346 吠崎=宮城郡七ヶ浜町花渕浜(宮城県)菖蒲田浜から花渕浜へ御殿山で吠える [岬めぐり]
菖蒲田浜の港を過ぎたところから、もう既に前方にはっきりと見えていたのが、吠崎である。「ほえざき」と読むのだろうか。ナニがなにに向かって吠えているというのだろうか。
こうくると、誰でもが千葉県の犬吠崎を連想することだろう。犬吠崎は首都圏に近いうえに、銚子電鉄とぬれ煎餅や近頃流行りの魚市場でうまいもん効果もあり、確か有名な大新聞がやっているいろんな“ベスト10”を読者投票で上げるという企画記事でも、灯台部門でベスト3に入っていたような記憶もある。(でも、あれは中身がまるでつまらなかったなあ。)
千葉県のほうは、あきらかに風や波の音が犬が激しく吠えているように聞こえる…といったところなのだろうし、それはそれで感じがよく出ている。だが、もともと「吠」には「はい」はあっても、「ぼう・ほう」と読む音訓はないはずで、慣例読みが定着したのだろう。したがって、ここも「ぼうざき」ではないのだろうが…。
いつも、こんな岬の読み方で困っているような書き方をしていると、でんでんむしのことを、きっと「おかしなヤツだ。名前くらいそこらで聞いてみればよかろうに…」と、思う人も多かろう。だが、そんなことはとっくに試している。そして、ほとんどの場合、これが正解と教えてくれた人はいない。なので、あまり相手を困らせるのも気の毒だし、この頃はもういちいち聞いたりしない。第一、聞こうにもたいていの場所では、そこらに人などいない。
つまり、よほど有名か観光地化しているような場合(もちろん、そういう岬では名前の読み方に困ることなどないが)を別にすれば、漁師や釣り人以外に、岬の名前が陸で生活する人々の暮しと意識のなかに、大きな位置を占めている、ということはまずないのである。
港にほど近いところには、排水機場がある。これを遡って行くと阿川沼という沼があると、地図には示されている。そここそが、菖蒲田の名の起こりとなった場所なのだろうと想像できる。そのシーズンならば、ぜひにも立寄りたいところだが、今は先を急ぐ。
吠崎は、丸い形をした標高40メートルほどの、御殿山という山でできている。これがまた、周囲は断崖を波が洗うという景色で、てっぺんには花渕灯台という灯台もある。しかし、それは南の浜辺からでは、よく見えることがない。予告編になるが、反対側のほうから見ると、吠崎はこんなふうに見える。
地図ではどれも「菖蒲田浜」としか表示していない海岸の、浜に沿った道を北へ向かって歩く。1.7キロほど続いているこの浜辺は、厳密には南半分が菖蒲田浜、北側半分は、どうやら標識その他を見る限り、「花渕浜」と呼ぶのが地元のみなさんの意向にそうことになるようだ。
浜を歩く間じゅう、吠崎と御殿山は、常に見えている。
ハマボウフウの保護のための、網が張り巡らせてある場所がある。その網に、小さな人形というかキャラクターのぬいぐるみのようなものが、ぶら下げてある。なぜか、一瞬ギョッとして立ち止まってしまった。これは、なんだろう。あれはどこだったか、住宅街の路地で突然キョンシー人形が立ててあるのに遭遇して以来の“ギョッ”だった。
道の奥のほうには、こんなものが…。ああ、そうすると…?
よく見ると、黒い碑には背後はハイゴ霊も写っていたりして…?
花渕浜に近づいて行くと、波打ち際に黒い点がたくさん、浮かんでいる(または沈んでいる)。
花渕浜も、御殿山の下、高山の海水浴場あたりは、波乗りのできるポイントらしいのだ。
よくは知らないが、日本でホントの波乗りができる海岸は、とても少ないのではないだろうか。いつもそんな気がしている。板を抱えて電車に乗っている人や、自動車の上にのっけて走っている人をみると、相当ムリをしているんだろうな、と思う。
もっとも、ボードを持っている人がすべて、映画にあるような波のトンネルをくぐるわけでも、くぐりたいわけでもないのだろうけれど…。
しばらく眺めているうちに、やっと波間から身体を上に出した影が、ひとつだけ見えた。
花渕浜まで出ると、バスが通る大通りに出る。バス停もあるが、ダイヤを見ると、まるで役に立たないので、引き続き花淵崎を目指して峠を越えて、歩くことにする。ここからはそう遠くないはずである。
それにしても、「菖蒲田浜」に「花渕浜」。
こう書いてみると、なんと日本語と漢字というのは、豊富なイメージに満ち溢れていることだろうと、今更のように思う。
▼国土地理院 「地理院地図」
38度17分38.02秒 141度5分4.72秒
東北地方(2008/10/15 訪問)
こうくると、誰でもが千葉県の犬吠崎を連想することだろう。犬吠崎は首都圏に近いうえに、銚子電鉄とぬれ煎餅や近頃流行りの魚市場でうまいもん効果もあり、確か有名な大新聞がやっているいろんな“ベスト10”を読者投票で上げるという企画記事でも、灯台部門でベスト3に入っていたような記憶もある。(でも、あれは中身がまるでつまらなかったなあ。)
