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359 鳥井崎=志摩市磯部町的矢(三重県)ホテルの部屋から的矢湾を眺めながら… [岬めぐり]

 さて、困ったぞ。この鳥井崎の「い」は、国土地理院の「ウォッちず」では「井」なのだが、MapionもZENRINもGoogleもyahooも(といってもソースには限りがあるので、同じようなものを使っているのだが)他のネットの地図では「居」なのである。
 別に権威に弱いわけではないのだが、その他大勢の多数決に逆らって、ひとり「鳥井崎」としているには、それなりの理由があろうかと、ここでは国土地理院に従っておく。(案外これが間違いだったりしてね。なにしろ、「ウォッちず」には「呉港」という表示がとんでもない文字になっていたという前科もあるしね。)
 前日の夕方、志摩磯部の駅からタクシーで、伊勢志摩ロイヤルホテルに着いたのはまだ6時前だったのに、もうすっかり暗くなっていた。
 ちょうど玄関には、観光バスが何台も停まっていて、次々と団体客が降りてきて、ロビーは大混雑だった。一応このホテルの会員になっているので、機会があれば利用しているが、その度に驚くのは中国人などの団体がいつも大勢いることである。
 ホテル自体が大きいのだが、そのなかでやたらそれが目立っている。淡路島のウェスティンホテルへ泊まった時もそうだったし、いまやどこで同じなのかも知れない。フロントでも、わざわざ「今日は団体さんがありますので…」という断りがあって、朝食も8時くらいからにするとゆったりとご利用いただけます、などという。ちょっと情けない気分になるのは、大浴場には「身体を洗って入りましょう」といった注意書きが数か国語で掲示されているのを見るときだ。
 何を言っているのかわからない言語が、そこここで飛び交い、エレベーターの中で彼らの間にひとりはさまっていると、まったく関係はないのだが、半村良の日本が外国人に占拠されて一部の金持ちなどの日本人は東北地方に篭ってしまうという小説(これも彼の小説にはよくある中途半端なできそこない作といえるが)や、村上龍の『半島を出よ』なんかをフト思い出してしまう。
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 そのホテルの部屋の窓から、的矢湾を望むと、鳥井崎がそこにある。リアス式特有の景色があり、周りを周回する道路もない。これらは、能登・松島そしてここと、共通する。
 この後、的矢までバスで行ったので、そこから撮った岬の東側からの写真は、こんなふうになる。
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 的矢湾は、深く長く陸地の間に食い込んだ海で、かき筏や真珠養殖の筏も浮かんでいるが、どれがかきでどれが真珠かはわからない。
 4年前にそれまでの志摩郡の五つの町が合併してできた志摩市の大部分は、100メートル以下のでこぼこした独特の地形がつながっている。リアス式の地形には合併後も変化はないが、近鉄の賢島線が志摩線と名前が変わったのは、合併後の変化だろう。合併では町の呼び方も変わる。従来の町名に、大字名をくっつけて地名にしている。だから、鳥井崎のあるところは “志摩市磯部町的矢”となる。その対岸は“志摩市磯部町三ケ所”というのだが、奇妙なことにはこの地名が的矢湾を越えて北側のホテルの敷地も半分かすめ取り、さらに北のゴルフ場まで広くつながっている。飛び地だと思えば不思議もないが、ホテルのところだけが狭く“三ケ所”となって湾に面している。
 “三ケ所”が二か所に分かれてしまったわけだが、いかにも、“昔は陸続きだったのが、湾ができて分断されました”みたいな形になっている。地名がついてから湾ができたとは考えられないので、これにも歴史的ななにか曰く因縁があるのだろう。
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 ホテルの前にある的矢湾大橋の西側は、湾の名前が変わって伊雑ノ浦となるが、それに面して「志摩スペイン村」が広がっている。
 タクシーの運転手さんの話では、最初の頃は結構人も来たが近頃はさっぱり、だとか。
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 時代は、常に目に見えぬなにかによって牽引されているように思える。
 放送開始から40年になるというNHK-FMでは、昨日も恒例となった『三昧』放送があった。『今日は一日・人生と時代と歌三昧』と題して、きたやまおさむ氏と“なりたい歌手があるとすればジョーン・バエズ”という山根基世アナの掛け合いで、なかなか楽しい放送だった。もちろん『岬めぐり』も、でてきましたよ。これは、きたやま氏も言及しでんでんむしも考えていたことだが、この辺のフォークはメジャーが擦り寄ってくる時代なのだ。曲はまだ無名といってもいい山本コータローだが、この詩は山上路夫なのだから…。
 よく言われることだが、歌が時代を象徴することは、大いにある。きたやま氏の話を聞いていると、なるほどそうだったのかということも多かったし、でんでんむしの『個人史』の考え方と符合することも、随所にあった。
 過去は、決して忘れてはいけないのだ。
 そう思って、初めて伊勢志摩へ来たのは、いつだったのだろうと、年表を見る(そういう『年表』を自分でつくっている)と、1963(昭和38)年のことだった。FM放送が始まる5年前で、ちょうどジョーン・バエズが注目され、ボブ・ディランが最初のレコードを出していた頃だった。そうだったのだ。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度21分50.92秒 136度51分25.86秒
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dendenmushi.gif東海地方(2008/11/20 訪問)

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タグ:三重県
きた!みた!印(3)  コメント(2)  トラックバック(1) 
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コメント 2

knaito57

土地柄、やはり「鳥居」じゃないですか。言葉としても「鳥居」はいろいろあるけれど「鳥井」で思いつくのはサントリーの創業者くらいだから。
この地図で見るかぎり的矢湾は入り組んでいて、どちらが外海かわからないほど複雑ですね。シドニー(ジャクソン)湾で同じ思いをしたことがあるので、思い立ってSYDNEY MAPとBARTHOLOMEW WALLMAPを眺めてみました。すると世界地図には“C.”を冠したCapeのほかに“Point”も多く見られました。岬・崎・鼻の感覚的使い分けと似ていますね。
by knaito57 (2008-12-29 10:09) 

dendenmushi

@なるほど。「Cape」だけじゃないんですね。「Point」も言われてみれば、なかなか岬らしい。
 まあ、岬の名前の詮索は、果てしがないうえに、なにしろ資料というものがほとんどの場合ないので、むずかしいです。
 ここも、鳥居でもあれば、それで決定的なのですが、そううまくもいかないときている…。
 「鳥井」は滅多にないだけに、ここにそのいわくがあればおもしろいと、あえてこっちを採用した次第。
by dendenmushi (2008-12-31 08:32) 

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