356 松ヶ鼻=鳥羽市浦村町・石鏡町(三重県)細い岬が2つの町を分ける「鍋釜落」とはなにぞ [岬めぐり]
岬には、ずんぐり丸いのと細くてでこぼこしているのとがあり、後者の方に当たるときは、いつも“マンデルブロー集合の枝”のことを想ってしまう。
マンデルブローの描く岬は、法則に則っているので、どれも一定のパターンというか、必ずしも同じではないがそれぞれが相当似ている。現実の岬は、あくまで無法則で、勝手気ままのバラバラである。
松ヶ鼻の形は、左右対称のマンデルブローのような形で、伊勢湾に向かってちょこんと飛び出している。その西半分が浦村町で東半分は石鏡(いじか)町になる。ふたつに割れたようなその先端には、岬の名と並んで西寄りに「鍋釜落」という表示が、地図にはある。
どうやら、これは鍋も釜も落ちてしまうほどの荒れる難所だという意味らしいが、それもすぐには賛同しかねた。なぜなら、どんな船でも鍋釜を積んでいるのがフツーとも思えない。もっとも、長時間海の上で漁を続けなければならない漁船では、船の上で煮炊きすることもあるだろう。
だが、それにしてもこんな陸に近い所でそうなのだろうか。にわかに信じ難い。おまけに、この日は気持ちよく晴れ渡った穏やかな海で、海の本当の恐ろしさを疑わせるにも充分だった。
なにしろ伊勢湾から、知多三河の山まで見渡せるほどの上天気である。そんな難所と結びつくなにものもなかった。
菅島の白い灯台が,きれいに見えるし、大築海島・小築海島が並ぶ。そのずっと彼方には、新幹線で走るときいつも気になっていた山上の白い建物まではっきりと見える。
そしてさらに東に目を転ずれば、ここまではまだ鳥羽市である神島。そして、その向こうには愛知県の伊良湖の山や、その上にあるホテルも一望される。伊良湖岬そのものは神島とかぶって、ちょっと微妙な位置関係になる。
「海の博物館」という箱物ができているらしく,そういう名のバス停で降りたのだが、車で来た人が休憩できる駐車スペースと展望台のようなところがあり、そこには「文学の島 ロマンの岬」と題した一枚の案内板があった。なぜか誰がそれを立てたのか、名前の部分が削り取られていたのでわからないが、これを書いた人の眼中には、もちろん松ヶ鼻も鍋釜落もないようだ。
三島由紀夫も,大昔に『金閣寺』を読んだ記憶があるくらいで、ほとんど縁がない。残念ながら、純文学というヤツは苦手なのだ。だから、『潮騒』も読んでいないし、神島もその舞台になったという情報でしか知らない。だいたいそれだけで“文学の島”といわれてもねえ。でも、ここに立つほとんどの人がそうではないだろうか。
島崎藤村は好きであったから、『千曲川旅情のうた』などは暗唱したいと努力したことがあるほどだった。日本語の美しさを自分自身で感じたのは、このときだったろう。当然、『椰子の実』もよく歌った。その意味も観念でしかなかった中学生にも、“流離の憂い”は胸を打つものがあったようだ。
“ロマンの岬”などとおっしゃいますが、椰子の実が流れ着いたというのは恋路ヶ浜であって、伊良湖岬ではありませんから…と、余計な突っ込みを入れたくなる。
滅多にこないバスを降りてしまったので、ここから先は歩くしかない。松ヶ鼻の岬の付け根を迂回しながら、まずは石鏡へ向かう。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分18.24秒 136度54分37.74秒
東海地方(2008/11/19 訪問)
マンデルブローの描く岬は、法則に則っているので、どれも一定のパターンというか、必ずしも同じではないがそれぞれが相当似ている。現実の岬は、あくまで無法則で、勝手気ままのバラバラである。
松ヶ鼻の形は、左右対称のマンデルブローのような形で、伊勢湾に向かってちょこんと飛び出している。その西半分が浦村町で東半分は石鏡(いじか)町になる。ふたつに割れたようなその先端には、岬の名と並んで西寄りに「鍋釜落」という表示が、地図にはある。
