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446 明神崎=宮古市田老(岩手県)そのときに歩くことのできる道は常にただひとつのみ [岬めぐり]

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 神が明らかな姿をともなって現われるというが、その名を冠した明神崎もまた霧の中で、さっぱり見通せない。神も岬もその姿を現わさない。もっと岬の先端付近まで行くことができればいいのだけれど、ここには道もない。myoujin03.gif
 真崎の港からも、天気さえよければ、明神崎は遠望できたことだろう。
 突然、石垣島に「ミジュン崎」という岬があったことを思い出した。あれは「みょうじんざき」だったのではないか。
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 真崎からしばらく続いていた車が通ることのできる道は、青野滝という集落があるとこから山の中に入って、海岸からは遠ざかる。断崖の連続する海岸は、誰も寄せつけようとせず、明神崎もそのなかにおさまっている。
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 海岸から山に入る前に、北側をうかがってみるが、やはりなんにも見えない。
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 いかになんでも、これでは岬めぐりともいえないので、ここも翌日また改めてこの海岸を訪れた。
 “テーブル状の台地”と、隆起によるリアス式の説明のところで表現していたが、この岬の南に広がる田老の海岸から眺めればそのことがよく納得できる。(「アレッ、その説明と同じ写真は前項でも見たぞ」という方があったらごめんなさい。あれは間違いでしたので、修正しました。)
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 こうして横から見ると標高100メートル程度の山地がまさしく“テーブル”のように見えるが、もちろんそれは比喩なので、平たい板のようになっているわけではなく、当然細かいヒダやでこぼこもある。
 その山の上を、青野滝から岬の上まで、細い道があるようだ。その道の尽きる崖の上にも鳥居マークがあるので、これが明神様なのだろう。
 ここも天気がよくて一人歩きなら、歩いてみたいところだった。
 しかし、一人歩きでは“霧で何も見えなかったので、翌日また改めてやってくる”ということもできなかっただろう。
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 選択肢というのはいくつかあったとしても、結局自分がそのときに歩いて体験することのできる道は、常にただひとつしかない。
 昔、縁あって共に仕事をしたことのある人が亡くなられたというメールを何本かもらった。
 ブログだけでなく実生活でも、会社を辞めて以来「ひきこもり状態」のでんでんむしは、それまでの世間様とのおつきあいも切り捨てて、必要最小限度にとどめ、可能な限り世間を狭く生きている。四角四面の世の中を、まあるくうっすらと刷毛で軽く撫でるように掃いて生きている。
 したがって、四角の四隅はもちろんのこと、ど真ん中の中央部分も丸く掃き残しているわけで、世間の儀礼や人とのおつきあいや冠婚葬祭もそこのどこかにある。
 もう十数年も前に縁の切れてしまった人だが、その人はでんでんむしにとっても、ある時期因縁浅からぬ人だったといえる。だからといって、へそまがりを信条とするからには、こういうところで世間の流儀に唯々諾々と流されてはいくことにはならない。
 その人と共に過ごし、いまはもう遠く過ぎ去った時間を、一人静かに思い起こしながら、ご冥福を祈るのみである。この場合それが、最もふさわしい哀悼の表わし方であるような気がする。

▼国土地理院 「地理院地図」
39度46分31.96秒 142度0分10.15秒
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dendenmushi.gif東北地方(2009/06/30-07/01 訪問)

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タグ:岩手県
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