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334 萱野ヶ崎=宮城郡松島町松島(宮城県)「さんさ時雨か萱野の雨か…」はこの萱野か?? [岬めぐり]

 別に民謡に興味があるという訳ではないが、その名前と文句の一部くらいは知っている。地元では岩手の一部も含めた仙台藩の祝い歌として、長い間歌い継がれてきた「さんさ時雨」の冒頭はこういうのである。
 「さんさ時雨か 萱野の雨か 音もせできて 濡れかかる」
 この歌にいう「萱野の雨」の萱野とは、場所を示しているものだと思われるが、どこなのだろう。ひょっとしてこの萱野ヶ崎のことではないのか?
 実は、松島湾には、もうひとつ萱野崎というのが奥松島市の先端にあるのだが、こちらのほうはだいぶ離れ過ぎているので、歌になるとすればこっちの萱野ヶ崎のほうが可能性が高いのではないか。
 萱野ヶ崎は松島町の南端、双観山の東の出っ張りである。ここは島がセットになった景観がなかなかよい。kayanogazaki01.gif
 利府町の仙石線陸前浜田駅から、45号線をトンネルを抜けて東へ2キロほど行くと、要島伊勢島・小町島とともに萱野ヶ崎の姿が見えてくる。その途中には、櫃ヶ浦という細長い入り江があるが、そこらが松島町と利府町の境界になる。
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 双観山のある半島の森は深く、松をはじめ大きな木々が茂っていて、その姿が見える場所は限られてくる。
 帰りは遠回りになるが、その入り江を回り込んで45号線を離れ、細い道に入って行く。なにしろ、休日の45号線は、車の数もはんぱではないので、そこをはずれたほうがいい。海岸に沿ってといいたいところだが、この道は海岸線よりもかなり高いところを通る。
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 わざわざ遠回りの道に入ってきたのは、ネットだけでの知り合いである多賀城市のOさんから、“利府町に腕を伸ばしたような景色の岬がある”と掲示板で教えてもらったからだ。
 地図でそれらしいところを探し、探しながら歩いていると、細く長く伸びたところがあった。だが、そこには名前がついていない。なるほど、これは板に盛ったかまぼこのような奇観である。
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 さて、「さんさ時雨」に話はもどるが、岬の名前ではなくほかの地名だろうという意見も当然に考慮しなければならない。だが、萱野という地名は、宮城県ではほかにはないようだ。
 そもそもこの歌の起源が、いささか判然としていない。一説には、伊達と芦名が磐梯山の周辺で戦ったとき、伊達一族のある武将が歌った歌が気に入った伊達政宗によって改作され、その命によって部下が節をつけた、というのがある。その元になった歌というのでは「萱野」ではなく「茅野」となっているし、もしそうだとすると海岸の岬とは関係ないことになる。
 確かに、この民謡が「音もせで茅野の夜の時雨れ来て袖にさんさと濡れかかるらん」というその歌を下敷きにした形跡は濃厚だが、研究家の間では、政宗よりずっと新しい時代の歌だという説が有力らしい。
 この歌が、かまぼこ技術とともに踊りとして四国の宇和島まで伝えられているというのが、なんともおかしい。ちょうど今も“伊達な旅”とかいって宮城県の観光キャンペーンが行なわれているが、伊達政宗という戦国武将がいたということが、現代に至るまでさまざまに尾を引いているというのは、考えてみればおもしろいことだ。
 そのことは、日本中のどこにも、それなりに何がしか、そういうことがある、ということが日本の日本たる所以であるのかもしれない。
 それを考えると、伊達政宗を「さんさ時雨」の作詞家にする説も、盗作疑惑の危険まで冒してでも、なんでもかんでも有名人に結びつけたがる俗説ということになろうか。
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 有名人さえ引っ張り出せば、それで万事めでたしとおさまる“有名人指向”は、今の日本人やマスコミ一般にまで共通した悪弊だが、そのことはおもしろいではすまされまい。
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 …といったところで、雨の降る萱野は、ほんとうにこの萱野ヶ崎のことなのだろうか。覚えていた歌の文句と岬の名前が符合していたので、そう思ったが、案外「萱野」は地名などではなく、ただのススキの原の意味だったりして…。
 …そのことに、ここまで書いてきて初めて気がついてしまった。

▼国土地理院 「地理院地図」
38度21分5.28秒 141度3分54.73秒
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dendenmushi.gif東北地方(2008/10/13 訪問)

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タグ:宮城県
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コメント 2

knaito57

この辺りでは松が指定樹木(県の木)のやうですね。どの岬も松で装って味わいがある反面、箱庭か絵葉書的にちんまりと見える。
うろ覚えながら、伊達公は四国のあの辺を治めた時期があったやうな……だとしたら、藩主に伴って臣下や職人が移動するといふパターンでかきや蒲鉾技術が伝わったのでは。
歌詞の萱野は「地名ではなくただのススキ原」説に賛成です。それは全国どこにでもある光景ですからね。拙者は堅物ゆえ“すすき野”にはうといですが、なんとなく茅場町が懐かしい。
by knaito57 (2008-11-04 17:29) 

dendenmushi

@確かに、今回初めて、ここはまぎれもなく「松島」だわいと、納得いたしましたですね。ほんとに、松の美しさは格別です。
 最近は各地で松くい虫の被害が蔓延して、どんどん切られていますからね。
 伊達氏と四国宇和島の関係は、慶長年間に伊達政宗の子が封じられて以来、明治維新まで続きました。その関係で、かまぼこ技術など、仙台のものがいくつか伝わったのです。もっとも、家臣団は米沢からだし、仙台藩はなにかと支藩扱いしたがったようですが、新規開店の独立した藩でした。
 そんなことが、とてもおもしろいと思うのですよ。
 8代伊達宗城になって、宇和島藩も歴史の舞台に飛び出してくることになりますが…。
 
by dendenmushi (2008-11-05 08:51) 

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