438 産屋ヶ崎・藤木ノ鼻=南都留郡富士河口湖町(山梨県)河口湖で大橋がつなぐふたつの岬 [岬めぐり]
河口湖美術館前でバスを降りたのは、別に美術館に行きたいからではなく、河口湖大橋の袂へ行くには、この停留所で降りるのがいちばん近いという運転手さんの返事があったからだ。
橋を渡らず、湖岸を東に迂回して走り去るバスを見送り、長崎を横正面に見ながら、湖に張り出した尾根の下を歩く道は、真っすぐに大橋へとつながっていく。
東西5キロもあろうかという河口湖は、溶岩などの噴出により谷間の水流が止められたところにできた、いわゆる堰止め湖であって、噴火口にできる火口湖ではない。そのため、河口湖と西湖の水はつながっているという説も、古くからある。
だからなのか、山と谷がつくる湖岸の形は、微妙に入り組んでいて、河口湖大橋は、その岬と岬の出っ張りによってできた、くびれの部分(最短距離)を結んで掛けられている。橋を架ける立地の選定では、よく重視されていることだが、産屋ヶ崎の先端は、かろうじて橋の真下になることだけはなんとか免れた。
むしろ、産屋ヶ崎に限って言えば、橋のおかげでその上から、小さいながら岬らしい特徴と形状をしっかりと確認することができる。橋が岬を俯瞰できる展望台になっているのだ。
おもしろい。まるで、岬のジオラマを見ているような気になる。
けれども、そんなことに注目して橋を渡ろうとする人間など、そうそういるわけがない。この「産屋」というのは、母になる女性がこどもを産むための小屋などをさしているが、産褥と生活の場を別にするという風習は、広くあったようだ。
この橋の長さは500メートルほどで、産屋ヶ崎の対岸にあたる橋の下には、藤木ノ鼻という岬があることになっている。「あることになっている」というおかしな表現をとるにも理由があって、一応この「岬めぐり」で基本地図にしているエキサイト地図には、どの縮尺にもその名が記載されていない。だが、国土地理院の電子国土「ウォッちず」には、ちゃんとある。
それだけなら、お役所には弱い国民性からも国土地理院の方を採用して一件落着すればいいのだが、実は現地ではそれとわかるような出っ張りも何ものもないが故に、にわかに断じ難い。
ただ、橋が岬を利用して架けられるという事例の多さを考えると、ここらがゆるやかな丸い出っ張りであったことは間違いないが、それとてもこの場合は産屋ヶ崎側のほうの条件が優先していただけで、そこから真っすぐ線を引けば、必然的にここに当たったに過ぎないのかも知れぬ。
けれども、また一方では、この付近の字名に残る「乳ヶ崎」という名を考えると、そのことともなんらか関連がありそうにも思える。
かくのごとく、事実はなかなか複雑なのだ。
とにかく、産屋ヶ崎と藤木ノ鼻を結ぶ河口湖大橋は、1971(昭和46)年に有料道路として開通し、無事償還を終えて4年前から無料化され、自由通行ができるようになっている。
しかし、乗ってきたバスは橋を渡らなかった。バスは、人家や人の多いところを通らなければ、本来の役割を果たせない。
でんでんむしが、いちばん最初にここにやってきたときには、まだ橋はできていなかった。二度目にやってきたときには、もう橋はできていた。そして、…ざっと数えてみると五度目くらいになる今回、その橋を初めて自分の足で渡った。
35度30分47.30秒 138度45分58.73秒 35度30分34.60秒 138度45分46.22秒
甲信地方(2009/03/26 訪問)
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