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361 安乗崎=志摩市阿児町安乗(三重県)“あんじょう”ではなく“あのり”でした [岬めぐり]

 ながいこと「あんじょうざき」だとばかり思っていたが、ここは「あのりざき」だった。志摩半島では、大王崎と並んで重要な位置にある。北の菅崎と対になって、的矢湾の出入口を守っている。
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 背はそう高くないが、白亜の灯台が断崖の上に立つという、おあつらえむきのいかにも岬らしいシチュエーションである。周辺も公園になっていて、ここから望む景色も、なかなかである。
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 中に入って上まで登ることができる燈光会管理の灯台は、今ではその数も少なくなって、16か17を数えるのみだ。150円払ってチケットをもらったが、以前の他の灯台の分もちゃんと全部取っておけばよかった。
 地図では岬の名前は例外なく「安乗崎」なのだが、以前は八角だったという四角い灯台の名前には、「埼」の字が使われている。外観は四角でも、中に入って登るときはやはり丸くらせんを描いて階段を登っていく。
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 こんな写真が飾ってあって、これを見るともう、うるうるするくらい懐かしい。『喜びも悲しみも幾歳月』この映画のポスターが町中至るとこに貼られていたあの頃が…。
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 次の写真は、ずっと南の国府白浜海岸から遠望したもの。
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 徳川時代、幕府が大船の建造を禁じたため、日本の和船はお椀の上に帆柱を立てたようなお粗末なもので、洋式船のように甲板を持たなかったし、復元力がなかった。そのため、強い風雨や嵐には弱かったが、一枚帆ながら操船性はよかったらしい。。
 そんな船で、北前船も日本海沿岸を航行していたのだが、それに比べると太平洋航路の開発は、もう少し遅れたようである。江戸から上方へ下る太平洋沿岸の場合、伊豆半島の石廊崎を回ってからは、遠州・三河に良港がほとんどなく、一気にここ安乗崎を目指すことが多かった、と考えられる。
 でんでんむしがご贔屓の『居眠り磐音 江戸双紙』(佐伯泰秀著・双葉文庫)では、豊後の関前という架空の藩(ここの岬もちゃんと取り上げてある)が、弁才船をしたてて江戸表と往来する様が描かれている巻がある。(1/3にはNHKが『陽炎の辻』スペシャル版を放送するそうだが、このドラマシリーズは、この前の30分版は別にして比較的うまく原作を活かしている。)
 西風が強い遠州灘を往来するのは、今われわれが想像するよりも、ずっと大変だったろう。そこで、行きも帰りも、この安乗崎が果たしていた役割は、重要だったのだろう。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度21分54.49秒 136度54分30.17秒
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dendenmushi.gif東海地方(2008/11/20 訪問)

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タグ:三重県 灯台
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コメント 2

knaito57

ちゃんと灯台もあって、まさに「おあつらえむき」の岬風景。まるで南国のやうですね。
でもなんでここに『二十四の瞳』のポスターが……と思ったら、『幾年月』と混同してました。
「あんじょう」には微かな記憶があります。母方のいなか(三重県伊勢)では「うまいことやっておいてね」というニュアンスで「〜しといてや」と言っていました。
by knaito57 (2009-01-02 09:06) 

dendenmushi

@『喜びも悲しみも幾歳月』という題名が、すばらしかったと今でも思いますね。
 なるほど、右の写真だけみるとここは小豆島か、と思ってしまいますね。
 「あんじょう」というのは、関西弁としては広く使われているのではないでしょうかね。
by dendenmushi (2009-01-04 09:07) 

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