360 宮ノ鼻=志摩市磯部町的矢(三重県)“女護が島”へは渡船はもうなくなっていて×でも笑う門 [岬めぐり]
的矢湾もその外洋に近い部分は、鳥羽市と分けあっているので、宮ノ鼻が志摩市北岸ではいちばん東の端になる。伊勢志摩ロイヤルホテルからは、歩いても軽く行けるところだが、せっかくバスがうまい具合にくるので、それに乗って的矢までやってきた。
宮ノ鼻は、対岸の渡鹿野島と向き合っている。右端に見える遠くの岬は菅崎で、真ん中のが宮ノ鼻である。これがまた不思議なことに、渡鹿野島の北側5分の1くらいは“磯部町渡鹿野”ではなく“磯部町的矢”なのである。前項の“三ケ所”と同じことが、ここでも起こっている。
ここの場合は、狭い水道を挟んで向かい合うふたつの集落が、船で交流するほうが生活形態としてごく自然なので、それが同じ町内になることを選んだと考えられる。
ここから、その目の前に見えている渡鹿野へは、渡船が出ると大きな看板にその時刻が示されている。国土地理院の地図でも、的矢から渡鹿野島へは渡船の表記がしてある。バス停のそばには、こんな看板もあるので、どうやらここの堤防の切れ目が乗場らしい。
この渡鹿野島(そうそう、申し遅れましたが、この島は時刻表掲示にあるように「わたかのじま」と読みます。)は、なんでもかなり昔からわりと近年まで、伝説の「女護が島」として有名だったそうだが、それが目当てで行くわけではない。ここから島に渡れば、島を横断して反対側にある和田崎を経由して、そこからまた渡船で安乗崎のある半島に取りつくことができる。これが、安乗崎までの最短コースなのだ。
掲示してある渡船の時刻までは少し間があるので、宮ノ鼻を見がてら、しばらくそこいらを散策していると、こんな家があった。
『笑う門には福来たる』という意味なのだろう。これは、この辺りの風習らしい。別にお正月がくるからというのでもなく、年中こんな注連飾りを掲げているのだ。
前回、大王崎から麦崎方面に行ったときには、賢島から和具まで英虞湾を船で横断したのだが、そのときにも賢島でも和具でも、多くの民家の玄関先に、これが取り付けてあったのを思い出した。
2008年は、多くの人にとって心から笑うことができないような年のまま、暮れようとしている。だが、今も志摩の人々はこの『笑門』の縁起物を家ごとに掲げて、新しい年を迎えようとしていることだろう。
それこそは、日本中の願いでもあろう。(…とまあ、大晦日の締めくくりらしいことも言っておいて…。)
また、港の防波堤(壁)に戻る。これは高潮などの被害を防ぐために、堤防の切れ目も、いざというときには電動で遮断できるようになっている。見ると、その堤防の切れ目に着く船から、カゴに入ったかきを引き上げているところだった。
そばにはかきの処理場もあり、看板や的矢かきの幟がはためいているが、ネコグルマに載せて、奥まった建物に運んでいる。地図ではちょうど「真珠養殖場」という太文字が居座っている場所なので、これはかきではなく真珠貝のほうだったのかも知れない。
そんなことは、実はどうでもいい気分だった。それよりも、渡し船がなかなか来ないのだ。それがさっきから気になっている。
時刻表より10分くらい遅れて、一艘の小舟が着いた。やっと来たかと、「渡鹿野島へ行くのはこの船ですか?」と、念のため船を操ってきたおじさんに聞いてみた。
「いいや、違う。行かんよ。昔はあったが、渡船はもうなくなってるよ」
なんたるショック! あの時刻表はなんだったのか! この乗場の看板はなんなのか?
