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376 鯨崎=鳥羽市相差町(三重県)短絡的なほうが当たっていることもあるが… [岬めぐり]

 ここへくる前までは、岬の形がクジラのように見えるから鯨崎というのだろうと思っていたが、それはいささか短絡的であろう。そう思ってみれば見えなくもないのだが、ここは実際にクジラとも係わりのある岬だった。
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 近鉄志摩線で鵜方から松尾という無人駅まで行き、そこで国崎行きのバスが来るのを待つが、この間には青峰山という標高336メートルの山が尾根をつくって伸び、電車もその下をトンネルで走り抜ける。
 この分水嶺が、志摩市と鳥羽市の境界をなしていて、川の流れもここで南北逆になる。
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 松尾の駅の側には、加茂川という川が流れているが、バスはその支流の鈴串川に沿って、東の山の中に入って行く。この道は、細い道でバスの離合ができないので、途中の端のところで時間によっては調整して待ち合わせるようになっている。峠を下り、畔蛸(あだこ)町というめずらしい地名を過ぎると、すぐ相差(おおさつ)町という、これもまためずらしい名前が続く。ここの北側には千鳥ヶ浜には海水浴場もあるが、温泉でも湧くのか、夏の海水浴客だけを当てにしているのではないような、中小の宿泊施設がたくさんある。バスを降りその間の道を南に行くと漁港に出る。
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 そうそう。昨夜のホテルで地元のテレビをつけていたら、マンホールの拓本をとって彩色して集めているという名古屋のおばさんが写っていた。それを思い出して、マンホールのフタも撮ってみる。そのおばさんは、絵手紙の教室に通っていたが、どうも自分には絵心がないので、うまく描けない。それで、道端にしゃがんではマンホールのフタの拓本をとって集めているという。
 なんでも、熱中できるものがあるというのは、それがなんであれいいいことだ。
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 鯨崎は、途中にくびれがあって、二つに分かれているので、見ようによってはなんとなくクジラに見えなくもない。直感的にそう思った。
 しかし、その名前が、そんな根拠薄弱なことで、ダテについているわけではないだろう。港の入り口に掲げられた「第20回天王鯨祭」の寄付者の名札や、はがれかかったくじら祭りのポスター、鯨に関する説話の説明版などを見ればわかる…のかな?…と思って、その説話を読んでみると、どうも違う。
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 昔、相差の「鯨山岬」の下で、夜になると海に光るものがあって海怪獣だというウワサが立ち、それをこの地に流れついて落ち延び元武士に退治してもらおうという話がまとまった。依頼された“浜の平”というその元武士は、「鯨山岬」で見張りをし、ついにその光るものの正体が鯨の背に乗った小さな観音様であることをつきとめ、その観音様を祀ろうとしたところ『自分は青峰山は正福寺の本尊の胎内にいたものだから山に帰りたい』とおっしゃるので、驚いて確かめに行くと、果たしてそうであった。以来、青峰山は海の怒りをしずめてくださる観音様として、海に働くものは一年に一度お参りに行くようになった…。
 つまり、この話だと、このエピソードが、語られるようになる前から、この岬を「鯨山岬」と呼んでいたことになるのだ。う〜む。これはどうなのか? この話があってそれから人々はこの岬を『鯨崎』と呼ぶようになりましたとさ…とでもいうのなら、めでたしめでたしでつじつまも合うのだけれど…。kujirazaki04.gif
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 祭りもまだ20回といえば、近年になってから始まったものだろう。いや、100年に一度の祭りなのかも…? 結局、この鯨崎。この地がクジラ漁の盛んだったところというわけでもないらしいし、いささか釈然としないところも残るのであった。
 というわけで、この説話の収録の仕方に誤りがないとすれば、やっぱりここは直感的に見た形で岬の名前がついた、というほうが正しかったらしい。たまには、短絡的なほうが当たっていることもあるのだ。
 だが、グリーンピースやシーシェパードの一方的で自己中で短絡的な所業には、日本人の一人としては腹立たしさが先に立つ。IWCでは日本の沿岸捕鯨を認める方向に動きができはじめたようだが、この機会に国際政治の謀略と日本外交の無策のなかに消滅しかかっている失地回復に努めるくらいのことは、すべきであろう。
 別にクジラを食べたいとは思わないので、どっちでもいいようなものだが、歴史と食文化を守ることは必要なのだから。それよりもなによりも、欧米人もばか喰いしている他の肉類と、いったいどこがどう違うのか、多くの日本人には農場で飼っているからウシは殺しても食べてもいいいいというのでは理解できないだろう。
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 相差の港からは、南のほうには菅崎の東側を見ることができる。
 帰りのバスは、来た道を引き返し、松尾の駅を経由してそのまま鳥羽のバスセンターまで向かう。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度23分14.31秒 136度54分50.26秒
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dendenmushi.gif東海地方(2008/11/22 訪問)

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タグ:三重県
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コメント 2

knaito57

拙者は科学的・合理的ゆえ、こういうナンセンスな神話・伝説・エピソードは頭からペケなんじゃ。NHKが好んで放映する民間習俗・伝統行事、たとえば身体中に泥を塗りあうとか、幼子の顔にスタンプを押したり脅して泣かせると豊作になるとか無病息災になると「伝えられている」など──いったい誰がひねり出したデタラメを誰が伝えたのか、無責任きわまる。この種のウソは寺社やご神体にはつきものですが、それはキリスト教でも同様です。
山本周五郎に熊野灘の鯨獲りにまつわる勇壮な小説があるので、この土地と鯨の縁にはもっと現実的な背景があると思います。
by knaito57 (2009-02-08 10:02) 

dendenmushi

@日本の太平洋岸沿岸では、古くから鯨取りが行なわれていたので、ここもそうだったのかもしれません。その可能性は否定できませんが、今回はそれを謳う何ものも発見できなかったのです。
 それで説話にとどめておきました。
 鯨漁が有名なのは、おっしゃるように山本周五郎の小説の舞台となった、もう少し南の熊野灘沿岸から和歌山にかけてでした。なかでもあの「落合監督の記念館」まであるところが、その中心となっていたのです。
by dendenmushi (2009-02-09 07:31) 

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