千葉県のほうは、あきらかに風や波の音が犬が激しく吠えているように聞こえる…といったところなのだろうし、それはそれで感じがよく出ている。だが、もともと「吠」には「はい」はあっても、「ぼう・ほう」と読む音訓はないはずで、慣例読みが定着したのだろう。したがって、ここも「ぼうざき」ではないのだろうが…。
いつも、こんな岬の読み方で困っているような書き方をしていると、でんでんむしのことを、きっと「おかしなヤツだ。名前くらいそこらで聞いてみればよかろうに…」と、思う人も多かろう。だが、そんなことはとっくに試している。そして、ほとんどの場合、これが正解と教えてくれた人はいない。なので、あまり相手を困らせるのも気の毒だし、この頃はもういちいち聞いたりしない。第一、聞こうにもたいていの場所では、そこらに人などいない。
つまり、よほど有名か観光地化しているような場合(もちろん、そういう岬では名前の読み方に困ることなどないが)を別にすれば、漁師や釣り人以外に、岬の名前が陸で生活する人々の暮しと意識のなかに、大きな位置を占めている、ということはまずないのである。
港にほど近いところには、排水機場がある。これを遡って行くと阿川沼という沼があると、地図には示されている。そここそが、菖蒲田の名の起こりとなった場所なのだろうと想像できる。そのシーズンならば、ぜひにも立寄りたいところだが、今は先を急ぐ。
吠崎は、丸い形をした標高40メートルほどの、御殿山という山でできている。これがまた、周囲は断崖を波が洗うという景色で、てっぺんには花渕灯台という灯台もある。しかし、それは南の浜辺からでは、よく見えることがない。予告編になるが、反対側のほうから見ると、吠崎はこんなふうに見える。
地図ではどれも「菖蒲田浜」としか表示していない海岸の、浜に沿った道を北へ向かって歩く。1.7キロほど続いているこの浜辺は、厳密には南半分が菖蒲田浜、北側半分は、どうやら標識その他を見る限り、「花渕浜」と呼ぶのが地元のみなさんの意向にそうことになるようだ。
浜を歩く間じゅう、吠崎と御殿山は、常に見えている。
ハマボウフウの保護のための、網が張り巡らせてある場所がある。その網に、小さな人形というかキャラクターのぬいぐるみのようなものが、ぶら下げてある。なぜか、一瞬ギョッとして立ち止まってしまった。これは、なんだろう。あれはどこだったか、住宅街の路地で突然キョンシー人形が立ててあるのに遭遇して以来の“ギョッ”だった。
道の奥のほうには、こんなものが…。ああ、そうすると…?
よく見ると、黒い碑には背後はハイゴ霊も写っていたりして…?
花渕浜に近づいて行くと、波打ち際に黒い点がたくさん、浮かんでいる(または沈んでいる)。
花渕浜も、御殿山の下、高山の海水浴場あたりは、波乗りのできるポイントらしいのだ。
よくは知らないが、日本でホントの波乗りができる海岸は、とても少ないのではないだろうか。いつもそんな気がしている。板を抱えて電車に乗っている人や、自動車の上にのっけて走っている人をみると、相当ムリをしているんだろうな、と思う。
もっとも、ボードを持っている人がすべて、映画にあるような波のトンネルをくぐるわけでも、くぐりたいわけでもないのだろうけれど…。
しばらく眺めているうちに、やっと波間から身体を上に出した影が、ひとつだけ見えた。
花渕浜まで出ると、バスが通る大通りに出る。バス停もあるが、ダイヤを見ると、まるで役に立たないので、引き続き花淵崎を目指して峠を越えて、歩くことにする。ここからはそう遠くないはずである。
それにしても、「菖蒲田浜」に「花渕浜」。
こう書いてみると、なんと日本語と漢字というのは、豊富なイメージに満ち溢れていることだろうと、今更のように思う。
▼国土地理院 「地理院地図」
38度17分38.02秒 141度5分4.72秒
東北地方(2008/10/15 訪問)
この怪しげな人形だがね、ワトスン君。私の推理では──
・網に鳥が引っかかるのを防ぐため
・匂いに寄ってくるネコ除け
・網の所有者を区別するため
・波遊びに来た人への歓迎と注意喚起の意味
・あえなく水難にあった人数と慰霊の意味
・わら人形に似たこの地方独特の呪術的装飾
・地主の単なる遊び心
気になって辞書で調べたら、口偏に犬ではなく牛でも「ほえる」と読むやうです。確かにご当地の人々は伝統的にすぐれた漢字センスを持っていると思います。
by knaito57 (2008-12-01 09:31)
@ホームズ(と呼び捨てにしていたよね、確か。彼のほうが年長だからか)、するとキミは、要するにこんなにたくさんの推理をすることが可能だ、といいたい訳だね。
よろしい。だがね、キミのこの推理のなかには、極めて論理的でない、簡単に排除できるものもたくさんあるね。キミらしくないことだが…。
ワタシの見るところでは、考えられるのは、5番目しかないだろうよ。しかし、「人数」と人形の数が符合するという根拠は、どこにもないと思うがね。
by dendenmushi (2008-12-02 09:43)