404 目津崎=日高郡みなべ町山内(和歌山県)ころころさやさやまめごはん… [岬めぐり]
毎回、ホテルに泊まると朝一番の温泉に入って、朝食までのあいだに周辺を散策することにしているが、今回は朝食を先に済ませて、それから目津崎周辺を歩き、そのまま町の探訪をしながら南部の駅まで行きたいと思った。
というのも、だいたいこういう場合、送迎マイクロバスの時間は、チエックアウトのラッシュが一段落ついてからになり、遅くなるからである。昔は、ホテル・旅館の重要なサービスのひとつだった送迎も、今では自分のクルマでやってくる人のほうが多いし、メインの団体はバスでくるので、だんだんと手を抜かれていく。
その端的な例は、団体のバスには着いたときも玄関で出迎えがあり、出発するときもホテルの従業員が並んで手を振って見送りは欠かさないが、マイクロバスは運転手がいるんだからいいだろうと、ほとんど無視されている。といって、別に手なんか振ってもらいたいわけじゃないのだが…。
一番に行ったつもりの広い朝食会場は、なんとすでに廊下まではみ出した中国人団体で超満員で、沸き返っている。こりゃとてもだめだ。朝食は、彼らがバスで出発する前頃まで待たないとできない。となると、今度はマイクロバスの時間に近くなるので、目津崎へはそれまでに行って帰ってこないといけない。
目津崎は、いくつもの小島があるおもしろい地形のようだ。そこへは、少なくとも地図上では道がないが、少し時間があれば山の中をうろうろしながらでも行けたかも知れない。だが、こうなるとそれもムリなので、北側のアカウミガメが産卵にくるという砂浜の海岸から見るしかない。
だが、こうして見ると、やはり山の上からというのは、行ってみてもダメそうだ。
ホテルを挟んで小目津崎の反対側は、大目津という集落がある谷筋になっている。そこへ降りて、海岸までやってきたが、これがまた逆光になってしまう。まだ昇りきらぬうえに、いかにもよわよわしい冬の朝日の蔭になって、ただ黒い塊が横たわる。
砂浜の海岸に飛び出した岩の山は、これも礫岩といっていいのか、ころころと石ころを含んだ「岩」というにはまだ固まりきっていないようで、そこに鋲が打ち込まれ、赤いマーキングがしてある。この印は、大目津の集落の道路などあちこちに同じものがあったので、おそらく測量か何か、地図をつくるような作業のためだろうか。しかし、地図をつくるのにこんなことするかぁ? しないよねぇ。
岬が目津崎で、集落は大目津。遠目に見る大目津の集落は、なかなか豊かなようだ。台地には、梅林やさやえんどうの畑が広がっている。念のために、町のホームページを見てみるが、特産品には梅以外には備長炭やかまぼこなどがあげてあるものの、さやえんどうについてはなにも書かれていなかった。
スイートピーに似た花が咲きはじめ、まだまだこれから伸びていこうとしている畑をみているうちに、昔の記憶がよみがえってくる。
ご飯にえんどう豆をいっしょに炊き込む“まめご飯”は、かなり一般的だろう。ちょうど、この海岸の礫岩のようにころころとした豆を、ご飯のなかから一粒ずつ箸でつまみ出しながら食べる、という作業もなにか楽しいという要素もあったのか。
これも、決してごちそうでもなんでもなく、乏しい食材をいかにやりくりして、三度の食事を賄うか、その苦心のなかから生まれた伝統レシピのひとつだ。
でんでんむしには、それとは別にころころ豆ではなく、このさやえんどうを炊き込んだ“まめご飯”のなつかしい記憶がある。
なぜか、記憶では炊き込んでもそのみずみずしい緑色を失うことのないさやえんどうが、白いご飯のなかに鮮やかなのだ。
ところが、この鮮やかな思い出話には、共感してくれる人、「そうだよねぇ」といってくれる思い出の共有者がこれまでただのひとりも現われたことがない。これはいったいどうしたことだろうか。
33度45分54.27秒 135度17分49.49秒
近畿地方(2009/01/25 訪問)
なにをおっしゃるでんでんむし殿。グリンピースめしこそ拙者の大好物でござる。忘れもしない、小学生最初の遠足が徒歩で芦花公園。この日の弁当がこれであった。見た目も鮮やかで塩味がきいたあのメシは、郷愁もさることながら味覚としても至極上等。
ご指摘のやうに、米不足を補いかつ白米メシに見まがうことから、さいころ切りした大根やジャガイモを炊き込む手法も広くおこなわれもうした。前者はいただけないが、後者がまた美味ゆえ思い出しては“奥”に所望するのだがなかなか叶わぬ。グルメ時代とは味気ないものよのう。
by dotenoueno-okura (2009-04-16 14:16)
@ですからぁ、“ころころ”のほうは、かなり一般的だと思うのですよ。けれども、さやえんどうを入れる“さやさや”のほうが、思い出共有者がいない、ということなんです。
しかし、だいこんやじゃがいもを炊き込むというのも、初めて聞きましたよ。そりゃ、よほど食料難の時代のことかな。
でんでんむしの“さやさや”も…、それと、同じようなことなんだろうか…。でも、さやえんどうを入れても腹の足しにはならないので、これはやはり、食文化の問題かと…。
by dendenmushi (2009-04-17 06:56)