どうやら、これは鍋も釜も落ちてしまうほどの荒れる難所だという意味らしいが、それもすぐには賛同しかねた。なぜなら、どんな船でも鍋釜を積んでいるのがフツーとも思えない。もっとも、長時間海の上で漁を続けなければならない漁船では、船の上で煮炊きすることもあるだろう。
だが、それにしてもこんな陸に近い所でそうなのだろうか。にわかに信じ難い。おまけに、この日は気持ちよく晴れ渡った穏やかな海で、海の本当の恐ろしさを疑わせるにも充分だった。
なにしろ伊勢湾から、知多三河の山まで見渡せるほどの上天気である。そんな難所と結びつくなにものもなかった。
菅島の白い灯台が,きれいに見えるし、大築海島・小築海島が並ぶ。そのずっと彼方には、新幹線で走るときいつも気になっていた山上の白い建物まではっきりと見える。
そしてさらに東に目を転ずれば、ここまではまだ鳥羽市である神島。そして、その向こうには愛知県の伊良湖の山や、その上にあるホテルも一望される。伊良湖岬そのものは神島とかぶって、ちょっと微妙な位置関係になる。
「海の博物館」という箱物ができているらしく,そういう名のバス停で降りたのだが、車で来た人が休憩できる駐車スペースと展望台のようなところがあり、そこには「文学の島 ロマンの岬」と題した一枚の案内板があった。なぜか誰がそれを立てたのか、名前の部分が削り取られていたのでわからないが、これを書いた人の眼中には、もちろん松ヶ鼻も鍋釜落もないようだ。
三島由紀夫も,大昔に『金閣寺』を読んだ記憶があるくらいで、ほとんど縁がない。残念ながら、純文学というヤツは苦手なのだ。だから、『潮騒』も読んでいないし、神島もその舞台になったという情報でしか知らない。だいたいそれだけで“文学の島”といわれてもねえ。でも、ここに立つほとんどの人がそうではないだろうか。
島崎藤村は好きであったから、『千曲川旅情のうた』などは暗唱したいと努力したことがあるほどだった。日本語の美しさを自分自身で感じたのは、このときだったろう。当然、『椰子の実』もよく歌った。その意味も観念でしかなかった中学生にも、“流離の憂い”は胸を打つものがあったようだ。
“ロマンの岬”などとおっしゃいますが、椰子の実が流れ着いたというのは恋路ヶ浜であって、伊良湖岬ではありませんから…と、余計な突っ込みを入れたくなる。
滅多にこないバスを降りてしまったので、ここから先は歩くしかない。松ヶ鼻の岬の付け根を迂回しながら、まずは石鏡へ向かう。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分18.24秒 136度54分37.74秒
東海地方(2008/11/19 訪問)
タグ:三重県
綺麗な風景です。
by 飛騨の忍者 ぼぼ影 (2008-12-23 11:23)
「鍋釜落」とはイメージ豊かな命名ですね。潮流が急な熊野灘では難船が多かったと小説で読んだことがありますが、伊勢湾あたりではそれほどではなかろうと(素人考え)。
伊良湖岬が見えるとはうれしいじゃないですか。なにしろ拙者、40年以上も前に行ったことがある(自慢!)。でも角度の関係で篠島は見えないでしょうね。
『椰子の実』は恋路ヶ浜に流れ着いたその話を柳田国男から聞いた藤村が作詩したとか、よく観る歌謡ビデオでいってました(聞きかじり)。
by knaito57 (2008-12-24 07:55)
@ほぼ影さん、この日は特別よく晴れて,景色もきれいに遠くまで見えました。荒れ、ひょっとしたら,飛騨の山も…? いつもはそうでもないようです。
by dendenmushi (2008-12-25 07:30)
@伊勢湾は一応湾ですからね。西風を避ける寄港地がいくつかあったようです。
伊良湖岬にはリンクボタンをつけています。青文字の所。そこをクリックしていただくと、前に書いた伊良湖の項へジャンプします。
そこでは、篠島のことも椰子の実のことも…。
あ、そうだ。
ただね、その柳田国男からどうとかいうのは、一般にはかなり広く流布されて定説のようになっているのですが、研究者の間には異論があるようで、その項でもあえて触れませんでした。
by dendenmushi (2008-12-25 07:37)