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366 老岬=志摩市大王町波切(三重県)「合歓の郷」からやってきたここもまた漁港に使われていると [岬めぐり]

 老岬という岬は、大王町の波切(なきり)の北にあり、波切漁港の北端堤防が、この岬に直結している。老岬の崖には、赤い地層や断層が目立ち、その周辺の岩には褶曲が刻み込まれている。この岬は、地面の崩落によって、比較的地盤の固いところが残ったという典型的な様相を示している。比較的新しく露出したような崖には、まだ大きな木が育つほどの時間が経っていない。
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 大王崎の港は南側にはなく、岬に抱え込まれるようにしてある細い入江が、最も古い港だが、それに続いて北へ港は拡大している。
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 道路ほど目立たないし、まだ問題になっていないが、港湾の整備には毎年数兆円の国家予算が継続的に使われているという。そのおかげで、この波切漁港でも、大規模な埋立てと岩壁が拡大しているが、まだそれが全面的に活かされているようではなく、広い空き地が目立っている。
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 そこでもまだテトラポットが並んでクレーンが動いていた。その先の老岬のそばまで、海岸のテラス整備が進んでいる。
 鵜方の駅前から御座岬行きのバスに乗って、前日も通った島茶屋を過ぎ、田神というバス停で降りた。ここから北へ少し歩けば、老岬の北側に出るはずだ。民家はあるが人の姿はなく、すぐに迎えてくれたのは茶色い水溜まりにヒナを育てているカモだった。小さいヒナがかわいかったので、写真を撮ろうとすると、急いで葦の影に隠れてしまった。
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 岬の北西側から、岬に立つというプランは、うろうろしたけど道がなく、ここでも果たされなかった。老人ホームのような施設がある高台を迂回して、ふたたびバス道路に出て、峠を越えて降りたところが港の端っこだった。前回は、ちょうど逆にこの道を歩いていた。
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 前日は、鵜方から賢島まで行って、船のダイヤを調べたのだが、どうもこれもうまくない。それを確認して宿舎の「合歓の郷」へ向かった。
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 ここはこれが三度目だが、今回はひとりなので当然ホテルの方に泊まることにした。それというのも、岬めぐりの拠点として便利がいいわけではないが、所属している健保組合の提携施設なので、安く利用できるし、ひとりでもちゃんとあたりまえのように泊めてくれるのがありがたい。
 おまけに、部屋は広くてきれいで、ディナーもとてもよかった。高さを抑えて4階までしかないので展望はさほど良いとは言えないが、英虞湾の西に夕日が沈み、東に朝日が昇るのを、幅の広い一枚ガラスの部屋の窓からゆっくりと楽しむ時間は、なかなかよいものだ。
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 会社の歴史というのも、なかなかおもしろい。ヤマハという会社は、なかでもさまざまな経営陣の確執や良くも悪くも人間味あふれるドラマがあったり、事業も多角化があったり、おもしろ部門でも10指に入るのではないかと思われるが、もちろん他の各社の歴史を全部知っていて、比較してのことではない。
 それは例の如く、でんでんむしの独断と偏見によるものだが、オーナーでもないのに親子三代が経営を世襲したことでもめずらしい会社でもある。もともとは、その名に名残を残すように、山葉寅楠という人が、今から120年も前に浜松でオルガンを製造し、その後の事業展開の過程で河合喜三郎という人が加わってつくった会社に始まる。二代目の頃から、ピアノの製造を始めている。
 山葉家の経営権が揺らぐのは、その10年後に起こる爆破事件まで伴う過激な労働争議が原因になる。その事態収拾のために財閥から送り込まれた人間が権力を握るというのはありがちだが、それが昭和になったばかりの頃だった、ということにも驚くべきであろうか。
 戦後、父親から社長の座を世襲した川上源一が、そのワンマンぶりと「エピキュリアン」という誰にも耳慣れないテーマと自分の趣味を大いに事業に反映させた一例がリゾート事業である。
 友人達とキジ撃ちにやってきた浜島町の大崎半島がいたく気に入って、そこを買い占めてつくったのが「合歓の郷」であった。それからは、浜松の会社から自家用のヘリを飛ばして度々やってきたが、それも気まぐれで、なにしろ「今社長室を出てこれからそちらへ向かわれます」というので、20分もすればワンマン社長がやってきてしまう。こっちではそれから大騒動になるのが常だったそうだ。
 こうしたエピソードは、バスの運転手さんと話していて仕入れたネタだが、でんでんむしがヤマハのボートを買ったのが縁で、ここのことを知って初めてやって来たのは、かなり昔のことになる。
 ここが、ヤマハの手を離れて、三井不動産に移ったのは、2年ばかり前のことである。
 今朝のニュースでは、麻生内閣の不支持率が7割を超えたという。これが読売新聞の調査で、しかも朝日新聞の調査の不支持率を上回っているから驚く。これまで、世論調査では他紙に比べるといつも1割程度支持率を高く出すというのが読売新聞の特徴だったのに、もうそういうことでカバーできなくなっているということだろうか。
 そんな危うい内閣のなかでかなりアブナイ横滑り大臣かと思っていたが、鳩山総務相のことをちょっとだけ見直したのは、「かんぽの宿」をオリックスへ一括譲渡することに、疑義をはさんだ、ということを知ってからである。これは、最近の内閣の閣僚では、唯一の高得点である。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度17分7.67秒 136度53分54.79秒
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dendenmushi.gif東海地方(2008/11/21 再訪)

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タグ:三重県
きた!みた!印(4)  コメント(4)  トラックバック(1) 
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きた!みた!印 4

コメント 4

knaito57

なるほど、形成の経緯がうかがえる特徴的な外観。崖のような岬だからその突端に立つことはできず、周囲からながめるしかなさそうですね。
なんと3度目ですか。拙者も「合歓の郷」の利用を考えないわけじゃないが、関東からはちと遠くて。でも朝日・夕日をながめてぼんやりしたいところですなあ。
ヤマハとの関係は知らなかった。あの会社は川上源一おやじのものと思っていたけれど、あらためて世界ブランドのモノを生みだした“企業家魂”を思います。
by knaito57 (2009-01-13 08:10) 

dendenmushi

@いいですよ、あそこは。一度行ってみたらいいと思います。ただし、今回のでんでんむしのように、一泊して翌朝すぐ帰るだけでは、もったいない。
 自然以外なんにもありませんが、滞在型のリゾートですから、ゆっくりのんびりぶらぶらして、自分の時間を過ごすのに適しています。
by dendenmushi (2009-01-14 09:04) 

ヒサオ富田林

三島由紀夫の潮騒を再読していたら、「末の娘の初江ちふのが、志摩の老岬の海女のところへ・・・」と書かれており、検索していたら、ここにたどり着きました。この秋、伊勢神宮から大王崎へ回ります。
by ヒサオ富田林 (2013-09-15 10:46) 

dendenmushi

@ヒサオ富田林 さん、よくこんなところまでたどりついていただきました。
なるほど。『潮騒』には、ここまで出てくるのですか。恥ずかしながら読んでいないので、知らんかった…。
by dendenmushi (2013-09-16 11:33) 

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