着たときには、なんとなくちょっと半分くらい“こども”から脱皮しかけたような、そんな記憶もある。
 当時…というより、学生服が主要産業たりえた時代は、比較的長く続き、あちこちでいろんな名前やブランドの学生服の広告も見かけた。でんでんむしは、“小倉学生服”というのを着ていたような気もする。それで、「これは北九州の小倉か」と思っていたのだが、それも九州とは関係なくやはり児島下津井町の製品の名前だったようだ。
 偶然、関連のあるおもしろいページ(『お散歩Photo Album』)を見つけたので、リンクのお願いをすることにした。学生服にも琺瑯看板がありましたよねぇ、そういえば…。
 このページに出てくる学生服メーカーのいくつかは、ここ雁山岬のある児島田の口や児島下の町にあった。ganyama01.gif

▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分9.58秒 133度50分26.08秒
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dendenmushi.gif中国地方(2009/08/13 訪問)

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タグ:岡山県
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