未練がましくも、いつなくなったのか聞いてみると、さあ2年前くらいだったかなあという返事。
まったく、驚いたこともあるものだ。
だが、こんなことでいちいち腹を立てていてはいけませぬな。
笑門。笑門ですよ…。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度22分16.68秒 136度52分35.85秒
東海地方(2008/11/20 訪問)
宮ノ鼻は、対岸の渡鹿野島と向き合っている。右端に見える遠くの岬は菅崎で、真ん中のが宮ノ鼻である。これがまた不思議なことに、渡鹿野島の北側5分の1くらいは“磯部町渡鹿野”ではなく“磯部町的矢”なのである。前項の“三ケ所”と同じことが、ここでも起こっている。
ここの場合は、狭い水道を挟んで向かい合うふたつの集落が、船で交流するほうが生活形態としてごく自然なので、それが同じ町内になることを選んだと考えられる。
ここから、その目の前に見えている渡鹿野へは、渡船が出ると大きな看板にその時刻が示されている。国土地理院の地図でも、的矢から渡鹿野島へは渡船の表記がしてある。バス停のそばには、こんな看板もあるので、どうやらここの堤防の切れ目が乗場らしい。
この渡鹿野島(そうそう、申し遅れましたが、この島は時刻表掲示にあるように「わたかのじま」と読みます。)は、なんでもかなり昔からわりと近年まで、伝説の「女護が島」として有名だったそうだが、それが目当てで行くわけではない。ここから島に渡れば、島を横断して反対側にある和田崎を経由して、そこからまた渡船で安乗崎のある半島に取りつくことができる。これが、安乗崎までの最短コースなのだ。
掲示してある渡船の時刻までは少し間があるので、宮ノ鼻を見がてら、しばらくそこいらを散策していると、こんな家があった。
『笑う門には福来たる』という意味なのだろう。これは、この辺りの風習らしい。別にお正月がくるからというのでもなく、年中こんな注連飾りを掲げているのだ。
前回、大王崎から麦崎方面に行ったときには、賢島から和具まで英虞湾を船で横断したのだが、そのときにも賢島でも和具でも、多くの民家の玄関先に、これが取り付けてあったのを思い出した。
2008年は、多くの人にとって心から笑うことができないような年のまま、暮れようとしている。だが、今も志摩の人々はこの『笑門』の縁起物を家ごとに掲げて、新しい年を迎えようとしていることだろう。
それこそは、日本中の願いでもあろう。(…とまあ、大晦日の締めくくりらしいことも言っておいて…。)
また、港の防波堤(壁)に戻る。これは高潮などの被害を防ぐために、堤防の切れ目も、いざというときには電動で遮断できるようになっている。見ると、その堤防の切れ目に着く船から、カゴに入ったかきを引き上げているところだった。
そばにはかきの処理場もあり、看板や的矢かきの幟がはためいているが、ネコグルマに載せて、奥まった建物に運んでいる。地図ではちょうど「真珠養殖場」という太文字が居座っている場所なので、これはかきではなく真珠貝のほうだったのかも知れない。
そんなことは、実はどうでもいい気分だった。それよりも、渡し船がなかなか来ないのだ。それがさっきから気になっている。
時刻表より10分くらい遅れて、一艘の小舟が着いた。やっと来たかと、「渡鹿野島へ行くのはこの船ですか?」と、念のため船を操ってきたおじさんに聞いてみた。
「いいや、違う。行かんよ。昔はあったが、渡船はもうなくなってるよ」
なんたるショック! あの時刻表はなんだったのか! この乗場の看板はなんなのか?
未練がましくも、いつなくなったのか聞いてみると、さあ2年前くらいだったかなあという返事。
まったく、驚いたこともあるものだ。
だが、こんなことでいちいち腹を立てていてはいけませぬな。
笑門。笑門ですよ…。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度22分16.68秒 136度52分35.85秒
東海地方(2008/11/20 訪問)
タグ:三重県
2008年ありがとうございました。良いお年~~!
by takemovies (2008-12-31 12:03)
今年はブログを通じてお世話になりました。また、ろくなコメントもできず恐縮です。来年も宜しくお願い申し上げます。
by Krause (2008-12-31 12:09)
@takemoviesさん。いつもたくさんの写真や動画をみせていただいています。
これもなかなかすごいボリュームですね。
by dendenmushi (2009-01-01 07:56)
@Krauseさんは、かなり以前から、ただ一人dendenmushiを「「お気に入り」に登録してくださっている方です。
誰もが憧れる田舎暮らしもちょっと半端ではなく、しかもその合間に世界中に「出稼ぎ」に行くという、うらやましい境涯ですね。
by dendenmushi (2009-01-01 08:04)