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343 御殿崎=宮城郡七ヶ浜町松ヶ浜(宮城県)ここには実際に御殿があったらしいですよ [岬めぐり]

 飛ヶ崎の結界(これはいうまでもなく本来の意味を拡大解釈しているだけなのだが)からは松ヶ浜という名の地域で、その名はこの一帯の海岸の情景から自然にそう呼ばれるようになったものだろうという想像は、海岸を歩いて行くとだんだんと確信になる。
 兜島と御殿崎というこの辺りでは比較的大きな岬に囲まれて、小さな漁港があり、そのため岬の西側半分は岸壁に使われ、東側は岩壁。その先端からはさらに長い堤防が港を守っている。
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 松ヶ浜は、全体に荒磯で、港はここだけにしかないが、そう大きな漁港でもなく、ここへSさんの車で来る途中には新興の団地も目立っていたので、大都市仙台のベッドタウン化しているのだろう。
 松が大きく茂った美しい御殿崎は、その名から察するに、伊達の殿様の浜御殿でもあったのだろう。実際に、ここが御殿崎と言われるようになったのは、政宗が別荘のようなものを建てて以来であり、それ以前は、松ヶ浦島とか鴻ヶ崎とか言われていて、平安の昔から有名だったらしい。
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 岬の先端には荒崎稲荷の祠があり、その周辺をよくみると、細いひょろっとした松の苗木が植えられている。人が踏んだりしないように、まだ印が残っている。昔はもっとあった松の木が、自然の災害などで失われたのを、復活させようという努力なのだろう。
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 古い石碑がたっているが、これは鮫に噛まれて死んだ父親の仇を討ち本懐を遂げた孝行息子の行ないを讃えるものだという。こういう話は、各地に多いが、そういう民間の説話を殿様が耳にしてとりあげ、それを讃えることで民衆の“忠孝”指導に利用しようとした、そういう名残りなのだとみることができる。
 岬の先には鴻ヶ島という丸い小島があり、東に続く海岸の景色、それとはまた対象的な西の砂浜…。御殿には絶好のロケーションだったのかも知れない。
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 そう思って、辺りの景色を眺めているうちに気がついたのは、ここがいわゆる“松島”の最南端であり、逆に京や江戸からやってくると、ここからが松島だったのだろう、ということであった。
 さて、さらに東隣の黒崎へ向かうには…。荒磯の上を細い道があるので、これを行けばいいのだろう。そう思って、岩の背の岬の上を進んで行くと、突然、「立入禁止・地主」の看板。
 あれ?。でもここ以外には道はなく、ここを通らなければまた戻って港から大迂回をするしかないではないか。はて?

▼国土地理院 「地理院地図」
38度16分41.75秒 141度3分6.69秒
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dendenmushi.gif東北地方(2008/10/15 訪問)

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タグ:宮城県
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コメント 2

knaito57

あまたある岬のなかでも、これだけ徹底して松にこだわる地域もめずらしい──とは「一を以て万を知る」拙者が、石廊崎・竜飛崎・伊良子岬の三体験から導き出した結論ですが、当たっちゃいませんか。
植生は地域に密着したものゆえ、土地によくなじむ松に人々の愛着が強いのは道理。とはいえ、次世代のために苗木を植える行為は尊いですね。
松のせいか殿様からの連想か、山本周五郎の『松風の門』を思い出しました。過去に仔細ある武士が崖上の洞窟にこもって生きる峻烈な姿が爽やかな短編でした。
by knaito57 (2008-11-26 09:52) 

dendenmushi

@さすが『松島』というだけのことはありますね。この辺は、どこへ行って見ても、松が見事なところが多かったですよ。
 しかも、手入れや管理もいいのか、害虫の被害にあっているようなものも、ほとんど見なかった。
 確かに、この地域の風土にも、合っているのかも知れません。
 ここには、洞窟はなかったけど…。でも、それにふさわしい場所です。
by dendenmushi (2008-11-27 07:31) 

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