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407 洲崎=田辺市江川(和歌山県)ゆく川の流れは絶えずして常にどこかにつながっていく [岬めぐり]

 会津川はおもしろい流れ方をしている川で、遡っていくと上流の42号線バイパスの手前から右会津川・左会津川の二つに分かれ、地図上では右にある左会津川は、市街地の北を迂回するように右会津川と距離をおきながら離れていく。そして、この2本の川が、支流を増やし名を変えながら熊野の山に分け入っていくのだ。
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 田辺大橋から見える、会津川の右岸先端は、洲崎というその名が示す通りの砂洲の岬だったのだ。河口に砂洲はめずらしくないが、岬の名が残るのは、これが案外なことにそう多くはない。それは、常に絶え間ない流れや波に左右されて、形も定まらぬものが多いせいだろう。
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 こうみえても、田辺は城下町だった。
 そして、この河口の洲崎が、最初の城があったとされるところだった。が、砂洲でできた土地に城を構えるのは、やはりムリだった。押し寄せる潮の被害が大きいというので、後に少し奥に引っ込んだ。
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 今では全部市街地になり、大きな城郭はないが、地名に“屋敷町”という名が残る付近一帯が城跡だという。田辺大橋の左岸には城の堀へ続く水門か何かそんな遺跡もあるらしい。
 洲崎の最初の城があったところは、コンクリートの護岸に守られて人家が密集し、その向うはまた港が続いている。地図でみると、江川のこの港のそばがやはり埋立地で、港の整備に合わせて碁盤目のように四角に区画されたとおぼしき町が続いている。
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 紀州藩の支城であったので家老が治めていたが、幕末に海防が国の重要課題となったときにどうにか独立した藩になれたと思ったら、明治になりたちまち廃藩置県でなくなってしまった。そういう巡り合わせのあるところだが、もともと洲崎に城を構えようとしたのは、関ヶ原後にここに赴任してきた浅野家だった。おや、それも奇遇ですねえ。
 江戸時代の城持ち大名の移封・転封は、現代の高級官僚の移動・転属・天下りみたいな側面もあるものだが、左遷・栄転という評価がついて回るのも同じ(というより、それはむしろなにがあっても安泰な現代の官僚よりも、はるかにシビアだったといえる)だ。浅野家が、ここから広島へ転勤していったのは、大幅ベア・ボーナス付きの大出世であった。この広島・浅野の分家が、後に“歴史的”というくくりをはるかに超えた大事件を起こすことになる。もちろん、それはまた別の話。
 …なのだが、この洲崎から、広島の海へ、そして赤穂の岬(御崎)へ…。こういうふうに、世の中因縁はいろんなところに繋がっている。それが、つくづくおもしろいではないか…。そう思いませんか。
 前項406について、dotenoueno-okuraさんから、「紀伊田辺駅で紀伊国屋書店と田辺茂一を想起するのは平凡だけど、関係あるんでせうか。」というコメントをもらっていた。
 調べてみようとしたが、紀伊国屋書店のホームページでは、そういうことについては、いっさいなにも触れておらず、「昭和2年に田辺茂一が創業」とだけしか書いていない。“文化”だとかなんだとかいう割には、それもいささか創業者や自身の歴史やその名前について冷たいというか、情(じょう)というものがなさ過ぎると思う。(考えてみれば、「情報」という漢熟語には、含蓄がある。)
 Wikipediaによれば、田辺家の「先祖は紀伊徳川家の江戸藩邸に勤める足軽で、商売を営むことになった時に屋号として出身地にちなんだ「紀伊國屋」をつけたのが始まりである。最初は材木問屋だったがその後炭問屋になり、田辺茂一の代で書店を開業」と書いてあった。
 な〜るほど。紀州藩邸勤務で、材木屋から炭問屋とな。いかにも、いかにも…。納得でござる。
 和歌山の出自であることは確かなようだが、この田辺という場所との関係は、残念ながら不明である。Wikipediaには余計な一言が多くて、いつもそれが結構おもしろいと思うのだが、ここでも“高級スーパー「紀ノ国屋」とも、紀伊國屋文左衛門とも何の関係もない”旨は明記してあったが、惜しい。もう一歩足りなかった。
 でんでんむしも、“情報”とは、案外そういうことが大切というか、基本要素なのだと、いつも考えながら余計なことを書いている。なにっ? 全部余計なことばかりではないか…とおっしゃるので…?
 じゃによって拙者、それこそが肝心要のホネであり、キモだと申しあげておりまする。

▼国土地理院 「地理院地図」
33度43分47.60秒 135度22分11.05秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2009/01/25 訪問)

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タグ:和歌山県
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コメント 2

dotenoueno-okura

洲崎! この二字にわが丁髷が敏感に反応しもうした。「砂洲の岬」とはまさにご指摘の通りで、昔日の情景と地名の奥深さに想いを馳せた次第。いまひとつは、ほんの数年の差で無縁に終わってしもうた“紅灯・洲崎”のこと。調べてみるとこちらも同様の地理条件で、現在の江東区東陽町と重ね合わせるれば妄想もいや増す。
拙者幼少のみぎり、表通りからやや引っ込んだ木造の紀伊国屋書店を見てござる。前身の炭・たどん屋とかをこの記事で思いだし、材木・蜜柑商のあれとは別と納得。それにしても“地理・歴史”はおもろいのう。
by dotenoueno-okura (2009-04-23 07:58) 

dendenmushi

@なるほどねえ。洲崎は、そっちのほうに反応しますか。そういえば、そうですねえ。われわれはそっちにはご縁がなく、つながらなかった…。
 そうだよねえ、“地理・歴史”なんだよねえ、この岬めぐりの実際のカテゴリは…。やっぱり“地域”でもないんだ…。
 So-netの「共通テーマ」の名札のつけ方が、きわめていいかげんなので、「おれは、ここにいていいんだろうか?」と、いつも違和感を感じているんだけど…。
 なにしろ、“暮らし・健康”の分類の中の“育児”や“ペット”の隣に“地域”があるんだ。
 ま、そんなこたあ、ひきこもりブログにゃ、関係ないといえば関係ないんだけど。どうも、いごこちがよくないことは確か…。
by dendenmushi (2009-04-24 06:18) 

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